風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

週刊ベースボール

2018-07-31 | 読書


ちょっとひっくり返すと
不思議なものがたくさん出てくる実家(笑)



こんなものとかね(笑)
今回は古い週刊ベースボールがたくさん出てきた。

小学生の頃、とにかく野球が好きだった。
阪神タイガースのエース江夏豊のファンではあったけれど
特定のチームや選手にあまり偏ることなく
高校野球でも、大学野球(当時はNHKで中継があった)でも
そしてもちろんプロ野球でも夢中になって見た。
そんな息子のために、
親父が時々この雑誌を買ってくれるようになったのだ。
週刊誌だから、時間が経つと情報が古くなる。
それでも「週べでは以前こう言ってたけど、結果こうなったな」とか
その年で引退したベテランの姿がバックナンバーに残っていて
それが好きな選手だったりすると取っておいたりして
いつの間にか古いものが溜まっていったのだろう。

今回の発見で、一番古いものは1972年の6月発行号。
王さんも、長島さんも、江夏さんも、田渕さんもまだ現役。
野村さんや山田さんもいた。
渋いところでは福本さん、黒江さん、平松さん。
東尾さんが「若手投手」として紹介されている(笑)
なんか、みんなそれぞれ個性を持ったサムライで、
ウデ1本、バット1本で身を立てているという気概というか
職人肌の選手ばかりだ。
現代野球のように洗練されてはいなかったのかもしれないが
監督とぶつかったり、意地の勝負を仕掛けたり
雑誌の内容も読んでいて楽しい。

出てきたもので一番新しいのは1982年のもの。
これは私がまだ大学に在籍していて東京に住んでいた時のもの。
春のキャンプ中に発行されたものだから
その年のシーズンを占う内容が実に面白い。
同い歳のルーキーだった木戸選手はのちに阪神の不動の捕手。
この歳にやってきたバース選手は動きが鈍いと酷評されている(笑)
木戸選手と法政でバッテリーを組み、日本ハムに入った田中富生投手も
思い出してみれば同い歳だったなぁ。
当時29歳の強打者で、すでに3年連続三冠王だった落合選手が
セカンドからファーストのコンバートされたのもこの歳だったか。
「原は巨人の4番になれるか」なんて見出しも懐かしい。

取っておいても仕方ないので
処分しなきゃいけないんだろうけど、
今は忘れられた選手たちの現役時代が載っているのを見ると
簡単に捨てちゃいけない気がするんだなぁ。
「この人たちもこの頃はプロ選手として輝いていたんだよ」と
大事にしてあげたくなるんだ。
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イーハトーブ音楽祭2018

2018-07-30 | 音楽








今年もやってきたこの季節。
花巻の夏を彩るイーハトーブ音楽祭だ。
今週末、8月4日〜5日の2日間、
なはんプラザ周辺に3ステージを設け
今年は花巻市内、市外の岩手県内はもちろん、
八戸から、秋田から、東京から62ユニットが出演。
花巻駅前は音楽漬けの2日間になる。

とはいえ、大規模な音楽フェスとは違い
ゆるゆると、和気藹々と
演者も観客も、みんなで楽しむことができるのが
12回目になるイーハトーブ音楽祭のいいところ。
遠くから参加のミュージシャンと地元の音楽好き達、
演奏者と観客などのつながりができるのも魅力の一つだ。
暑い時期とはいえ、南や西の地方とは比べ物にならない程度。
北国の短い夏を音楽で楽しみたい。

私の関係では、風犬で東京の仲間達とはっぴいえんどを
風音★楽団では最小メンバーにピアノのサポートをもらって
いつものゆる〜い沖縄ポップスを演奏予定。
今回来てくれる東京の仲間達では
カマキリが楽しいステージを、モンクロイズが熱いステージを、
そして念願の出演となったダメ人間ブラザースの
ファンキーでブルージーなステージを個人的にも楽しみたい。
彼らの演奏を花巻の人たちにも知って欲しくて
ずーっとオファーを続けていたので、
たくさんの人たちにも見て、聴いて欲しいのだ。

