【牧野富太郎と田中光顕】

【牧野富太郎と田中光顕】

今日が最終日なので東洋文庫まで「フローラとファウナ 動植物誌の東西交流」の展示を見に行ってきた。

牧野富太郎が出版に際して抱え込んだ多額の借金返済に便宜をはかったとして、蒲原ゆかりの田中光顕の名が出てきて驚いた。そうか、岩崎も含めて彼らはみな同郷なのだ。

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【特装版】

【特装版】

親の世代とそのちょっとその上の世代が書いた本が好きだ。戦争でひどい目に遭わされながら、命からがら生き延びた世代である。そういう体験をした人たちが書いた言葉には実味がある。難しいことを書いていてもちゃんと頭が体にくっついている。

そういう人が 1955 年に出した新書本を買ったらたいへん古びていて、本文は黄色く焼けている。そっと手に持って読んでいても背が割れてばらけそうになるし、ページをめくると乾いた音を立てて簡単に破れる。土に還ろうとしているのだ。良い本なのに電子書籍化はおろか再版される可能性もなさそうなのを残念に思う。

何度も読み返したい良書なのでスマホの OCR アプリでテキスト化しながら読み、個人的なデータとしてマイ・クラウドに取り込んでいる。そうすれば電子書籍のようにいつでもどこでも読み返せて本文検索もできる。耄碌に備えた索引づくりである。

同じ著者による 1953 年発行の岩波新書が ¥265 だったのでネット注文した。 値段も安いし、1955 年の新書本よりさらに古びていることを覚悟していたのだけれど、届いた本が綺麗な「上製本の岩波新書!」だったのでびっくりした。

奥付を見ると 1984 年に復刻された岩波新書で「特装版」と書かれている。こういう岩波新書があるのを初めて知った。妻に見せたら知らなかったという。「特装版」という名前であることもあって、ひどく得した気がする。

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【ユズリハチ】

【ユズリハチ】

ユズリハ(交譲木)は春に芽吹いた若葉に場所を譲るようにして前年の葉が落葉するところからその名がある。

昨日は園芸用の土 12 リットルを2袋買い、リュックサックに詰め込んで背負ってきた。鉢が届き、おおきな鉢への植え替えをし、あいた鉢に狭くなった鉢から引っ越しをさせている。いわばユズリハチである。

今朝は、昨年郷里清水から届いたシクラメンを、枯れさせないで越年させるため、空き家になった鉢へと引っ越させた。

引っ越しを終えた今朝のシクラメン

牧野富太郎をモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」を楽しみに見ている妻が、「根津のドクダミ長屋みたい」だと笑っていた。週末は挿し木で増やしたガジュマルたちの引っ越しを手伝う。春は忙しい。

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【土を運ぶ】

【土を運ぶ】

メキメキ大きく育ってついには素焼きの鉢をぶち割ったフチベニベンケイがベランダにある。仕方ないので植え替えてやるため巣鴨のスーパーまで土を買いに出た。『花と野菜の培養土』 12 リットルの 袋を買ってエコバッグに入れ、肩に下げたらやはり重い。

JR巣鴨駅前

前もって植え替え先として割れない樹脂製植木鉢の 36 型ふたつ、24 型みっつをアマゾンに注文した。受け取りに出た妻に配達員が段ボール箱を渡すとき
「大きいけど妙に軽いので気をつけてくださいね」
と言っていた。樹脂製植木鉢は軽くていい。以前、断裁された高密度の紙を注文したときは
「めちゃくちゃ重かったけど中身はナンスか」
と配達の若者が顔をしかめて言っていた。重すぎる配達の依頼は他人に苦役を課すことになる

植え替えたフチベニベンケイと割れた鉢

植物がくれたよい運動と思ってこれからなんどか土の買い出しに巣鴨まで往復しなければいけない。安いくせに重い土を、配達員に届けさせるのはやはり気が引けるのだ。

 

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【古本の年齢】

【古本の年齢】

古書で注文した新書本が届いて、奥付を見たら昭和三十年三月の発行になっている。発行日の僕は生後六ヶ月であり、その三か月後に妻が追いかけるように生まれてくる。三者はほぼ同い年であり、自分たち夫婦もこの本のように古びているのだなと思う。

