風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「たとへば君~40年の恋歌~」

2014-01-31 | 読書
昭和41年、
大学に入ったばかりの青年と繊細な女性が出会った。
徐々にお互い惹かれ始め、2人の仲は恋に育っていった。

「たとへば君  ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」(河野)

「いだきあうわれらの背後息あらく人駈けゆきしのち深き闇」(永田)

 逢う毎に、触れ合う毎に熱くなっていく気持ち。

「今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりぬ」(河野)

「きまぐれに抱きあげてみる  きみに棲む炎の重さを測るかたちに」(永田)

大学を卒業後まもなくして2人は結婚、
2人の子どもたちにも恵まれる。

熱い恋は穏やかな愛となり、
夫の仕事の大変さや子育ての中での悩み、苦労など経て
家族の日常は情愛とともに流れていくようになる。

「米研ぎて日々の飯炊き君が傍にあと何万日残つてゐるだらう」(河野)

「たった一度のこの世の家族寄りあいて雨の廂に雨を見ており」(永田)

子どもたちが育っていく間に
若々しい生き生きとした日々は徐々に穏やかに流れるようになる。
これまでの自分たちの軌跡を振り返りつつ
ぼんやりとこの先のことにもいろいろと思いが湧く時代。

「広すぎる歩幅と思ひ並びゆくわたしは今も小さすぎるか」(河野)

「君が歩幅を考えず歩きいたる頃せっぱつまりしように恋いいし」(永田)

「晩年におそらくは居ない君のこと既視感のごとく復習ておかねば」(河野)

「君のおかげでおもしろい人生だったとたぶん言うだろう
            わたくしがもし先に死ぬことになれば」(永田)

やがて子どもたちは独立し、
また2人の静かな生活がやってくる。

「灯ともさぬ階段に腰かけ待ちてをり今日は君だけが帰りくる家」(河野)

「ふたりよりやがてふたりにもどるまでの時の短さそののちの長さ」(永田)

 その日は突然やってくる。妻の発病。

「あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて」(河野)

「ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど」(永田)

お互いに忙しい仕事に追われ、
それまでは何気なしに「夫が先に逝くだろう」と
冗談半分に言い合っていた夫婦には青天の霹靂のことだった。
一度は手術で快癒してようにも見えた病だったが、
やがて再発が告げられる。しかも手の施しようもない状態で。
妻は取り乱し、夫は何とかそれを支えようと試みる。

「わたしよりわたしの乳房をかなしみてかなしみゐる人が二階を歩く」(河野)

「昔から手のつけようのないわがままは君がいちばん寂しかったとき」(永田)

そして徐々に2人ともその運命を受け入れ始める。
お互いがお互いに正面から向き合い、思いやる日々。

「笑窪がかはいいと言はれてよろこぶ私に私より単純に夫がよろこぶ」(河野)

「馬鹿ばなし向こうの角まで続けようか君が笑っていたいと言うなら」(永田)

「一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため」(河野)

「一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間  もうすぐ夏至だ」(永田)

「この家に君との時間はどれくらゐ残ってゐるか梁よ答えよ」(河野)

「あっという間に過ぎた時間と人は言ふそれより短いこれからの時間」(永田)

妻は徐々に衰弱していく。
諦観しつつもなお胸をかきむしる夫がそばにいる。

「俺よりも先に死ぬなと言ひながら疲れて眠れり靴下はいたまま」(河野)

「きみがゐてわれがまだゐる大切なこの世の時間に降る夏の雨」(永田)

「生きてゆくとことんまで生き抜いてそれから先は君に任せる」(河野)

「悔しいときみが言ふとき悔しさはまたわれのもの霜月の雨」(永田)

「見苦しくなりゆくわたしの傍に居てあなたで良かつたと君ならば言ふ」(河野)

「いい夫婦であつたかどうかはわからねど
              おもしろい夫婦ではあつたのだらう」(永田)

そして妻が息を引き取る前日。

「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき」(河野)

「さみしくてあたたかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ」(河野)

「八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る」(河野)

「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」(河野)

