電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【「あはは」の目覚め】
【「あはは」の目覚め】
これ以上はないと思うほど嫌な夢を見て目が覚めて、年をとった自分は「死ぬ」ということ自体を怖がらないようになっている、ということがわかった。
生きているのがつらくて、そのつらさから逃れるためには、もう死ぬしか考えられないという状況に、夢の中でなっていた。
その状況のまま死ぬこともできず叫びたいほど苦しいのは、死んだあと苦しみから逃れて楽になっている自分が想像できないからだ。死後の、自分による自分の想像、それはありえない想像であり、死は何も解決しない。
2023/05/03 友人たちとタケノコ掘りに出かけた清水区中河内にて
というか、「あはは」、そもそも死なんてものはないのだ、と齢をとって思えるようになっていることに目が覚めて気づいた。生きて怖がるこころこそが死であり、悪夢の中にある死だけがとくに恐ろしい。いまの自分はそう思う。
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