風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

桜雲祭

2020-04-30 | 文化
ウチの高校の文化祭(桜雲祭)は
文化部展示・発表の他に、クラス単位の出し物があった。
同学年2クラスが一緒になっての企画を考える。
もちろんその他に有志の出し物(飲食店やバンド演奏など)も。

高校に入学したばかりの頃の1年次
クラス単位の企画を考え始めた当初は、
時代を流れを表現する展示で固まりかけていた。
案内パンフレットへの記載締め切りギリギリに
「文明の光」という企画名を提出している。
ところがその後、企画内容な急転直下「お化け屋敷」に変わった。
かくして「文明の光」と題されたお化け屋敷を行うという
けっこうシュールな展開となったのだった。

旧制中学時代からの桜雲台校舎最後の1年。
木造校舎はボロボロで、釘も打ち放題、壁に落書きし放題(笑)
まずは友人のお父さんのツテで、建設現場からコンパネを借りてくる。
トラックで運んでもらったり、リヤカーで運んだり。
理系のヤツが設計したお化け屋敷内部の設計図を見て驚いた。
なんとルートが立体交差(^^;
電器屋の友人の店から巨大なスピーカーやアンプも借りた。

前日の授業終了とともに教室をお化け屋敷に変える。
みんなトンカチや釘をポケットに、それぞれの持ち場で作業するも
当然のことながら数時間で終わるわけがない。
学校泊まり込みで徹夜となった。
これがまた楽しいんだ(^^)
内部の真ん中にあるコントロールセンター担当やお化け担当
そして天井(通路強化のためと、暗くするために上もコンパネで覆った)
からの↓こんにゃく担当(笑)や案内担当(争奪戦)を決め
私は責任者補佐として事務局を担当した。



当日は大盛況。
中から聞こえてくる大音響の不気味な音楽と悲鳴に誘われ(笑)
次から次へと入場者が集まってきた。
危険防止のために入場制限かけながらということもあり
もしかしたら入場には30分待ちぐらいだったかもしれない。
終わった後はもちろんみんな疲労困憊だったけど
世の中にこれほど楽しいことがあるのかというほど楽しかった。

こんな楽しいこと、1回で終わらせるわけがない(笑)
翌年は有志で、しかもアイスクリーム屋をやる有志グループと合同で。
アイスクリーム屋の店名は、当時流行ってたホラー映画タイトルから取り
「サスペリア」としてお化け屋敷入り口前で出店してもらった。
2年の時は引っ越したばかりの新しい鉄筋コンクリート校舎だから
釘打ちなどできず、コンパネを箱型に組んでいった。



新しい警備システムが導入された校舎だったので泊まりは禁止
・・・にするわけがない(笑)
「帰れ」と言いに来た教師と1時間ほどの議論の末、認めてもらった。
(その先生が結局泊まって見張る羽目に・・・すんません ^^;)
この時も大盛況。
しかも入場を待っている人たちが目の前にある店でアイスクリームを買う(笑)
おかげさまで、終了後は豪勢に焼肉で打ち上げを行ったのだった。

3年次ももちろん続行。
この時は最後なので後輩たちもメンバーに入れて
翌年以降も伝統として(笑)継続してもらうことにした。
すべて出し切ったお化け屋敷の3年間。
私にとって、学校生活=お化け屋敷だったといっても過言ではない(笑)
一緒にやった連中は、今でも折につけ集まるいい仲間たちだ。

青春・・・いかに無駄なこと、馬鹿なことに夢中になれるか
それが最も大切だと今でも思うのだ。
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コロナ禍支援 花巻プロジェクト

2020-04-29 | 世界・平和

参加店舗受け付けを始めて10日、
チケット販売を始めて5日。
ぼちぼち周知が広がってきて売れ始めています。
が、まだまだ支援できるぐらいにはなっていません。
ますます皆さんのお力が必要です。


若い人たち中心に変わってきつつあった花巻。
ようやくまちが活性化する息吹を感じ始めたところに
今回のコロナクライシスです。
せっかく動き始めたムーブメントの火を消したくありません。
この状況をいかに乗り切るかによって
もしかしたら「Beforeコロナ」よりも
もっとステップアップした「Afterコロナ」の社会が待っているかも。
そう信じて私たちはこのプロジェクトを始めました。