上記の出演はすべて4日の土曜日。
特に14:50からの風犬以降、連続して出演番となる。
風犬、カマキリ、モンクロイズ、ダメ人間ブラザースは野外Aステージ、
風音★楽団はBステージで大忙し。
ちょっと残念なのは、風音★楽団と同じ16:50〜17:20の時間帯、
Aステージは仲間達であるK-BOX PROJECT、
Cステージは、これまた好きなれこちゃんと時間が被っていること。
彼らのステージも見たかったなぁ。

以下は昨年のイーハトーブ音楽祭より















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東京オリンピック

2018-07-29 | 世界・平和
最近、テレビのニュースやバラエティなどでは
あと2年となった東京オリンピックの話題が毎日のようにある。
新しい競技場の工事経過報告や聖火リレーのルート
そしてマスコットの発表や命名、オフィシャルショップ開店など。
まぁ話題には事欠かないようだ。
街(といってもほとんど東京都内)のインタビューでも
「ぜひ見たい」とか「ワクワクしますね」的コメントばかり。

でもね、首都圏以外の人で
いったい何割の国民がそう思っているだろうか。
少なくとも岩手県に住む私の周囲で
オリンピックの話題が出ることはほとんど無いし
マスコットやオフィシャルショップに興味ありそうな人もいない。
テレビのコメンテーターは
「日本が一体となって期待」とか「国民待望の五輪」とか
やたらとテンション高いけど、
それは「そうなって欲しい」という主催者サイドの声か、
もし本当にそう思って発言しているのなら
それは首都圏に住んでいる人達だけなのではなかろうか。

あえてこの記事のカテゴリーをスポーツではなく「社会」にしたのは
この現象が今の日本の状況を如実に表していると思えるから。
都市部で流行り、騒ぐ事項に対して
概して地方では「へーそうなの?」という反応だ。
もちろんそのムーブメントにちゃっかり乗っかることにより、
「オレも都会派だぜ」とスカしてみせる人達もいるのだろうが、
周囲から見ればそれも白々しい。

競技場建設に何千億もの公費が使われることに対し
当初あれだけ騒いだことも忘れられ
他競技や付帯施設を合わせると兆がつきそうな予算。
地震や津波、水害、台風禍などの復興支援のは雀の涙で
「災害」と気象庁が警鐘を鳴らす猛暑に対しても
政府内に対策本部ができたと聞いたことがない。
学校のエアコン設置は遅々として進まないどころか
「設置は反対」などという首長まで現れる始末。
猛暑対策が練られる前に、自転車とマラソンで1000kmとか、
聖火展示を東北地区で重点的に行うとか、
訳のわからないお祭り騒ぎが計画されているという。
開催時期に心配される猛暑や台風などに対しても
真剣に対策を練られているとは思えない。
そんなことより、関係者の浮かれ具合にもが目につく。

この状態をおかしいと思わないのが不思議だが、
国民は何を言っても無駄だと諦めているのかもしれない。
そういう空気を読めない国のトップこそ問題なのだが。
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Machicoco便り vol.30

2018-07-28 | マチココ


7月中4回計画した浴衣散歩DAY in 花巻宵宮も
今日が最後の鍛冶町 如来堂。
花巻出身のシンガーソングデュオ*はなおと*も
フリーライブを予定してくれているようです。

7月1ヶ月間にわたる、花巻の夏を彩る宵宮も終盤。
ぜひ皆さんも浴衣でお出かけください。

おかげさまで過去3回の浴衣散歩DAYでは
たくさんの方々の写真を撮影させてもらえました。
8/10発行予定の花巻まち散歩マガジンMachicoco9号に
ステキな皆さんの笑顔を掲載する予定です。
お楽しみに。
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第2回 花巻の観光まちづくりセミナー

2018-07-27 | 生活の風景


一昨日は「カンタ卒業式」の前に
花巻市観光協会からのお誘いでこのセミナーに出席。
先月行われた第1回に続き、私自身2度目の出席となった。

花巻は農業も工業も盛んだが、全国的には観光都市。
コンテンツが他の町に比べてたくさん揃っている。
そんな花巻の観光施策上の課題はいくつかあるけれど、
特に挙げるとすれば
「観光によってまち全体が儲かる仕組みができていないこと」
「それぞれのプロモーションがバラバラで戦略的ではないこと」
の2点だと思う。
どちらもネットワークができていなくて連携不足。

