【ひとりごとをひらく】

【ひとりごとをひらく】

哲学者の福田定良(ふくださだよし 1917 - 2002)は「子供時代からのひとつの習癖」だったひとりごとで戦時における過酷な境遇を楽しみながら耐えた。それは、「ひとりごとによって私が自分の話相手の役までつとめ、たがいの言葉を吟味しながら話しあう、という方法であった」(福田定良『めもらびりあ』法政大学出版局 1967)

福田定良『「ひとり」の人間学』(柏樹新書 1975)もそういう手法で書かれていて、ひとりごとに人称を持ち込んでコミュニケーションをつくるという方法を教えていただいた。おもしろいので、きょうのひとりごと日記でちょっとやってみた。以下、アップルくんとオレンジくんで対話化したひとりごと日記。

【質問と答え】

🍏――馬鹿げた質問には、答えではなく同じ質問を返すという答え方があるんだ。
🍊――馬鹿げた質問って、答えようがない間違った質問のことだね。
🍏――そう、間違った質問には、どう答えても、ああ言えばこう突っ込む、こう言えばああ突っ込むという、聞き手の対応があらかじめ組み込まれ済みなんだ。
🍊――ということは質問者が意図するしないに関わらず、質問自体がもともと定見や節操のない二股膏薬になっているわけだ。
🍏――ああ言ってもこう言っても正解はなくて、ただ質問者が回答者をやり込めて溜飲を下げる程度のことだけが可能になるという落とし穴が待ち構えているんだよ。
🍊――ということは答えようがない間違った質問、たとえば時間に始まりと終わりがあるかとか、人は死んだあとどうなるかとか、たまごとにわとりのどちらが先かみたいな質問には、答えないという答えかたもありうるよね。
🍏――そう、人は答えようのない質問には答えないという態度で沈黙を守ることができる。仏教ではそれを無記(むき)というね。
🍊――沈黙の中で、質問そのものが間違っていて意味がないと互いに自省できたらいいんだけどね。
🍏――そのためには、「なぜ答えないのか」とくりかえし同じ質問をされることへの親身な応対として、その質問自体の正当性をこちらから問う。「答えではなく同じ質問を返す」とはそういうことなんだよ。
🍊――そうか、なぜわれわれはこういう答えのない不毛な問答をせずにいられないのかという、もう一段高い次元に場所を移して考えるということだなんだな。それを止揚(しよう)とか揚棄(ようき)とかアウフヘーベンとか言うよね。
🍏――まあそういう言葉の文化的道具は知っていても、のんだまま振り回さない方がいいけどね。親身になるとは、わかりやすい対話を通して一緒に次元を上がることなんだ。

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