絶唱は「われは忘れず・・・」

その後の夫の歌はリアルに真っ直ぐに心を突いてくる。
これはエレジーでもレクイエムでもない。
悲痛な心の叫びだ。

「亡き妻とどうして言へようてのひらが覚えてゐるよきみのてのひら」(永田)

そして

「わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ」

2人の思い出は2人だけのもの。
お互いのすべては相手しか知らない。
2人ともこの世から姿を消せば、
すべての2人の軌跡は誰にも知られることなく
2人の体とともにこの世から消えていってしまう。
そんな当たり前のことが改めて衝撃。

たまたま歌人として名を成した夫婦の相聞歌。
でも、歌にならなくてもこれらの思いはどの夫婦も抱くものだろう。
これは歌集ではない。
とあるひと組の夫婦の、出会いから別れまでの軌跡。

「たとへば君~40年の恋歌~」河野裕子、永田和宏:著 文春文庫
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お別れ会

2014-01-30 | 風屋日記


昨秋亡くなった
とてもお世話になった方のお別れ会。
この方からものの考え方を教わり
自分の人生も変わった。

老舗を先代、先々代から受け継いで拡大し
人当たりはあくまで柔らかく
茶の湯と絵を愛した穏やかな人生。
お別れ会の片隅には呈茶席も設けられ
故人が描いた絵も飾られた。



優しいタッチに胸が熱くなった。
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白龍でじゃじゃ麺

2014-01-29 | 食べ物・お店


久しぶりの白龍(パイロン)@盛岡。
相変わらず混んでいるけれど、
平日だから観光客より地元の人たちが多いかな。
寒い季節にはじゃじゃ麺がうまい。



独特の肉味噌が特徴。
キュウリもいい仕事をしている。
ラー油や酢、ニンニクなどで自分好みの味付けを。
見た目を気にせず、
ぐちゃぐちゃに混ぜて食べるのがコツだ。



麺やキュウリをちょっと残し、
テーブルにある生卵を割り入れよく混ぜて
「お願いしまーす」と店の人に頼むと
お湯をいれ、味噌を少し足した卵スープが来る。
これが「ちーたんたん(略称ちーたん)」。
仕上げのちーたんまでセットにしてじゃじゃ麺だ。



観光客も多いせいか、店内には食べ方も書いてある。



たくさんの有名人たちの色紙が店内中に貼ってあるけど、
1人だけ額装されて特別扱いの人がいる。



吉永小百合さんだ。
JR東日本のCMで吉永さんがちーたんを啜る姿は
岩手県民には大いに受けたものだ(笑)

満腹&体も心も暖まった(^_^)
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バンカラ学生帽

2014-01-28 | 風屋日記


昨年実家の自室を整理していて
高校時代に被っていた学生帽を見つけた。
我が母校は今も続くバンカラ校。
(バンカラについては過去にも
 こんな記事こんな記事こんな記事こんな記事を書いている)
ワタシも当時は足駄(高下駄)を穿き、腰手拭で
先輩から5代目だと言われて受け継いだこの帽子を被っていた。
なぜ後輩に受け継がず、いまだに持っていたのか
今となっては記憶がないけれど
手に取ってしばし古き良き青春時代に思いを馳せた。

これは現在の現役応援団幹部に受け継いでもらおうか。
最近無帽の母校幹部をよく見かけるが、
いかに学生帽が廃止になったとしてもそれは良くない。
先輩からの引き継ぎということならば被ってくれるかな。
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~茶と美~

2014-01-27 | 文化


この週末は駒場の日本民藝館へ。
民芸運動の先駆者で、この民芸館を作った
企画展で柳宗悦の茶道具が展示されていたからだ。

普通茶道具展というと
大体利休の時代から江戸時代の大名などの名を挙げ
やれ「誰それが作ったもの」「誰それが使ったもの」
あるいは○○家伝来のものなど大名物、名物が並べられる。
しかし柳の茶道具展にそれはない。
古くは室町期に李朝朝鮮で作られた白磁や
江戸期~明治期に日本各地で作られた生活の道具類、
はたまた茶の本筋から外れた新しい創作・・・
本来茶道具ではないものを見立てた道具もある。