それと、観光関連業以外の産業の観光意識が低いこともあると思う。
花巻の温泉に海外からの観光客が何万人も来ているのに
その人たちを「まち」に呼び込めていないのは
「まち」そのものの魅力アピールが足りないことと
「まち」にインバウンド対応ができていないためだと思われる。
観光というのは観光業だけではなく
農業、商業、工業も一緒になって考えなければいけないことだし、
市民レベルでもその意識を持たなければいけない。

プロモーションに関しては
前述のような、それぞれバラバラなやり方も問題ながら
例えばパンフやwebサイトを作っても、
作るのが目的となってプロモーションに結び付かなかったり、
リサーチができていないので一方的に言いたいことだけになってしまい、
表現上効果的なトリガーをうまく作れなかったり。

今回のセミナーではイベントの問題点も指摘されていた。
ひとつには、前述にも関わるが
既存観光コンテンツや地元商店と連携が取れていないイベントにより
ひとは来るけど地元商店街が疲弊してしまうとか、
単発イベントの乱立により相乗的、継続的な経済効果を生み出せないとか。

だからこそ、きちんとリサーチ&マネジメントできる
そして各産業や行政が参加した、戦略的プロモーションができる
花巻独自のDMO(Destination Management Organization)が必要
・・・というセミナーだった。
観光を通じた経済効果だけが目的ではない。
商工業や農業振興はもちろんのこと、
少子高齢化を含む人口減少にも、市街地活性化にも、
公共交通機関整備にも、雇用増加にも効果が見込める。
早急な準備が必要だと感じている。
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カンタくん卒業式

2018-07-26 | 世界・平和


昨夜は花巻市に地域おこし協力隊員として東京からやってきた
カンタくんの3年任期満了に伴う卒業式第2段。
第1段は先週末東京で、第3段は今週末西和賀町で、
そして最後の卒業式は任期満了日の31日に本拠地カンタハウスで
それぞれ行われた(る)。

花巻での昨夜は農家カフェファームプラスにて
付き合いのある農家さんや知人、友人、市役所の方々など
20人以上が集まってのバーベキューとなった。



カンタくんは初めからトレードマークであるチンドン屋の白塗りで



まさかのアンパンマンのテーマを弾き語るというパフォーマンス。
大いに盛り上がった。
彼が花巻に溶け込み、みんなに愛されるようになるまでには
おそらく彼なりの戸惑いや、迷いや、艱難があったと想像する。
しかし、たぶん良い意味での開き直りや大雑把さを持てたことが、
そして(マチココスタッフやチンドン屋までやり始めたりして)
自らも積極的に人とのつながりを持ち続けたことが、
これだけの人たちの支持を集める結果になったのだろう。

大迫町という、伝統的生活風習も残る山間の町で
ぶどう農家の支援が彼の当初のミッションだったのだが、
3年目にはとうとう自分でぶどうを作り始め
いまでは「ぶどう農家」と名乗り始めてもいる。
昨夜の、今後の決意表明では
「任期が切れた後も、あと3年、30歳になるまで大迫に滞在し、
 ぶどうを作り続けながらそれからの自分の人生を考えたい」
と宣言していた。
3年後、そのまま花巻に移住するのか、東京に帰るのか
という選択をするみたいな話だったけど、
そして集まった人たちも
「そのまま花巻にいるんでしょ」みたいなニュアンスで応えていたけど、
人生の選択は二者択一ではない。
そのどちらかでも良いし、第3の道を選んでも良い。
あるいはどちらかに決めず、
2拠点で花巻と首都圏の架け橋になるのもアリだ。
彼の人生は始まったばかり。
毎日を、人とのつながりを楽しみながら、
やりたいことを続けてみれば良い。
そのうちに自然にその先の道が見えてくる。
花巻市にとってはもう欠かせない人材になっているんだけどね(^_-)
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歴史に学べ

2018-07-25 | 世界・平和


ほぼ欠かさず、NHK大河ドラマ「西郷どん」を見ている。
幕末もののドラマに関しては、
奥羽列藩同盟として最後まで戦った南部藩の人間でありながら
先祖が長州(父方祖父が山口県出身)という出自のワタシ、
いつも複雑な思いで見ることが多く、今回も
「なぜ福島出身の西田敏行がナレーション?」とか
「清廉潔白な人物だとは思うが、美化されすぎてないか?」とか
心の中でツッコミ入れながら視聴している。

