いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

復活の日

2007-10-10 02:30:22 | 新・いぶたろう日記
どもども。
お久しぶりです。
口は禍の元、とにかく皆様お騒がせ致しました。
まあ、元気にやっております。

この間、多くのメールを戴きました。
書いちゃったこと、是正すべきこと、
それはそれとして、
閉鎖するのはもったいない、ガンバって続けろ、
という励ましの言葉を本当に沢山戴いてしまいました。

実際、閉鎖もしくは移転しようかと思ってたんですけどね。
色々考えたんです。

言いたいことを、言う。
好かれよう、愛されようとして、
「イイヒト」を演じたり「ウソ」を言ったりしない。
どんなにマイナスの情動でも、正直に本音を言う。
これはもはや私の生き方で、誰にどう否定されても、
変えられるものじゃありません。

しかし。

愛されようとしないまでも、
何もわざわざ好き好んで、
嫌われる、憎まれる道を邁進しなくても良いんじゃないかと。
理想としては間違っていなかったけれど、
実践の方法が間違っていたんじゃないかと、
そう思ったわけです。

好きなものをただ「好き」とだけ書く記事がつまらないように、
嫌いなものをただ思いつく限りの罵詈雑言で、
徹底的にこき下ろすだけの記事もまた空虚でしょう。
絵画に喩えて言えば、せっかく多くの色と筆を揃えたのに、
キャンバスに絵の具で「バカ」「クソ」と描くようなもんでね。
マイナスの情動を表現するならするで、
もうちょっと何らかの「作品」レベルに昇華させなきゃダメだよね。
テーマはなんであれ、
読む者をニヤッとさせるか、うならせるような。

で、この間。
いぶろぐの記事を全て読み返したんですが、
自分でも意図しないうちに、
消化不良のまま吐き出してる記事を結構書いてますね。
余裕がない。
特にここ1~2年くらいの記事は非常に鬱屈したものを感じます。

「代償行為なんじゃないか」

そういう指摘をくれた人がいました。
妙に納得してしまいました。
人生で初めて「やりたいこと」が特になくなって2年ちょい、
どーもこの間、私は人生に屈託していたようです。
今の仕事に対する不安や不満と言うよりも、
「やりたいこと」よりも遙かに多くの、
「やらなければならないこと」をあまりに抱えすぎて、
心の天秤が完全に破綻した感じ。

だって、ここんとこアズキのこともバイクのことも、
あれだけドラマチックなタイガースのことも、
まるで書いてないでしょ。
やっぱ、バランス欠けてたんだな、と思います。
どこにもやり場のない疲労と不満や鬱屈を猛毒の言葉に凝縮して、
しかも場所を選ばず吐きたい放題吐くもんだから、
実際俺がどういう人物かを知らない人にしてみれば、
ここ最近の俺はYoutubeの
「キーボードクラッシャー」と大差ないイメージでしょうね(笑)。

(これね↓)
あばれいぶたろう(イメージ)

てなわけで。
いやほんと、みんなゴメン。

てかさ、なんであんなにムキになって怒ってんだろ、おれ。
普通にサムイよね。
脱力したポジションから、巧妙に突っ込んで、
結果笑いに昇華しちゃうのが俺の本来のスタイルでさ。
それを知っている人々だけが、長く深い眼で観て、
短絡と安直に沈むいぶろぐを見捨てずに見守っててくれたんだろうね。
寄せられた多くのメールからそれを感じました。

私は、忘れてました。
心配して連絡くれた高校や大学の同期たちが見ていることを。
Rebirthに夢を描いてくれたリバっ娘たちが見ていることを。
私ごときの言を大切に守ってくれる教え子達が見ていることを。
あんなに人の良いバイク屋の店長さんも、
あちこちで知り合った様々な友人知人も、
記事を読んで共感してくれた多くの見知らぬ人々も見ていることを。
ガッカリさせちゃってたよなー。
期待に応えにゃいかんなー。

心の孤独に沈んでいたかのように錯覚していた私ですが、
実は多くの素晴らしい人々に囲まれていました。
危うく巻き込みかけた職場の人々も、私の心の隙間を理解してくれました。
この間に会った友人達はみんなここでの経緯を知っていて、
でも何事もないごとく、いつもの素敵な時間をくれました。
生徒達もまた、揺るがぬ信頼を寄せてくれました。

私は何も羨むことなどなかったのです。
この素晴らしい人々が認めてくれる私というものを、
期待に外れないように一生懸命やるだけでよかったのです。

友人がくれたセリフ、
「道ばたの石ころに躓いたくらいで、道を変えたりするなよ」
には心打たれました。

喩えて言うなら。
今年バイクで初めて事故やって、
やっと辿り着いた安全運転最優先の境地。
だからもうバイクには乗らない、ということじゃないんだよね。
事故は辛かったけど、おかげで学べたことがあるからね。
同じことだなー。

今までのいぶろぐは時に周囲も自分自身をも省みず、
セルフの空虚な爽快感だけを追い求めた、
まさに暴走そのものでしたよ。
あまりに露骨で生々しい一部記事は修正・削除しましたが、
たとえ見苦しくてもそれもまた未熟な俺の足跡だから、
基本的には自戒の念を込めて大半を残しました。

偶然眼にした朝日新聞天声人語(9/16付)によれば。

永井荷風という作家は生前、
死の前日まで42年間にわたり、
公表を想定して「断腸亭日記」という日記を書いていたそうです。
歪んだ愛国心と全体主義の洗脳に染まり、
日中戦争の泥沼に沈む祖国を憂い、
「長期戦争に窮し果て、俄かに名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用いだした」
無謀なアメリカとの戦争に突入した折には、
「米国よ。速やかに起こってこの凶暴なる民族に改悛の機会を与えしめよ」
天皇の玉音放送に、
「あたかも好し……祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ」
と、当時としてはまったく規格外の言論をつづったと。
しかし、正論。見事に看破しています。
戦争美化一色の当時の社会状況にあって、
周囲の誰の理解をも前提とはしていず、
それでいて毅然と持論を述べ、拗ねていない。
しかも周囲の人物に対する誹謗中傷は、ついぞ一文も見られず、
その高潔な作品世界を完成させたという。

尊敬します。
言うのはカンタンだが、出来ることじゃない。
彼の高みに達することは至難の業でしょう。
実際、今の私には口にするのもおこがましい。
しかし、目標は高ければ高いほどいい。

肝に銘ず。

過ちて改めざる、之を過ちと謂う。
過ちは好む所にあり。
小人の過ちは、必ず文る。
過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。


というわけで、いぶろぐはしぶとく存続します。
正直者が吊される、その怖さを知りましたので、賢く行きたいと思います。
でも、ここでウソはついたことないし。
てか全部ホントのことだし。
だからムキになって怒る人もいるんだろうし。

ま、さておき。
あらためて、よろしく。
へっへっへ。
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