少子化の問題が指摘されて久しい。
まあ、僕らの世代(団塊ジュニア)のせいみたいなんだけど(笑)。
(国家百年のために)産めよ増やせよの時代は遠く去り、
いまや自己実現・個人主義が何より大事なご時世だ。
一度しかない自分の人生、やりたいことは無数にある。
子供に「浪費」する時間を思うと二の足を踏んでしまう、
そんな感覚がなんとなく共有されているような気もする。
ましてや教育・育児には途方もない金がかかり、
行政の支援も手厚いとはとても言えない状況だ。
僕らの世代はバブル崩壊と「失われた十年」の煽りをもろに喰らい、
就職は「氷河期」と呼ばれるほどに激戦…というより荒涼だった。
まあ、当時Rebirth真っ最中の僕は何ら関係していないわけだが(笑)。
証券会社に就職したはいいが、それが倒産したなんて話も身近に多くあったし、
完全買い手市場の中で、会うたびに職を転々としている人も多かった。
おおよそ、自分の人生設計なんて考える余裕はなかっただろう。
僕の世代は人口が多く、大概どこへ行っても同い年に会えるものだが、
いわゆる収入的な「勝ち組」(嫌な言葉だ)でもなければ、
子供どころか結婚すら考えられないという人は多い。
大変にシビアな世代なのである。
それに対してこんな批判が加えられることがある。
いわく、今の30代は昔に比べて幼い、ワガママだ、身勝手だ、贅沢だ。
一人前の大人として、かつて旧世代がそうであったように、
貧しくともじっと耐えて家庭を築くべきだ。
そうして未来の日本を作るのに少しでも貢献すべきだ。
社会のことなんて、日本の未来なんて、知ったことかよ、
こういう姿勢が根本にあるからダメなんだ。
そうだろうか。
僕は自分の子供というヤツに非常に興味がある。
是非一度、お会いしてみたい。
男版と女版の2バージョンあればさらにいい。
家庭というヤツを築き、そこで父親という役割を演じてみるのも面白そうだ。
やってみなければそのまま人生は終了してしまうのだから、
どうせなら一度はやってみたいと思うじゃないか。
しかし、こんな僕をして、
所帯樹立適齢期とも言うべき30過ぎてなお、
なんだかまだまだ先のことのように思わせてしまうものは何だ。
僕の場合の答は簡単、一言で言えば敷居が高すぎるのだ。
人生は自由と安定、身勝手と束縛、権利と責任の交換だ。
就職でひとつ、分譲でひとつ、結婚でひとつ、出産でひとつ。
そうしてだんだんレールに固定されていく。
もう脱線は許されなくなっていく。
それが、コワイのだ。
先の見える人生がコワイ、というのもあるけれど、
そもそもこのレールの導く先に自分の望む未来はあるのだろうかという不安もある。
崖っぷちとは言わないけれど、
このまま大勢の乗り合わせた乗客達と共に、
駅という名の人生が集約されたゴールで、
最大公約数的な幸福をなんとなく自分の来し方に当てはめて死んでゆく、
それがコワイのだ。
切符代も高いしね(笑)。
脱線にこそ本当の生がある。
脚本や地図が生む予定調和は本当の意味で生きてはいない。
それが僕の哲学だ。
それを根こそぎ奪われるような気がどうしてもしてしまうのだ。
こういった一連の思索はやはり幼く、ワガママで、贅沢だろうか。
とりあえずこう考えている間は結婚なんてすべきじゃないような気もする。
あんまり理屈で悩まずにすっと入り込んでしまえば、
ああ、まあこんなもんかと呑み込んでしまえるものなのかもしれない。
脱線できる自由を失うという大きな代償を払っても、
それだけの価値があったと自足できるものなのかもしれない。
いずれにしてもかつての世代の価値観を押しつけられても納得できないし、
社会全体のことを考えろと言われても、自分のことで精一杯だ。
どうしたらいいんだろう。
環境問題とリンクする。
今日、「NEWS23」の特集を見て、
中国の環境汚染の想像を遙かに上回る惨状に言葉を失った。
あれは、酷い。
人間の住む環境じゃない。
高度成長期の日本を凌駕している。
しかし現地に住む人々は実にたくましい。
哀しいまでにたくましいのだ。
彼らは一様に語る。
「生活のため、仕方ない。環境のことまでは考えられない。」
筑紫哲也は語る。
中国には自制が求められる、しかし。
地球温暖化は、かつて先進国が行った資源の大量消費の結果であって、
いまその事実が明らかになったからと言って、
時差的に同じ発展の道をたどろうとしている発展途上国に対して、
一方的にその道を封じることは出来ない。
先進国は途上国を、途上国は先進国を互いに批判し、責任を転嫁する。
だが問題は放置しておけば人類全体の共倒れを招く。
どうしたらいいんだろう。
ふと、思う。
資源もなく、食糧自給率も乏しく、
少子高齢化で生産力を失い、国家として斜陽の時期を迎える日本。
人口が爆発し、資源や食糧の枯渇と奪い合いが激化し、
もめ事の種は尽きないのに、いったん揉めると全滅の危険をはらむ兵器がひしめく世界。
こんな未来に子供を残す意味ってあるのだろうか。
我々は生まれてきたことに感謝しろと教えられた。
少なくとも今の時代の日本や欧米であれば、それは理解が及ぶ。
しかし北朝鮮であったり、アフリカの最貧国の子供達はどうか。
本当に、生まれてきたことに感謝したいと思えるだろうか。
無条件に生命とは尊く、素晴らしいものだろうか。
環境によってはこの世界ほど地獄に思える場所もないのじゃないか。
そして少しずつ幸福の保障された場所を失っていく今後の日本に、地球に、
子孫を残す意味はあるのだろうか。
毒物と戦争と災厄の詰め合わせのような未来に。
生物が種を残そうとするのは本能だ。
だが、人類はこの地球上で初めて、
ある種の理性によってそれを抑えてしまうかもしれない。
このまま、自分の子供をこの荒涼たる世界に産み落としたくない。
そんな風に考えてもおかしくないし、
それはひょっとしたら、
地球が人類という細胞に誘発したアポトーシスかもしれないのだ。
無理してでも家庭を持ち、子孫を残そう。
各国が少しずつ出来る範囲で努力して、温暖化ガスを減らそう。
総論賛成、各論反対。
言ってはみるけどなかなかやれない。
結局、解決しないのが環境問題と少子化問題。
どうしたら、いいんだろうねえ。