これまでの数日の運営で気づいた修正点を元に
店舗向け「参加申込書」と「チケット購入申込書」のフォームを
走り続けながら若干修正いたしました。
今後はこちらをご使用いただければと思います。
よろしくお願いします。






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アフターコロナ

2020-04-28 | 世界・平和
全国民に10万円支給とか、賃料や税金の支払猶予とか、
無利子無担保の特別融資だとか、いろいろ施策はあるものの
自治体ごとに対応が違って不公平な「協力金」ではない、
明確でわかりやすく、正当な権利といえる補償もないままに
たくさんの業種の企業、店舗が自己責任の営業自粛に追い込まれている。
みんな生き残るのに必死。
2月末からコロナクライシスに振り回されている学校も同様。
地域によって休校だったり、授業を行ったり。
運動部の大会もすべて中止となり、今後の開催も不透明だ。

さて、世界中を巻き込んだコロナクライシスもいつかは終わる。
しかしこの大混乱は少なからず世界を変えた。
(9年前の東日本大震災からの影響ももちろん)
「アフターコロナ」の世界、社会はどう変わるだろうか。

仕事はテレワークが浸透しているだろう。
日本独特の捺印文化も薄れるはずだ。
となると、別に仕事は集まらなくても支障はなくなる。
都会の脆弱さも露呈してしまっているから
おそらく大都市から地方への分散が始まるだろう。
その時のために、地方では、
ビジネスや生活のインフラ整備を行っておく必要がある。

学校も同様。
おそらくみんな集まっての画一的な知識詰め込み教育は
徐々にでも無くなっていくのだろう。
クラブ活動は学校の課外活動から地域活動へ。
オンラインでの繋がりがより身近となり
学校を超えた様々なコミュニティもできてくるだろう。
ならば都会の大学に行く必要はない。
なにかあった時に、子どもが離れている大変さがわかったから、
地元進学も増えていくのではないだろうか。

そして貿易。
自国主義やナショナリズム、ポピュリズムの力が増し、
グローバル経済が元に戻るには少し時間がかかるのかも。
となると、頼りは内需だ。
輸入に頼ってきた生活用品を
できるだけ国内で賄う流れができるのではないか?
そしてそれは食も。
これから国内食糧需給率を上げていく必要がある。
これまた地方の生産力が必要だ。

ということで、これからの時代は地方こそ重要。
大都会にくっついていくのではなく
各地方ならではのアイデンティティを持ったところが強い。
日本という国を構成しているのは大都会じゃない。
「アフターコロナ」は、少なくとも日本には、
案外いい方向に導いてくれるのかもしれない。
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「いわて花巻みらいチケット」ご購入希望の皆さまへ

2020-04-27 | 世界・平和
先週土曜日、4月25日から販売が始まっていますが
急いだために体制が整っておらず、少々ドタバタしていて
「すぐ買いたい」という方々へご迷惑をおかけしています。
徐々にながら体制を整えますので、ご了承ください。

とりあえず「いま買いたい」という方は
下記「チケット購入申込書」をダウンロードして記入いただき
machi R&Eのfacebookページへのメッセージか
下記メースアドレスまでお送りください。
手続き後、郵送いたします。



mail:kazeya.kitayama★gmail.com(★を@に置き換えてください)

または販売協力店であるゲストハウスmeinnまで
記入済みの購入申込書をお持ちください。
その場で販売できます。(休業中のため不在の場合あり)

松田屋旅館さまと、せがわ京染店さま以外の参加店で
直接お買い求めもいただけますが
まだ体制が整っていないため、
購入申込書をお持ちいただいた後で、
少々お時間いただく場合がありますことをご承知おきください。
よろしくお願い申し上げます。
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「いわて花巻みらいチケット」発売開始

2020-04-26 | 世界・平和



「花巻みらいチケット」本日から販売開始です。
ご購入希望の方は下記メールアドレス宛か、
machi R&Eページからのメッセンジャーにて
現在の一覧表から支援したいお店を選び、お申し出ください。