これら名も無き道具類たちの美しいこと。
生活に根ざしたものばかりだから
その存在の力強さや素朴な味わいは心を掴んで話さない。
民藝について、茶について無知であった頃
中高生の頃から木や皮革、藁縄や麻縄などの
自然素材の道具類に何となく心惹かれていたワタシだったが、
あぁ、ここに潜在的に求めていた世界がある・・・と感じ、
時間を忘れて展示物に見入った。

柳はその著書の中で言う。
「茶の世界で名物、大名物ばかりをありがたがるのは
 すでに美を見極める目を失っているものである。
 本来の侘び茶とはそういうものではなかったはず。
 利休はそれまでの舶来ものに傾倒した茶の世界から脱し
 わざと節のある岳を用いた茶杓を使い
 同じく竹の蓋置や花入れを思いつき用いた。
 それらはその自然の素材の美を見いだしたものであり
 それこそが侘び茶の本質であろうと思うのだが
 いつしか茶の世界ではそれが忘れられてしまっている。
 美は自然の中、生活の中にこそある」
まさしくその通り。我が意を得たりの心境だ。
これこそワタシが目指したい茶の世界。

柳の趣味もワタシにとってもど真ん中のストライクゾーン。
そういう意味では物を見る目も養ってもらえる気がする。
大事なのは考え方、哲学なのだろうけれど。

柳さん、ワタシはあなたについて行くことにした。
よろしく。
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春の気配

2014-01-26 | 散歩


梅が開き始めた。
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「けしゴム」

2014-01-25 | 世界・平和
     けしゴム

               まど みちお


自分が 書きちがえたのでもないがいそいそと けす

自分が書いた ウソでもないがいそいそと けす

自分がよごした よごれでもないがいそいそと けす

そして けすたびにけっきょく
 
自分がちびていってきえて なくなってしまう

いそいそと いそいそと 正しいと 思ったことだけを

ほんとうと 思ったことだけを美しいと 思ったことだけを

自分のかわりのように のこしておいて
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「エンドロール」

2014-01-24 | 読書
「いろんな人間によって生かされたことを実感している。
 みんな一人では生きていけないんだね。
 心の中でこれまで触れあって、
 縁があった人に感謝できる人間でいたい。」

「八十歳を超えていま思うことは、
 フィルムは人生に似ているということです。
 映画には取るに足らない無駄なシーンばかりのもの、
 浮ついた台詞ばかりのもの、
 不幸なストーリーに終始する暗いものなどがあります。
 また逆に何もかも上手く運び、
 人生の絶頂を極めた幸せなものもあります。
 しかしそのフィルムの善し悪しは、
 すべてを見終わった後、そこはかとなく感じるものです。
 オープニングだけでも、
 またエンディングだけを観て判断するものでもありません。
 私は最悪のエンディングだと評される作品を
 いくつか観たことがあります。
 けれども中には心に残り、
 惹かれ続けているものもあります。
 戦争で亡くなった友がいます。
 彼の最期はけっして幸せではありません。
 だからといって彼の短い一生が、
 何の意味もないものだといえるのでしょうか。
 彼が輝いていた時間があったことを
 私ははっきりと覚えています。
 心中には鮮やかに、青春時代の彼が蘇るのです。
  (中略)
 いうなれば、
 みんなが彼を主人公とした映画のキャストだったのです。
 誰の人生のフィルムも終わりを迎えます。
 一本の人生フィルムには、
 光を放った時間、名台詞、幸せなシーンが必ず存在するはずです。
 さて私のリールに残されたフィルムも長くはないでしょう。
 私の人生のエンディングがどんなものであれ、
 エンドロールには多くのキャストの名前が連なることでしょう。」


人生は1本の映画。
主人公たる自分に関わった人たちは皆キャスト。
エンディングにはすべての人たちが
エンドロールに名前が連なって流れていく・・・。
その通りだな。
さて、ワタシの映画のエンディングはいつ来るのだろうか。

