男と女は違う。
男同士でも、女同士でも違う。
なんなら一緒に育った兄弟姉妹でも違う。
音楽好きでも、クラシックだったり、ロックだったり
ロックでもメタルだったり、70年代ブリティッシュだったり、
映画好きでも洋画だったり邦画だったり
ラブストーリーだったり、ヒューマンだったり、ホラーだったり。
使う言葉や文化も違うし、生活慣習も違う。
嗜好品も違えば、恋愛対象も違い、性自認も違う。
できることとできないことはひとりひとり違う。
要は「マジョリティ」ってなんなのかってこと。
なんらかの共通点を持った同士がコミュニティを作るのはいいけど
もちろんそれが全てではないし、価値観まで共通ではない。
誰か他の人のことを完全に理解するなんてのは絶対に無理だ。
ひとはみんな「ひとり」で、ひとつひとつの命。
東日本大震災の時に北野武さんが
「数万人犠牲になったひとつの事件が起きたんじゃない。
ひとつの命を失った事件が数万件一度に起きたんだ」
と語っていたけれど、それだけひとりひとりの命は大切だ。
だから今回のコロナ禍で
「今日○人亡くなった。累計○人の犠牲」とか
「世界中で死者が○百人を超えた」とか
犠牲者を数で語っていることに強い違和感を覚える。
自死を選んだ役者さんのことを
あれこれわかった風に詮索するのも違うんじゃないかなと思う。
そして、そんな大切なひとりひとりが
誰かの目を気にしたり、誰かのために何かを我慢したり、
ましてや誰か(何か)のために命をかけさせられたりということは
間違っていると強く思う。
「不謹慎だ」とか「ゲス」とか「世間に謝れ」とか
本人たちをよく知らない人間が非難するのもどうなんだろう。
自分とは違うイデオロギーや政策に対して
異議を唱えることは、その国の国民として当然の権利だが
人間性までどうこう言うのはおかしいと思う。
(その任にあらず・・・というのは人間性とは違う)
この世界が
「個」を大切にする社会であって欲しいと強く願う。
だって元々、社会という組織は
個々が生きやすくなるためにあるのだから。