またゲストハウスmeinnさんでは
どの参加店の分も直接ご購入いただけます。
せがわ京染店さん、松田屋旅館さん以外のお店では
それぞれのお店分のチケット直接のご購入もできます。
みんなで花巻の店を支援しましょう。
ご参加店は今後も随時受け付けています。
(その都度一覧表も更新します)
お問い合わせください。
またご自身のお店のチケット購入PRもよろしくお願いします。

アドレス:kazeya.kitayama★gmail.com(★を@に)
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2020-04-25 | 生活の風景

家ではほとんど飲むことはない。
だから、かれこれ1ヶ月ほとんど飲んでいない。
(1度だけ家でビールを1本飲んだけど)
アルコールそのものよりも、
飲みに行くという行為そのものが好きだから。

もともと、何かない限り飲みの出ることもないのだが
それでもなんだかんだと月に2〜3度は飲みに出ていたから
1ヶ月というのは結構間が空いた感じだ。
そろそろ飲みに行きたい気持ちになってきたな。
みんなでワイワイもいいけれど、
カラオケでも楽しみながらでもいいけれど、
できれば誰かと2〜3人で静かに語りつつウイスキーをロックで。
いつもだいたいバーボン。
静かなJAZZのBGMなど聴きながら。

4月からの健康増進法により
もしかして飲みながらの紫煙はできなくなったのかな?
今はそれを確かめるすべもない。
食事も楽しむ居酒屋や小料理屋などでは
たまに席を立って一服しに行く感じでもいいけれど、
BARのロックグラスにはタバコが欠かせない気がするんだ。
狭い、カウンターだけの店なら大丈夫ってところもあるのかな?
なんか(自分だけじゃないけど)、
この騒ぎが去って飲みに行ったら
浦島太郎みたいな気持ちになりそうだ。

ぶらりと飲みに行きたいな。
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今こんな時だからこそ繋がろう

2020-04-24 | 世界・平和

東京の仕事と地元の仕事、ほぼ半々だった私の仕事だから
こういう状況になって東京の仕事のほとんどが飛んだ。
それでも一応「延期」みたいな形(だと思う)なので
以前以上にwebミーティングが増えた。
(遠隔地なので以前からちょこちょこあったけど)
顔を合わせてのミーティングと違い
webだと会話のやりとりではなくひとりひとり話す形になりがちで
通常のミーティングよりも結構長くなる傾向がある。
ちょっと構えるから冗談もあまり出ない。
明るい雰囲気になりにくいからブレストには向かない感じがするし、
人と人とのコミュニケーションというよりは
必要な情報の交換だけになってしまうきらいもある。
昭和なアナログ人間だからかもしれないけど、
何度やっても構えてしまうな。

コロナクライシスで世界や社会が変わりつつある。
もちろん爆発的なウイルス感染は医療崩壊につながるから
それは何をおいても避けなければならない状況の中、
もっと深刻なのはコミュニケーションだ。
ソーシャルディスタンスという言葉が生まれて
人と人との間は、フィジカルはもちろん、メンタル面においても
これまで以上に離れてきている気がしている。
各国は連携して対応することがなくなり自国のことで精一杯。
「グローバル」とか「多様化」「共生」という言葉が霞んできている。
各国ともポピュリズムが台頭し、
日本国内では政治家の利権が絡んで業界ごとの分断が進む。

個人の間でも自分の生き残りでいっぱいいっぱいの状況だ。
マスクをはじめとした買い占めや、感染者、マイノリティ差別が
あからさまになってきている。
現代文明を形作る元となった「コミュニケーション」が
新型コロナウイルスに、体だけでなく侵食されつつあるようだ。
自分さえ良ければ、他人を蹴落としてでも・・・
今、人類の人類たる倫理や価値観が試されている。

確かにこれだけ身近に命の危険が迫ると
必死に「生」を模索するだろうが
恐怖のあまり右往左往したり利己主義に走ったり
他人を疑心暗鬼で見る風潮が広がると、
コロナクライシス終息後もそれだけが社会に残るだろう。
今最も必要なのは「連携」と「ポジティブさ」。
みんなで協力しながら乗り切る方法を考えよう。
家で過ごなければならならないなら、
我慢を強いられるのではなく、
できるだけ楽しく過ごす方法を考えよう。
音楽が趣味の人は演奏動画をSNSにUPしてみようか。
読書や映画鑑賞が趣味の人はオススメをUPしよう。
家の中でファッションショーやってUPするのも楽しそうだ。
そしていろんな「SAVE活動」にも参加しよう。

