ここに「もりおか印刷由来」という1冊の本がある。
かつて勤めていた老舗印刷会社は
1993年に創業100周年の事業を行ったのだが
その一環で私家版として製作した本だ。
私が編集に携わった初めての本だったかもしれない。
前半はその会社の創業者の明治32年生まれの娘が
(当時95歳で、東京で健在だった)
昔を思い出しながら書いた会社草創期の記録。
日露戦争に勝った提灯行列を覚えているという方なので(^^;
実際に見聞きした記憶が鮮明で驚く。
「近所で電気を引いているのは・・・」みたいな話がすごい。
宮沢賢治さんも出入りしていた時代だ。
中盤は当時の会社(経営者一家が住んでいた)に
大正7年、旧制中学入学のため下宿した経営者親族の思い出。
原敬暗殺の際、郷里に帰った遺体を中学校生全員で出迎えたそうだ。
のちに東大から旧東京市役所に勤務し、
二・二六事件を目撃したという話を聞いたことがある。
歴史の目撃者が2人もこの本の中でまだ生きている。
この写真の後ろの右側がその人。
大正8年とあるから、おそらく旧制中学2年の頃だろう。
今の中学2年と同じ歳だが、風格が違う。
そして後半が岩手県における印刷業の歴史なのだが、
なんとそこに明治4年、、当時9歳だった新渡戸稲造が出てくる。
文明開化が始まる近代日本の夜明けに乗り遅れまいと、
当時の旧南部藩士家の子である少年たちが
11日間かけて東京まで歩いて行き、遊学したというのだ。
9歳の新渡戸が東京まで歩いたことが驚き。
出してやった親もすごい。
その仲間たちのうち堀内という兄弟が活版印刷の技術を学び
盛岡に持ち帰ったのが、岩手の鉛活字の始まりとの由。
江戸期から、花巻城で木製活字は活用されていたようだが
西洋技術であった鉛活字は情報インフラを飛躍的に向上させた。
活版印刷はオフセット印刷になり、今はオンデマンドもある。
活字は写真植字(写植)になり、電算写植になり、
今はほぼ100%コンピューターレイアウトだ。
(私は写植の頃から知っている)
情報インフラは(新聞を含む)印刷からラジオ・テレビの電波、
そして現代はインターネットと進化を続けているが、
どのメディアも長短あるので、使い分けが必要だと思う。
印刷は決して旧い情報メディアではないから
その歴史を知ることも貴重だと思うのだ。