いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

どようび

2005-10-02 06:32:31 | 似非哲学の部屋
土曜日に仕事をするようになって1ヶ月。
思ったほど重荷にも感じないが、しかしできればやはり土曜は休みたい。
なぜなら草野球があるからである。
土曜勤務確定以来、1回も練習にでられなくてまことにストレスが溜まっている。
ああ~~~、野球してえよ~~~。

週に5日も仕事するのは人生初の経験だが、
やっぱり、なかなか他のことが出来なくなるね。
とかいいながらちゃっかりバイク始めてんだけど。
確かに2日休みがあるんだけど、連続してないから寝てるだけで終わっちゃうこともしばしば。
洗濯とか掃除とか、普段時間なくてなかなか出来ないこともやらなきゃいけないでしょ。
いまのところギリギリ、バランス保てているけれど、
俺、単純な繰り返しで先の見通せる生活ってやったことないし、
なんだか背筋が寒くなるモノを覚えるんだよなあ。
幸い今の仕事は変化に富んだものなので、単純労働の繰り返しという風には感じられないけれど。
でも、やっぱし休みが少ないと何のために生きてるんだか解らなくなって、
言いしれようのない不安に襲われる。
芥川が言うところの「漠然とした不安感」だろうか。
いやもちろん、俺は自殺なんてする気は今もこの先も毛頭ないよ。
俺は悲観主義の幼さも楽観主義の空しさも理解しているから、
究極の悲観主義としての楽観、すなわち「達観主義」を貫いている。
一言で表すなら「しょーがねーじゃんよー」である。

この言葉は、至極便利だ。

フラれても、「しょーがねーじゃんよー」。
挫折しても、「しょーがねーじゃんよー」。
大事な仕事に寝坊しちゃっても、「しょーがねーじゃんよー」。
受験や就職に失敗しても、「しょーがねーじゃんよー」。
カネがなくても、「しょーがねーじゃんよー」。
欲しいモノは買ってしまう、「しょーがねーじゃんよー」。
太ると解ってても食べちゃう。「しょーがねーじゃんよー」。
不倫しちゃう。「しょーがねーじゃんよー」。
尿に糖が混じる。「しょーがねーじゃんよー」。
千載一隅のチャンスを逃す。「しょーがねーじゃんよー」。
バンドをクビになる、「しょーがねーじゃんよー」。

あっ。


「幸福とは、あまりにも居心地の悪い状態であり、いたたまれないような不安感を招くものにされているのです。そのように洗脳され、条件付けられているのです。それだけのことなのです。そういった洗脳によって植えつけられた不安をごまかすために、文学や哲学による知性化という防衛機制が動員され、挫折が美化されたりします。」
(精神医療サイトの説明)

なるほどね。そうかもね。

でも、この「しょーがねーじゃんよー」は、現状を肯定も否定もしないのだ。
現実問題として起きてしまったことは受け容れるしかない。
あきらめているように見えて、実はそれでもなんとかやっていくしかないじゃん、
という達観の域なのである。
望むと望まぬに関わらず、生まれてきてしまったんだ、「しょーがねーじゃんよー」。
死ぬまで生きるしかないじゃんよー。
どうせ生きるなら楽しくやった方がいいじゃんよー。

俺は不幸かな?と思うような事態に遭遇した時、必ず考えることがある。

昭和20年8月6日、午前8時15分に広島に居合わせた人々。
ポルポト政権下で虐殺された多くのカンボジア人。
一生懸命生きているだけなのに毒薬を浴びせかけられて殺害される虫。
アウシュビッツのユダヤ人。
ハルビンで筆舌に尽くしがたい残虐な人体実験にさらされた731部隊の被害者。
人間魚雷「回天」の搭乗者。

彼らに比べたら俺の不幸など、一体どれほどのものか?
この上なく理不尽な展開で、想像に絶する苦痛を味わいながら、一切の希望もなく死ぬ。
それに引き換え、衣食住に不自由なく、考え一つで何でもできる現代日本に生きる俺。
人類史上これだけ恵まれた社会など他にないのだ。
なのにしょーもない理由で自殺するなんて、もう勿体なくって。
底知れぬ無念の内に悲劇的な最期を遂げた彼らを思うとき、
つまんないことに囚われてないで、一生懸命生きようと思うのだ。

俺が感じている不安は、安定と軽い束縛感による生ぬるい幸福感がもたらしたもので、
おそらくこれは今の生き方を変えて、再び不安定と自由の中に身を置かねば解決されまい。
しかしそれで安易に生き方をころころ変えるのではなく、
不安の存在をも否定せずに、心のどこかに置き続けて生きていくことが大事なのだと思われる。
この不安こそが、俺のアイデンティティなのだろうし、
これをなくしてしまったらその時こそ、心身とも俺の一番嫌いな凡百の大衆に染まる。
例え存在位置は社会の背景の一つとなろうとも、
そこで輝くことの方が重要なのだ。抽象的すぎるかな。
まあ、解る人に解って貰えればいいや。
みんながんばろうぜ。

しかし。
ほんの2ヶ月前はバイクのバの字にも興味なかったのに。
いや、「バ」の一文字に異様に興味を示すというのもどうかと思うが。
今やすっかりバイクに夢中。
不思議でしょうがない。
これってさ、やっぱりその、たとえばSMとかあるでしょ?
今の時点で俺はムチでしばいたりしばかれたり、ああいう世界にまーーーったく興味ないし、
理解するのも難しいんだけど、バイクみたいにある日突然、目覚めちゃったりするのかな?
どっかに手ぶつけて、ガン!「痛っ……いけど…なんか…ああ…」みたいな(笑)。

うおー。こえー。
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