国はアテにならないことがわかった。
我々自身で、ウイルスからも、社会や経済の転落からも
身を守ることを考えよう。
もちろん、世界や国がどんなことをしているか
こんな時でもきちんと注視し、覚えておくことも大切。
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茶廊「車門」

2020-04-23 | 食べ物・お店

盛岡での打ち合わせの帰りに
昔からある老舗喫茶店に、実は初入店。


蔵を利用した、雰囲気たっぷりの店内には
静かにJAZZが流れていて、頭の中が溶け出してきそう。
コーヒーももちろんおいしい(^^)



帰りたくなくなりそうだったので、早々退店。
高校時代や大学時代はこんな店に入り
コーヒー1杯で何時間も本読んで過ごしたよなぁ。
連れがいてよかった。
ひとりだったら延々と座っていそうだった(笑)
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四川麻婆豆腐麺

2020-04-22 | 食べ物・お店

花巻市末広町にあるモダンチャイニーズ蓮さんの新メニュー?
以前から評判の四川飯店仕込み麻婆豆腐が
これまた評判の坦々麺の麺にたっぷりとかかった絶品。
焼きそばに麻婆豆腐がかかったものは
以前パーティーの時のメニューで食べたけど
麻婆豆腐に汁麺はこれまで無かった。
かなりのボリュームでリピートオーダー確実!
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北国の春

2020-04-21 | 散歩
他所に遅れて桜が満開。
人が多くなさそうなところを選んで
春の風景を求めて週末市内をぶらついた。


広い空、白い雲、山には雪、土手には桜、
そして田おこしのトラクター。


いつもならこの時期
満開の桜の下で神楽を奉納している延命寺にて。
今年の神楽奉納は例に漏れず中止。


国立病院機構花巻病院敷地内にあるコブシも満開。
あっという間に茶色くなってしまうコブシだけど、
この日はちょうどばっちりタイミング。


同じく花病敷地内にある枝垂れ桜。
青空との色のコントラストがとても良い感じ。

昨日は雨。
今日はちと風が出る予報。
さて桜はいつまで楽しめるかな?
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machi R& Eの花巻支援プロジェクト

2020-04-20 | 世界・平和

4月1日に設立した
有限責任事業組合 machi R&Eとしての最初の仕事は
花巻まち散歩マガジンMachicoco発行でしたが
続いて「コロナ禍支援花巻プロジェクト」始めました。
ご参加いただく企業・店舗ご指名で
世の中が落ち着いてから使えるプリペイドチケットを
一般の方々に買っていただくもの。
支援したい企業・店舗を購入者が指定することにより
すぐにキャッシュがその企業・店舗に渡ります。
困っている会社、お店を少しでも支援するために
私たちができることを始めようと立ち上がりました。


↓こんなチケットをデザインし、製作中です(販売は4/25から)。


参加希望の企業・店舗の方はfbにメッセージをいただくか
下記メールアドレスまでご連絡ください。
参加のための詳細説明書などお送りいたします。

kazeya.kitayama★gmail.com(★を@に)
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「春の小川」

2020-04-19 | 音楽

文部省唱歌「春の小川」が発表されたのは1912年。
明治45年が7月で終わり、8月から大正元年になった年だ。
タイタニック号が沈み、ストックホルムオリンピックに日本が初参加、
ドラマに出てきたあの金栗四三がマラソンに出場した年。

作詞をした高野辰之が当時住んでいた代々木は一面田んぼで
そこを流れる宇田川支流を歌ったものと言われている。
このほのぼのとした風景が代々木というのは驚きだ。
なおこの高野辰之は、他にも「故郷」や「朧月夜」「もみじ」など作詞。
「春の小川」をはじめ、それらの作曲はすべて岡野貞一が担当しているが、
実はこの「春の小川」はちょっと変わった曲となっている。
楽譜を見るとわかるが、すべて四分音符で作られているのだ。
だからなのか、誰でもすぐ覚えられるし、
ほとんどの国民が知っている曲になっている。

