友人・知人に何人か、心の病に苦しむ人がいる。
共通しているのはみな、マジメで優しい人だという点。
なぜこんないい人が、と思うケースがほとんど。
でも、真面目で優しいからこそ、なんだろうなあ。
どうも一般に「立派な社会人」とされている虚像って、
結局「組織にとって都合のいい人」と近似値だったりもする。
「大人として恥ずかしい」とされる、
時間を守れない人、イヤなことはイヤだと言う人、
組織よりも自分を大切にする人、仕事よりも趣味に生きる人、
どれも別に道徳的な悪なんかじゃないし、
むしろ僕には人間らしいとさえ思える。
そういう人が、
たくましく組織を離れて自力で生きていけるならそれで良いし、
何とか組織の中で折り合いつけて帳尻合わせてやっていくのもアリだし、
建前はうまく合わせてほどほどに手を抜いたりして器用にやっていくのもひとつ。
もちろん、本気で組織の色に染まっていても、
それが自分の軸になっているなら、それはそれで幸せなのかも知れない。
そのどれでもない人々が、
傷つき、自責の念に駆られ、心を病む。
真面目だからこそ、組織や上役の都合の良い叱責を真に受けてしまう。
基本、会社で言われることなんか、
建前だし、ムチャブリだし、
上役のメンツを立てるためだけの論理だったりもするから矛盾してる。
だから受け流してしまえば良いのだけど、
「会社で求められる役割が果たせない自分」を責めてしまう。
優しいから文句も言えない。
真面目に一生懸命やってきたことが評価される生き方をしてきたのに、
ここにきて真面目にやればやるほど自分を削ることになってしまう。
なんだか、気の毒でしょうがない。
僕はずーっとワガママな生き方を貫いてきて、
そのせいで随分損もしたけれど、
幸いにメンタルは健やかなまんま来られている。
人並みに落ち込むことや塞いだこともあるにはあるけれど、
どれも病院のお世話になるようなレベルじゃなくて済んでいる。
それは、僕がいつも楽な生き方をしてきたからだろう、と自分で思う。
怠惰だという意味ではなく(いや、怠惰だけどw)、
自然体という意味でだ。
僕はいい仕事をしよう、みんなを喜ばせよう、
と頑張ったことはたくさんあるけれど、
周囲が勝手に期待する「立派な人」であろうと思ったことは一度もない。
人に気に入られるために自分を装ったこともないし、
イヤなこと・イヤな相手は徹底的に避けてきた。
良くも悪くも、いつでも自分をありのままにさらけ出して生きている。
エラそうなことを言う割に有名でも金持ちでもないけれど、
誰に何を言われても、大して気にしない。
それがどうした、僕はおまえより幸せだぞと思って生きている。
それが良いのか悪いのか、でもとりあえず病んではない(はず)。
そんな生き方ができるのは、僕が強いからじゃない。
周りの人々に恵まれたから。そんな僕を認め、
味方になってくれる家族や友人たちが居たから。
本当にそう思う。
僕は僕として生きている以上に、僕として生かされている。
最近気づいたんだけどね。
人と違うということはすなわち孤独ということにほかならず、
孤独は何よりも堪えがたく、辛いものだ。
孤独に陥ることを恐れて、求められる自分であろうとし続け、
その結果が病んだ末の孤独であるとしたら、こんな皮肉はない。
何て世知辛い世の中だろうと思う。
みんな、学生時代はあんなにも明るく朗らかだったのに。
どうして社会に出るとこんなにも傷ついてしまうのか。
社会人ってなんだ。一人前ってなんだ。
責任なんて、個性や人格を塗りつぶしてまで担保しなければならないものか。
アホくさい。
一度しかない自分の人生より大事なものなんてあるかよ。
心の病で苦しむすべての友人に言ってあげたい。
お前は間違ってないぞ。開き直っちゃえ、ラクになれ、と。
共通しているのはみな、マジメで優しい人だという点。
なぜこんないい人が、と思うケースがほとんど。
でも、真面目で優しいからこそ、なんだろうなあ。
どうも一般に「立派な社会人」とされている虚像って、
結局「組織にとって都合のいい人」と近似値だったりもする。
「大人として恥ずかしい」とされる、
時間を守れない人、イヤなことはイヤだと言う人、
組織よりも自分を大切にする人、仕事よりも趣味に生きる人、
どれも別に道徳的な悪なんかじゃないし、
むしろ僕には人間らしいとさえ思える。
そういう人が、
たくましく組織を離れて自力で生きていけるならそれで良いし、
何とか組織の中で折り合いつけて帳尻合わせてやっていくのもアリだし、
建前はうまく合わせてほどほどに手を抜いたりして器用にやっていくのもひとつ。
もちろん、本気で組織の色に染まっていても、
それが自分の軸になっているなら、それはそれで幸せなのかも知れない。
そのどれでもない人々が、
傷つき、自責の念に駆られ、心を病む。
真面目だからこそ、組織や上役の都合の良い叱責を真に受けてしまう。
基本、会社で言われることなんか、
建前だし、ムチャブリだし、
上役のメンツを立てるためだけの論理だったりもするから矛盾してる。
だから受け流してしまえば良いのだけど、
「会社で求められる役割が果たせない自分」を責めてしまう。
優しいから文句も言えない。
真面目に一生懸命やってきたことが評価される生き方をしてきたのに、
ここにきて真面目にやればやるほど自分を削ることになってしまう。
なんだか、気の毒でしょうがない。
僕はずーっとワガママな生き方を貫いてきて、
そのせいで随分損もしたけれど、
幸いにメンタルは健やかなまんま来られている。
人並みに落ち込むことや塞いだこともあるにはあるけれど、
どれも病院のお世話になるようなレベルじゃなくて済んでいる。
それは、僕がいつも楽な生き方をしてきたからだろう、と自分で思う。
怠惰だという意味ではなく(いや、怠惰だけどw)、
自然体という意味でだ。
僕はいい仕事をしよう、みんなを喜ばせよう、
と頑張ったことはたくさんあるけれど、
周囲が勝手に期待する「立派な人」であろうと思ったことは一度もない。
人に気に入られるために自分を装ったこともないし、
イヤなこと・イヤな相手は徹底的に避けてきた。
良くも悪くも、いつでも自分をありのままにさらけ出して生きている。
エラそうなことを言う割に有名でも金持ちでもないけれど、
誰に何を言われても、大して気にしない。
それがどうした、僕はおまえより幸せだぞと思って生きている。
それが良いのか悪いのか、でもとりあえず病んではない(はず)。
そんな生き方ができるのは、僕が強いからじゃない。
周りの人々に恵まれたから。そんな僕を認め、
味方になってくれる家族や友人たちが居たから。
本当にそう思う。
僕は僕として生きている以上に、僕として生かされている。
最近気づいたんだけどね。
人と違うということはすなわち孤独ということにほかならず、
孤独は何よりも堪えがたく、辛いものだ。
孤独に陥ることを恐れて、求められる自分であろうとし続け、
その結果が病んだ末の孤独であるとしたら、こんな皮肉はない。
何て世知辛い世の中だろうと思う。
みんな、学生時代はあんなにも明るく朗らかだったのに。
どうして社会に出るとこんなにも傷ついてしまうのか。
社会人ってなんだ。一人前ってなんだ。
責任なんて、個性や人格を塗りつぶしてまで担保しなければならないものか。
アホくさい。
一度しかない自分の人生より大事なものなんてあるかよ。
心の病で苦しむすべての友人に言ってあげたい。
お前は間違ってないぞ。開き直っちゃえ、ラクになれ、と。
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