しかし、そういう立場だからこそ
逆にどちらにも思入れを抱くことなく
客観的な見方ができるのかもしれないと思い始めてもいる。
私から4代前の祖先寅吉が長州で生きていた時代、
父方祖母の系譜で言えば、南部藩足軽として
もしかしたら京都守護の役目を担っていたのではないかという時代。
割に身近な歴史として見ることができているのだ。
(ちなみに母方祖父は南部の農民、祖母は伊達藩重鎮の系譜)
そういう方々が子孫の時代に出会い、子をなし
今のワタシがいる。

さて幕府側と新政府を設立する薩長土肥と、
どちらかに肩入れしてみている人も多いと思うが、
(特に新選組ファンや司馬先生ファン、明治政府マンセーの保守系の方々?)
どちら側へも思入れが多い個人的には
ひとつひとつの史実を悲しい思いで見ることになる。
まずは「どちらも真剣なるが故の悲劇」、
そして「尊皇攘夷」を謳ってテロや革命を成し遂げたはずなのに
時代が変わった途端に国の欧風化を急ぎ
日本古来の伝統文化や価値観を破壊してしまった明治政府。
なかでもイデオロギーを信じての行動に見えながら
実はいろいろな私憤が渦巻いていた数々の殺し合いが悲しい。

安政の大獄が桜田門外の変を招き、
その恨みを抱いたままでの長州のテロ、
役目の忠実であろうと力でそれをねじ伏せた新選組や会津兵、
池田屋事件や禁門の変で殺された仲間の敵討ちになってしまった戊辰戦争。
白虎隊をはじめとした会津の悲劇はそれらの恨みつらみが
積もり積もった結果なのだろうと思う。

反対勢力を力でねじ伏せようとすると
その反動パワーは消えるどころか2倍にも3倍にもなっていく。
旧日本軍の朝鮮半島や台湾での圧政もそうだし
(70年以上経った今に至るまで恨みは消えない)
イスラエルとパレスチナも、ベトナム戦争も同じ構図。
アルカイダやISの台頭も、そういう反動パワーだったと思うのだ。

明治150年でこのドラマの企画が生まれたらしいが
その意図は如何なものかと思う。
それよりもポピュリズムにより国際的な対立が高まっている中、
あるいは為政者による意図的な(?)他国脅威論が唱えられている中、
「暴力は暴力しか生まない」ことを
今こそ歴史から学ぶ必要があると思うのだ。
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松ぼっくりのヨーグルト

2018-07-24 | 食べ物・お店




普段自宅では
湯田ヨーグルトか岩泉ヨーグルトを食しているが
先日スーパーで見つけたのは
ジェラートアイスで有名な
雫石町の松ぼっくりのヨーグルト。
へぇ〜、松ぼっくりでも出しているんだねぇ。
ポッテリ、ズシリの湯田ヨーグルトや
トロトロ岩泉ヨーグルトとはかなり違い
なんだか昔懐かしいプリン状のヨーグルト。
味も牛乳の香りを残しつつ、酸味が感じられて
昔食べたヨーグルトに近い感じ。
そういやちっこい牛乳瓶みたいなやつに入った
ヨーグルトをおやつによく食べたよなぁと
子どもの頃を思い出させてくれた。
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小さな活版印刷機 by 大人の科学

2018-07-23 | 読書


書店でこんな付録がついた雑誌見つけたら
もう矢も盾もたまらず買うでしょ(^^;
よくぞこういうものを作ってくれました。



さっそく組み立て。
結構複雑な仕組みなのでちょいと難しかったけど
なんだか子どもの頃のプラモデルみたいで
作る過程も楽しかった。
値段が値段なのでプラスチッキーなのは仕方ないけど
ビジュアルや仕組みは本格的な活版印刷機。
ひらがなやアルファベットの活字も付いてくる。
もちろんそれらの活字に高さを合わせれば
消しゴムハンコなどの凸版印刷も楽しめる作り。
これでカードや名刺など作るのが楽しそう。
活版印刷独特の立体的な印字が嬉しい。