ところでこの歌、何度か歌詞が変わっている。
最初は

 春の小川はさらさら流る
 岸のすみれやれんげの花に
 匂いめでたく、色うつくしく
 咲けよ咲けよと、ささやく如く

 春の小川はさらさら流る
 蝦やめだかや小鮒の群に
 今日も一日ひなたに出でて
 遊べ遊べと、ささやく如く

 春の小川はさらさら流る
 歌の上手よ、いとしき子ども
 声をそろえて小川の歌を
 歌え歌えと、ささやく如く

文語調になっている。
その後、1942年(昭和17年)に口語調に変えられ、
3番も無くなった。

 春の小川は、さらさら行くよ
 岸のすみれや、れんげの花に
 すがたやさしく、色うつくしく
 咲いているねと、ささやきながら

 春の小川は、さらさら行くよ
 えびやめだかや、小鮒の群れに
 今日も一日ひなたでおよぎ
 遊べ遊べと、ささやきながら

現代とはちょっと違っているのがわかるだろうか。
そして戦後の1947年(昭和22年)に
今みんなが知っている歌詞となっている。

 春の小川は、さらさら行くよ
 岸のすみれや、れんげの花に
 すがたやさしく、色うつくしく
 咲けよ咲けよと、ささやきながら

 春の小川は、さらさら行くよ
 えびやめだかや、小鮒の群れに
 今日も一日ひなたでおよぎ
 遊べ遊べと、ささやきながら

なぜこの話題にしたかというと
先日車に乗っていたら
FMラジオからこの歌が流れてきた。
その歌詞が1942年のものだったのだ。
「咲いているねとささやきながら」?????
この歌詞はなんだ?
最近はこういう歌詞になっているのか?
・・・と思ってネットで調べてみたら、前段の如し。
文語体の歌詞は知っていたが
それから現代の歌詞になる前に
もうひとつの歌詞があるとは知らなかった。
しかも、文語調が普通に使われていたであろう戦中に。
面白い。

写真は小川ではないが
私の自宅近くを流れる豊沢川を太田橋上から眺めたもの。
この少し下流は「さいかち淵」といわれ
宮沢賢治さんの「風の又三郎」の舞台となっている。

ところで、
この2人が作った歌の中で一番秀逸だと思うのは「故郷」。

 うさぎ追ひし彼の山
 小鮒釣つりし彼の川
 夢は今も巡りて
 忘れ難き故郷

 如何にいます父母
 恙無しや友がき
 雨に風につけても
 思ひ出づる故郷

 志を果して
 いつの日にか歸らん
 山は青き故郷
 水は清き故郷

歌詞もメロディーも素晴らしい。
特に3番の最後は涙が出てきそうだ。
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はなまきテイクアウトマップ

2020-04-18 | 風屋日記
花巻市地域おこし協力隊の塩ちゃんが
今全力で取り組んでいます。


こんな状況下ですが、
花巻市民の方々はいろんな味をお楽しみいただきながら
それぞれのお店を支援していただければと思います。

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コロナ禍支援花巻プロジェクト

2020-04-17 | 世界・平和
いうまでもなく、「密集」「密閉」「密接」の三密回避や、
感染拡大地からの来訪拒否・自粛の影響で、
観光都市花巻市内においても重大な産業停滞が始まっています。
一方で国からの支援策は充分なものではなく、
たくさんの企業、店舗とも経営存続の危機に瀕しています。
この際、花巻市独自でできるだけの策を早急に講じることが急務です。
それを鑑み、有限責任事業組合machi R&Eでは
「コロナ禍支援花巻プロジェクト」を立ち上げることといたしました。

2年間有効、500円チケット6枚綴り3000円の
「いわて花巻未来チケット」を、支援店舗指定で販売します。



それに先立ち、参加企業・店舗を募集します。
花巻市内に本社を持つ全業種、全企業・全店舗が対象です。
(経営者が花巻在住の方もOK)
参加企業・店舗の「未来チケット」を支援者に買っていただく方法です。
詳しくは文書にまとめてありますので
興味ある企業・店舗の方は下記メールアドレスまでご連絡いただくか、
facebookイベントページにメッセージください。
詳細をお伝えいたします。
なお、チケットの販売は4/25からスタートの予定です。