人間同様に古びたその本の表紙はシミだらけで、天地も小口も茶色く日焼けしている。ていねいに読まないと製本が崩れて本の体裁を失うかもしれない。

シリーズ名は「がくえん新書」といい、法政大学出版局が発行者になっている。

法政大学卒業後徴兵され、人を殺すのが嫌で病人を装って戦場から逃げ出し、坊主の跡取りになる道から逃げ出すため自らすすんで徴用工に志願して戦地に送られ、終戦後の法政大学で哲学を教えて亡くなった哲学者の本だ。

朝の郵便受けをのぞいたら、はるばる長崎の古書店から届いていた。

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【ひとりごとをひらく】

【ひとりごとをひらく】

哲学者の福田定良(ふくださだよし 1917 - 2002)は「子供時代からのひとつの習癖」だったひとりごとで戦時における過酷な境遇を楽しみながら耐えた。それは、「ひとりごとによって私が自分の話相手の役までつとめ、たがいの言葉を吟味しながら話しあう、という方法であった」(福田定良『めもらびりあ』法政大学出版局 1967)

福田定良『「ひとり」の人間学』(柏樹新書 1975)もそういう手法で書かれていて、ひとりごとに人称を持ち込んでコミュニケーションをつくるという方法を教えていただいた。おもしろいので、きょうのひとりごと日記でちょっとやってみた。以下、アップルくんとオレンジくんで対話化したひとりごと日記。

【質問と答え】

🍏――馬鹿げた質問には、答えではなく同じ質問を返すという答え方があるんだ。
🍊――馬鹿げた質問って、答えようがない間違った質問のことだね。
🍏――そう、間違った質問には、どう答えても、ああ言えばこう突っ込む、こう言えばああ突っ込むという、聞き手の対応があらかじめ組み込まれ済みなんだ。
🍊――ということは質問者が意図するしないに関わらず、質問自体がもともと定見や節操のない二股膏薬になっているわけだ。
🍏――ああ言ってもこう言っても正解はなくて、ただ質問者が回答者をやり込めて溜飲を下げる程度のことだけが可能になるという落とし穴が待ち構えているんだよ。
🍊――ということは答えようがない間違った質問、たとえば時間に始まりと終わりがあるかとか、人は死んだあとどうなるかとか、たまごとにわとりのどちらが先かみたいな質問には、答えないという答えかたもありうるよね。
🍏――そう、人は答えようのない質問には答えないという態度で沈黙を守ることができる。仏教ではそれを無記(むき)というね。
🍊――沈黙の中で、質問そのものが間違っていて意味がないと互いに自省できたらいいんだけどね。
🍏――そのためには、「なぜ答えないのか」とくりかえし同じ質問をされることへの親身な応対として、その質問自体の正当性をこちらから問う。「答えではなく同じ質問を返す」とはそういうことなんだよ。
🍊――そうか、なぜわれわれはこういう答えのない不毛な問答をせずにいられないのかという、もう一段高い次元に場所を移して考えるということだなんだな。それを止揚(しよう)とか揚棄(ようき)とかアウフヘーベンとか言うよね。
🍏――まあそういう言葉の文化的道具は知っていても、のんだまま振り回さない方がいいけどね。親身になるとは、わかりやすい対話を通して一緒に次元を上がることなんだ。

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【鉢を割る】

【鉢を割る】

幼い頃に読んだ日本のおとぎ話に「はちかづきひめ」がある。

鉢を頭にかついでいるお姫さまなのだから「はちかつぎひめ」が正しいのではないかと思い込んだまま忘れてしまい、古文など学ぶ年齢になって「かづくは被くという古語だったのか……まあどうでもいいけど」と気づいた。

ベランダの隅で妻が見つけたフチベニベンケイを、素焼きの鉢を買ってきて植え替えてやったのが 2014 年 11 月のことだった。やさしくしたら調子づいてしまい、育って育って仕方ないので、なんどもなんども枝を剪定してやった。けれど、枝をはらえても幹そのものははらえず、太くはち切れそうになってついに鉢を割りかけている。

鉢を割るという最後の手段に出て植え替えを直訴しているのだ。さてどうしようか思案の五月である。

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【みたようなみたいな】

【みたようなみたいな】

「まるで良心のない人間みたように」(夢野久作「奥様探偵術」)