付録メインかと思いきや
本冊の雑誌の内容もなかなか面白い。
付録用のエンボス加工がしてある紙も綴ってあり
様々な使い方の説明とともに
活版印刷の歴史や工場用の機械の紹介など
とても興味深い内容。

台湾に活版印刷機と活字を借りられことができる店があり
結構人気と聞いたことがあるし、
東京でも割販にこだわっている印刷所があると聞いたけど
自分で組版して本を1冊印刷してみたいなぁ。

「大人の科学magazine」学研プラス
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ぼでごん亭

2018-07-22 | 食べ物・お店
一昨日の金曜日は夜行バス往復による東京日帰り出張。
仕事終わりに、バスの時間まで
こんな昭和な洋風居酒屋でご飯を食べた。。









どうやら私が大学生だった頃には
もう営業していた老舗らしい。
当時からそのままだと思われる店内の雰囲気がgood。
懐かしい雰囲気で、学生時代に戻ったみたい。



場所は新宿末広亭の真ん前。
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Machicoco便り vol.30

2018-07-21 | マチココ


今日は「浴衣散歩DAY in 花巻宵宮」3回目。
駅前、吹張町に続き、
今日もマチココカメラマンが出動します。
浴衣姿を撮影させていただき、
次号(8/10発行予定)に掲載する予定です。
梅雨も明けました。
浴衣で夏を楽しんでみませんか?
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東京

2018-07-20 | 


早朝到着。
曇っているのに、ムッとする空気。
明らかに花巻と違う。
日中になったらどうなるんだ?
晴れてくれなくていいよ(^^;
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いま高校3年生だったら

2018-07-19 | 風屋日記
高校3年当時、
私は進路方向として文章修行しか考えていなかった。
目指すは文芸科で、
当時は早稲田の一文、二文と日大芸術にあった。
個人的には日芸か、
二文に入って昼間は出版社でのアルバイトを妄想していた。
・・・のだが、
そんなつぶしの効かない進路に、
当時高校教員で進路指導担当だった親父が納得するわけがない。
妥協点を探って、結局は国文科。
国文学を専攻したものの、重箱の隅をつつく作家論が退屈で
国語学の方に興味を持って卒業、いまに至る。

さて、いま私が高校3年だったらどんな進路選択しただろう。
あのころ「この道しかない」と考えていた文章修行は
いま考えれば別に大学で学ばなくてもよい。
それよりも自分の興味の範囲を拡げる道に進んだ方が良かった。
まぁ、今でも日芸や早稲田二文に行きたかったという気持ちはあるが
同時に国語学、言語学、文化人類学の道も捨て難い。
国内の民俗学、海外がフィールドの民族学ともに面白く感じる。
考えてみれば、大学時代も宗教学や有職故実が好きだった。
興味の方向性は当時も無意識に持っていたんだねぇ。

今なら国際系にも興味がある。
文化や言語は前述のとおりだけれど
歴史的背景から国際交流や国際政治なども学んでみたかった。

そしてここ4〜5年で興味が湧いたというか
仕事を通じて新たに知った世界が建築。
知らなかったころのイメージは構造や強度など
数字にまみれた世界だと思っていたのだが(笑)
単に建物を建てるだけではなく
マーケティングやコンセプトを基にしたデザインの仕事であり、
単一建築物のみならずまちづくりそのものにも科変わる仕事と知り
俄然興味が湧いてきている。
考えてみれば昔から保存古民家や古い建物が好きで
それを生かした環境にも興味があったので
これももともと潜在的に興味ある分野だったのかもしれない。

会社で経営に携わっていたころは
なにしろ人事、法務、財務、会計などのコポレート業務の素人で
すべてゼロからひとりで学んできた。
通信制の大学に編入して法律や経済を学ぶことも考えたが
なかなかその機会がないまま退職してしまった。
中でも法律、しかも労働基準法や商法など
今でも面白いと思っているんだ。

なーんて、「タラレバ」の話でした。
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トンボ

2018-07-18 | 生活の風景


福島以南の東日本〜西日本では
記録的な猛暑の日々が続いているらしい。
当地を含む北東北や北海道では
湿度は高いものの、気温が30度に達したのは数日で
25度〜30度未満の日が続き梅雨明けもまだ。
ぼちぼち明けるとは思うけれど
ミンミンゼミやヒグラシ、カッコウの声の中
もうトンボが飛んでいる。