Kazeya.kitayama★gmail.com(★を@に変えてください)


焼け石に水の対応かもしれませんが、
手をこまねいている状況ではないと思います。
観光都市として、
そして主に市民に愛されている飲食店への、
多少なりとも支援につながることを期待します。
南米のハチスズメ寓話のように、
私たちは私たちができることをしようと考えました。
少しでも苦境にある企業・店舗の助けになればと思います。
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青梅の老人ホームにて

2020-04-16 | 風屋日記
親父が死んだのは私が33歳、1993年のことだから
あれはその2年ほど前、1991年ごろの話。
その前年、親父は一度危篤に陥っていたので、
危篤を脱してからは、今のうちに・・・といろんな昔話を聞いた。
特に親父の家系(特に親父の母方)は複雑だったので
そのあたりのこと、親戚関係や祖母、曽祖母の話が中心だったかな。
自分のルーツにも関わる話なのだが、
そういう話を知っている人がみんな鬼籍に入ってしまい
今ではもう私以外には知らないだろうと思う。
(お袋ですら知らないと思う)

親父の母方の曽祖母は、一度西舘という男と結婚し
夫婦で荻原という家へ養子に入って、3人の子をなした由。
(長子が親父の母親)
その後離婚し、荻原の家を出て、別の人と再婚したとのこと。
明治20年代終わり頃の話だ。

別れた西舘某も再婚し、何人か子を持ったらしいが、
なぜか母について再婚家に行った親父の母(私の祖母)は
別れた父親である西舘家ともつきあいがあった。
西舘某が再婚後に持った男の子が、
親父がよく話題にしていた「西舘のおじさん」だった。
戸籍上は自分の母親の腹違いの従姉妹だから
確かに「叔父さん」には違いない。
楽しい人だったらしく、私も伯父たちから思い出話をよく聞いた。
東京に住み、「甥」たちが若い頃お世話になったのだとか。
親父が終戦後、岩手からなぜか名古屋の大学に入ったのも
どうやら「西舘のおじさん」が関係していたようだ。

「西舘のおじさん」は亡くなったようだが、「おばさん」がご健在で、
青梅の老人ホームにいるらしいと親父から聞いたのは
危篤から脱した後で親父から昔話を聞いていた時だった。
ちょうど仕事で東京出張となる。
要件は午後からだから、午前中なら青梅まで行けるかもしれない。
ということで、朝イチの新幹線で上京し、
中央線に乗って青梅、駅からはタクシーで老人ホームに向かった。

係りの人に案内してもらった部屋で
「おばさん」はベッドの上にちんまりと座っていた。
入って来た私の顔を見るなり「◯◯ちゃん!(親父の名前)」と。
「そんなに似てますか?笑」と私はベッドサイドに座り
親父の息子であること、親父からいろいろ話を聞いていること、
そして親父が病気で来られないので代わりに来たことなど話した。
「おばさん」はわかったのか、わからないのか(認知症だった)、
何も言わずにニコニコ聞いている。
そのあとポツリポツリ話してくれたことはよく聞き取れなかったが、
どうやら娘さんがいて、時々会いに来てくれること、
お孫さんがかわいいことなど話してくれたようだった。

仕事の関係で、私に許された時間は30分。
今思えば写真でも撮って、親父に持って帰ればよかったのだが、
当時は携帯電話もないし、自分のカメラも持っていなかったから
そんなこと思いつきもしなかった。
そろそろタイムアップということで、立ち上がった私に
「おばさん」はベッドサイドのビニール袋から
せんべいやら、飴やら、ひと口チョコレートやらを
「これ食べてね」と、私の手の中にどんどん突っ込んでくる。
手から溢れそうなお菓子を見ていて、不覚にも涙が出てきた。
親父が言っていた通り、本当に優しい人だった。

なかなか立ち去りがたい気持ちを押し殺してホームを辞し、
昼メシも食べずに走って仕事に向かったが
それから30年近く経つ今もその時の光景が忘れられない。
「娘さん」の名前も連絡先もわからないし、
「おばさん」の消息を親父に知らせてくれた伯父も亡くなり、
その後「おばさん」がどうなったか聞いていない。
私が31歳の頃の話。
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