「エンドロール」鏑木蓮:著 ハヤカワ文庫
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「嫁の遺言」

2014-01-23 | 読書
女重松清というか、女伊集院静というか、
不器用でどうしようもない男たちばかりということでいえば
女浅田次郎でも良いのかも知れないけれど、
とにかくハートウォームで心の中が温かくなる短編集。
ま、不器用でどうしようもない男たちが出てるということは
女たちもみんなそれなりに不器用でどうしようもないんだけど(笑)
「急がなくたって、うまく世間を泳げなくたっていいんだ」
「背伸びせず、等身大の自分で生きていきたい」
と思える読後感。
淡々とした日常の1コマ1コマが大切に思える。
個人的には「いちばんめ」と「あの人への年賀状」。
「おかえり、ボギー」や「あんた」にもホロリとしたけどね。

初めて読んだ作家だし
自分でヘタな感想をこれ以上書くよりも
「読書メーター」に載っている方々の感想が的確なので
ちょっと一部引用させてもらおう。

「密やかなため息のように語られる七つの物語。
 あの時、あっちの角を曲がっていたら
 どんな風景が見られたんだろう。
 もう二度とは見られないその時のあちら側。
 ふっとそう思う時、
 何故だかちくりとした懐かしさと切なさが胸をよぎる。
 この本を読むとそれと同じ気持ちになる。
 取り返しのつかない年月を思って
 一日を大切に生きれたらいいなと思う。」

「『いちばんめ』いいなぁ。
 いちばんめっていうタイトル。
 なんだかちょっと恥ずかしい。
 『嫁の遺言』もほろっとするし。
 この短編集は不器用な私に向いてる。」

「嫁の遺言」加藤元:著 講談社文庫
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選挙

2014-01-22 | 世界・平和
都知事選挙が近い。
身の回りでは花巻市長選挙が真っ盛り(らしい)。
今春には確か統一地方選挙も行われるはず。
ワタシは選挙権を得てからかれこれ30年以上になる。
その間、投票できなかったのは1度だけ。
東京に転勤後、期日前投票にも投票日にも帰れなかった。
今回の市長選挙も今のところ行けそうもない。
単身赴任や長期海外出張の人たちなどは
告示から1週間で投票となる地方選挙には
タイミングが合わないとなかなか投票できないよねぇ。
第一候補者の主張や公約がわからないからね。
・・・ということで、
それらの選挙を見ていて以前から思ってること。

以前も書いたことがあるけど、
選挙制度が中選挙区制から小選挙区制に改正され、
小泉さんの郵政選挙があったあたりから選挙は変わった。
単純化されたスローガンに簡単に乗ってしまう世論。
世論に迎合し、異論は驚きを持って報道するマスコミ。
マスコミに簡単に踊らされる有権者・・・
という三位一体構造が針の振り幅を極端にする。
わかり易いキャッチコピーでわかったつもりになり
「主張の本質は何か」「それがどういう影響を生むか」
ということを考えずに投票してしまった結果が今だ。
過去を振り返り、
格差を拡げた小泉内閣を批判したり、
民主党政権時代の右往左往を嘆いたりしたって
それらの事態を招いたのは有権者自身。
天にツバするようにものだ。
恐らく数年後、
あれよあれよと突っ走る安倍政権を後悔することになろうが、
それも今の有権者たちが自民を大勝させてしまったため。
それも後に反省の糧となるのなら仕方ないとは思うのだが・・・。

さて都知事選、花巻市長選。
見ているとどちらも人気投票、イメージ投票。
ネット上では足の引っ張り合いや重箱の隅つつき作戦など
見ていてウンザリするような光景が見受けられる。
たったひとつのウワサ話や推論による無責任情報に執着して
大局を見ず、本質を知ろうとせず、
その結果「コイツが気に入らないから叩け」になる。
(たいていどうでもいい理由や誤解で叩かれる)
叩く人間が複数いるとますますエスカレートしていき、
あたかもそれが正論、正解とでも言う雰囲気が作られる。
政策や主義主張を精査することなく、
こうして衆愚政治は生まれていくのかと暗澹たる気持ちになる。

あぁ、今気づいたが、戦前もそうだったんだろうな。
マスコミ主導で「支那を懲らしめろ」「米英を叩け」が正論化し
異論を唱える人たちは異端視→排除の論理となった。
なんだ。これが繰り返されてきた日本の歴史か。
またまた繰り返さないためにも
もう少しだけ耳を澄ませ、目で追おう。
その人が何をしてきて、これから何をしたいのか、
それはこれからの日本や地域にとって
どのような変化をもたらし、どうなっていくのか
冷静に、客観的に俯瞰してみよう。
決してキャッチコピーに踊らされてはいけないる
あれは大手広告代理店による騙しの手法。
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浅草地下街