現代では「まるで良心のない人間みたいに」と書くところを「みたように」と夢野久作が書いていて、この「みたよう」は漱石にもよく出てくる。

――それだのに私みたようなものを(「私の個人主義」)
――僕は『坊っちゃん』みたようなことはやりはしなかったよ(「僕の昔」)
――君見たように叡山へ登るのに、若狭まで突き貫ける男は白雨の酔っ払だよ(「虞美人草」)
――ペンキ塗の一枚板へ模様画みたような色彩を施こしたりしてある(「門」)

などなど。

2023/05/02 登呂遺跡にて

「人間」や「私」や「君」や「坊っちゃん」や「模様画」といった概念をあらわす体言に動詞と助動詞がかかりあって、用例みたような現代人からは引っかかる表現になってある。

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【「あはは」の目覚め】

【「あはは」の目覚め】

これ以上はないと思うほど嫌な夢を見て目が覚めて、年をとった自分は「死ぬ」ということ自体を怖がらないようになっている、ということがわかった。

生きているのがつらくて、そのつらさから逃れるためには、もう死ぬしか考えられないという状況に、夢の中でなっていた。

その状況のまま死ぬこともできず叫びたいほど苦しいのは、死んだあと苦しみから逃れて楽になっている自分が想像できないからだ。死後の、自分による自分の想像、それはありえない想像であり、死は何も解決しない。

2023/05/03 友人たちとタケノコ掘りに出かけた清水区中河内にて

というか、「あはは」、そもそも死なんてものはないのだ、と齢をとって思えるようになっていることに目が覚めて気づいた。生きて怖がるこころこそが死であり、悪夢の中にある死だけがとくに恐ろしい。いまの自分はそう思う。

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【こどもの日】

【こどもの日】

割烹の烹に炊事の炊がつく場所として烹炊所が出てきた。「ほうすいじょ」と読むと「ボーッと生きてんじゃねえよ」と怒鳴られそうな気がして辞書をひくと、そのまんま「ほうすいじょ」で、つまらない。「ほうすいじょ」を烹炊所と書けば調理場で、放水所と書けばトイレである。

2023/05/02 登呂遺跡にて

今日はこどもの日。一日中、本を読んで過ごした。哲学者福田定良『脱出者の記録 〈喜劇的な告白〉 』法政大学出版局を読み終えたので、これから連休残りを利用して山口廣編『郊外住宅地の系譜 東京の田園ユートピア』鹿島出版会を一気に読む。

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【さつき通り】

【さつき通り】

清水駅前のホテル客室 14 階から見る清水橋とさつき通り。

パースペクティブを圧縮してみると、南へ直進したさつき通りが富士見橋へと右折する富士見町の交差点で東に 30 度ほど曲がっているのがわかる。これは県道 75 号清水富士宮線が港橋たもとまで巴川に並行するためだ。

2023/05/03 清水にて

清水駅前から清水橋を渡って一直線に見えるこの範囲が自分の中学・高校時代におけるメインストリートであり、ここで青春舞台その第一幕を演じたわけだ。遠近感を取り除いた風景をこうして眺めると、人生の終幕が近づいたなという奇妙な感慨がある。エレベーターで 14 階まで上がっただけなのだけれど。 

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【宗教対立と視力】

【宗教対立と視力】

中学三年になると教室の席が自由に選べるようになり、一番人気がなくて必ず座れる最前列真ん中をいつも選んでいた。

社会科の教師が「いま紛争でたいへんなことになってるビアフラ、あの国の宗教はなんだ」と聞くので、すかさず「ビアフラ教」と答え「お前は馬鹿か」と笑われながら掛け合いをするのが楽しかった。首をカクカクさせながら笑う教師の名は石川先生といい、あだ名はゴエモンだった。

最前列中央に座るのにはもうひとつ理由があり、その頃から近視が進んでメガネなしで黒板が見づらくなっていたのだ。

以来ずっと近視用のメガネが必要なのだけれど、最近メガネをかけ忘れて外出しようとしている自分に驚いた。どうやら老眼が始まったらしく、最前列中央の席でなくてもメガネなしで黒板が読めそうなくらい遠くが見えてきた。

 

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