どんなに暑い夏でもお盆が来て
花巻まつりの小屋がかかる頃には
朝晩涼しくなってくる。
北国の夏は短い。
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バンカラスタイル

2018-07-17 | 文化


あえて「文化」カテゴリーで。
タイトルを「バンカラ」や「バンカラ応援」にしなかった。
なぜなら花巻北高を始めとする岩手県の伝統校に引き継がれている
いわゆる「バンカラ」はファッションでも応援スタイルでもないから。
それをちょっと説明したくて、今日はこの話題。

以前NHKの国際版番組→こちら で花巻北高のバンカラが取り上げられた。
この番組を見ると、バンカラは応援だけのようにも見える。
しかし本当のバンカラとは哲学であり、理念であり、ライフスタイル。
元々は旧制高校生たちのスタイルだった。
ハイカラな風潮のアンチテーゼとして、
軽佻浮薄に陥らず、普遍なものを追い求めて哲学と思索を追求した。
そこには「格好なんぞに気を使っていられるか」という気概があった。
もちろん貧しい時代だったということもある。
特に戦争前後は服も靴も満足に手に入らないし、
あっても買えない苦学生もたくさんいた。
服が敗れれば繕って着るし、靴がなければ下駄で通学する。
ハンカチなんて洒落たものは持っていないから
腰に手ぬぐいをぶら下げて、手を洗うとそれで拭いていた。
それで良しとする気風がバンカラでもあった。

戦後学制改革があり、新制高校(旧制では中学校)の時代になっても
スニーカーやデイパックなどというハイカラなものはないから
ズックのカバンを肩から下げ、つんつるてん(これ死語か?)の学生服に
裸足で下駄・・・これが全国的に普通の学生の姿だった。

時代は高度経済成長の時代を迎える。
ものがどんどん市場に溢れてくるようになり
都会の高校生たちは革靴を履き、おしゃれをして通学するようになる。
岩手の高校生たちもどんどんいろんなものを身につけるようになっていった。
いつの世も若い世代は最先端なものに敏感なのだから。
その中で、旧制中学から続く伝統校では
先輩たちから続くアイデンティティともいうべきスタイルを変えることを
決して良しとはしなかった。
私が高校時代の1970年代後半頃は
一般生徒も手ぬぐいを腰に下げ、下駄や足駄を履いて





先輩から受け継いだボロ帽子をかぶって街を闊歩した。

それから約40年。
まだまだ母校にバンカラは生きている。
バンカラスタイルの一般生徒こそ見なくなったが、
応援団幹部たちは我々の頃からずーっと引き継いできた
ボロボロの学生服を着、腰手ぬぐいに足駄で歩く。
それはOBとしてはとても嬉しいことだし
社会全体が貧しいわけではなくなったこの時代まで
伝統を受け継いでくれることに感謝もしたい。
たださすがにその程度は「服」ではなくなりつつある。
精神を受け継いでくれていることをOBなら理解はできるが
外部から見るとコスプレにしか見えなくなっているのかもしれない。
代々受け継ぎをやめろと言うつもりはないが、
もっときちんとした修復を考えていい時期かもしれない。

それと、ひとつだけ後輩たちに考えて欲しいことがある。
冒頭書いたように、バンカラは単なる応援スタイルではない。
また「漢」とか「硬派」とかいう言葉が並ぶ
いわば体育会系のスタイルとはある意味真逆の概念だ。
どちらかというと、本質を見極め、真理を追究する、
哲学的、文化的概念を基本とするライフスタイルだと思う。
だから「押忍」という言葉は我々のバンカラの概念には似合わない。
イメージは「鉄人」ではなく「哲人」。
10代の高校生にそれを求めるのは酷かもしれないが
我が校の後輩たちだからこそできると信じている。

部活に、勉学に、目指すべき進路に、精一杯青春を懸け、
一見どうでもいいように見えることにも情熱を燃やしながら、
今この立場だからこそできる様々な分野の読書や思索に
できるだけ時間を割いて、リベラルアーツを身につけて欲しい。
それが桜雲同窓生としての資質を育むことになると思うし、
現代を生き抜く術にもなると思うのだ。
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