2014-01-21 | 散歩





浅草はどこを歩いても面白い街だが、
中でも極めつけはココ。
昭和20~30年代がそのまま残っているだけでなく
多国籍な店も並んでいかにも怪し気な雰囲気。
塘路の隅で売っているDVDもとても怪しい(笑)
地下鉄銀座線改札から
東武浅草駅やエキミセ、新仲見世への通り道で
メイン通路と言ってもいいアクセスなのに
こんな場末な雰囲気がなぜ残っているのか。
それが浅草。
わざと残しているのかも知れないが(笑)
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Final Live

2014-01-20 | 音楽


終わりは始まり。
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「光」

2014-01-19 | 読書
 俺はまちがってはいない。
 まちがわず、
 自分自身と大切なひととを生きのびさせた。
 これからも生きる。
 暴力を振るったことなど一度もない顔をして。
 妻子を愛し、堅実に働き、いつか呼吸が止まる日まで、
 秘密のすべてを胸に抱いて。

 殺して生きる。
 だれもがやっていることだ。
 殺す相手が牛や豚や鶏や虫ではなくひとだからといって、
 ちがいがあると考えるほうがおかしい。
 罪を生じさせるのは常に人間の意識だ。
 罪の有無を忖度することなく、
 津波という暴力もまた、
 突然降りかかり、すべてを砕いていった。
 信之は知っている。
 罪などどこにもない。
 あるのは理不尽と暴力だけだ。

この作品が生まれたのは2006年とのこと。
大震災の5年前だ。
すでにこのような作品があったことに驚愕。
震災前に読んでいたら
「こんなことあるわけない」と思ってたんだろうな。

登場人物それぞれの視点から
章を変えながら進んでいく物語ではあるけれど、
そして津波や殺人、虐待など、
いくつかの暴力が描かれているけれど、
実は本当の主人公は唯一視点の描かれていない人間であり、
物語の中心はその人物による静かな暴力なんじゃないかと
最後まで読んで感じた。
なぜかというと
帯で暴力がテーマと書いてあるものの
本当の暴力はこんなもんじゃないと読了後感じたのだが、
(村上龍さんや花村萬月さんの一部作品の方が
 本作よりもっと暴力を描いているから
 「やっぱり女性が描く暴力はこのぐらいかな」
 などと思ったりもしたのだ)
もう一度頭の中で物語全体を反芻してみたとき
すーっと背筋が寒くなったのは
視点が描かれていない登場人物の行為だったから。
これこそ本当の暴力だ。
本当に恐ろしい暴力は体に痛い思いをするものより
いつの間にか静かに近寄ってきて
心を痛めつけるものなのかも知れない。

初めて読んだ作家。
またひとり、追いかける対象が増えた。

「光」三浦しをん:著 集英社文庫
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~ご当地版~ラジオ体操

2014-01-18 | 文化





「さぁ!ラズオ体操はズめっぺスぅ」(津軽弁)

初っ端から大爆笑。
確かこれは東日本大震災の直後ぐらいに
岩手沿岸の避難所で流行ったと聞いたことがある。
もちろん岩手弁もの。
テレビで見た時はみんな笑顔で元気に体操してた。
楽しいよね。笑えるよね。明るくなるよね。

面白いだけじゃない。
これらもみんな立派な地域文化だ。
老若男女、この言葉で繋がりを持ち、
地域のコミュニティを大切に生きてきた。
これこそ「日本の文化」の根底にあるものだと思うんだ。
「愛国心」ってのは
こういうものの積み重ねの上にあるんじゃないのかな。
決して文科省指導の元に学校で教えるものじゃない。
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よく冷えた盛岡の夜

2014-01-17 | 食べ物・お店


久しぶりに訪れた店にて、
懐かしのもつ煮込み&ハムカツ。
酒は岩手の地酒「七福神 大吟醸」。
つきだしのフキやワラビが嬉しい。

外では雪がちらついていた。
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