▼質が流れていた頃

東京都北区西ヶ原一丁目。
1970年代中盤の四年間、毎日のようにこの商店街をとおって大学に通っていた。
当時の質屋のショーウィンドウには生活者が金に困って質入れして
質流れとなった品物が並んでいて、時折掘り出し物があって面白かった。

古びた写真用の三脚がヒモで結わえられて一束になっており、
「三脚」とマジックインキで殴り書きした札がついており、
よく見たらそのうちの一本がフランス製のGITZO(ジッツオ)だったりし
それは今でも大事に使っている。


    撮影日: 07.10.11 2:34:52 PM
    Canon IXY DIGITAL L2

かつてこの店にオーディオ用オープンリールデッキが
「テープレコーダー」と書かれて格安で何台も並んでいて
友人と二人で一台ずつ買って大喜びで抱えて帰った思い出がある。

「掘り出す」という感覚があった時代のことだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼ノドチンコノキモイラセ

東京都北区中里二丁目。
小学生時代、その当時ここは「あすか」という小洒落たレストランで
生まれて初めてデミタスコーヒーというものをその店で飲んだ。

極小のコーヒーカップに入ったちょっぴりの珈琲に
たっぷりの砂糖とミルクを入れて飲んだら
ほんのちょっとなのでなおさら切なくいじましく美味しく感じたものだった。


    撮影日: 07.10.11 2:34:52 PM
    Canon IXY DIGITAL L2

美味しいのにほんのちょっとしかないことを我が母は
「ノドチンコノキモイラセ」と言っていた。

ほんのちょっと小出しにされて食欲をいちびられることをそう言うのだけれど、
他の清水っ子に通じたためしがないのでお得意の家族内方言かもしれない。
お客に少量のものを出すとき
「ノドチンコノキモイラセでごめんね~」
などと用いていた。

「ノドチンコノキモイラセ」は適度に下品で(?)良くできた清水言葉だと思う。

コメント ( 6 ) | Trackback ( )

▼漢方薬とホルモン焼き

東京都北区中里二丁目。
何でこんな写真を撮ったかというと漢方薬店のショーウィンドウに
ホルモン焼き屋の幟(のぼり)が映っていて
そういえば漢方薬とホルモン焼きは似てるなぁと……


    撮影日: 07.10.11 2:34:04 PM
    Canon IXY DIGITAL L2

……などと説明書きを書いていると
小学生の頃大好きだった林家三平を思い出す。

もーたいへんなんすから。

コメント ( 4 ) | Trackback ( )

【勝手に新潟交歓……5】

【勝手に新潟交歓……5】

新潟市万代のホテルにて。
朝の天気予報が物珍しかったわけではなくてNECのテレビを久しぶりに見てびっくりしたから。

1960年、我が家に初めてやってきたテレビはモノクロのNEC製であり、真空管のそれは本当に良く故障し、何度修理の人が工具箱を持って直しに来たかしれない。

撮影日: 07.10.7 7:36:10 AM
FUJIFILM FinePix Z3

ナショナルや三菱や日立や東芝なら知っていたけれど、子ども心に「(聞いたことのないメーカーだから壊れる)」と腹立たしく思ったのを覚えている。

ところが初期の度重なる修理を経たら壊れなくて、東京暮らしを引き払って清水に戻っても壊れず、
「(壊れないから家にはカラーテレビが来ないんだ)」と
頑丈であることを恨んだ時期もあった。

そうか、最近までNECはテレビ放送受像器を作っていた(売っていた)のかと感慨深く写真を撮った。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

【勝手に新潟交歓……4】

【勝手に新潟交歓……4】

長岡駅前に海鮮居酒屋「はなの舞」があるのを見つけ
「おっ、清水駅前と同じだ!」
と喜び、新潟駅近くの繁華街でカラオケの「SHiDAX」を見つけると
「おっ、清水駅前と同じだ!」
と喜んでいる自分がいる。

撮影日: 07.10.6 10:21:31 PM
RICOH Caplio R2

我ながらくだらないと思いつつ、おのぼりさん、おくだりさんに関わらず、旅は人を田舎者にするのだろうなぁと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼ものほし寿司の移転先

10月10日、東京にいるときは1日2食お昼ご飯抜きなので
お昼の定食を食べるわけにはいかないはずなのに
なぜか帰宅したら銀座一丁目「ものほし寿司」を訪ねた写真がカメラにあった。


    撮影日: 07.10.10 0:47:44 PM
    FUJIFILM FinePix Z3

東京にいるときは1日2食お昼ご飯抜きのはずなのに
どうしてあの路地に寄り道したのか記憶にない。

コメント ( 5 ) | Trackback ( )

【勝手に新潟交歓……3】

【勝手に新潟交歓……3】

信濃川土手で暮れゆく秋の日を惜しむように車座になって語らう若者達。

撮影日: 07.10.6 5:23:31 PM
RICOH Caplio R2

夕焼け空に映える橋は昭和大橋。
向こう岸たもとの大きな建物は友人夫婦が所属する楽団が定期演奏会を行った新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

▼雨のタイガー食堂

新潟交歓の相手である新潟在住の友人がなんと
東京銀座一丁目裏通りの目立たない店「タイガー食堂」をよく知っていてびっくりし、
聞けば「タイガー食堂」ファンとしては僕より何十年も先輩なのだった。

銀座一丁目の出版社に打ち合わせで出掛け
「タイガー食堂」の前を通り、東京にいるときは1日2食お昼ご飯抜きなので
お昼の定食を食べるわけにはいかないけれど
なぜか本日の定食を正面から撮影することができた。


    撮影日: 07.10.9 1:02:02 PM
    RICOH Caplio R2

本日の定食は、お馴染みのカレーシチューと塩鮭とマカロニサラダと
ササミフライとハムフライの盛り合わせに豚汁とお新香がつくのだけれど
なぜかフライはふた切れともササミフライだった。

なぜ1日2食お昼ご飯抜きなのにそんなことまで覚えているのか
帰宅した今でも謎である。

コメント ( 8 ) | Trackback ( )

【勝手に新潟交歓……2】

【勝手に新潟交歓……2】

海岸沿いの断崖絶壁に車を停め、はるか下を見下ろしたら海釣りをしている人がいた。
高所恐怖症だし泳ぎも得意でないので見ただけで怖い。

撮影日: 07.10.6 3:22:17 PM
RICOH Caplio R2

海の向こうに津波が見えても、あんな場所では逃げ場がないと思うとさらに怖いのは、閉所恐怖症でもあるからかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【勝手に新潟交歓……1】

【勝手に新潟交歓……1】

信濃川を渡る信越線の鉄橋。
機関士だった友人のお父さんも幾度となくこの鉄橋を渡り、自分も含めてたくさんの友人達が列車に乗ってこの鉄橋を渡り、その脇で長岡生まれの友人は育ったのだった。


日本だって広いなぁと思いつつインターネットで知り合った者同士が、互いに生まれ故郷を愛していることを知っただけで心を開いて仲良くできるのは、それぞれの故郷を愛することがひいては日本自体を愛しているに等しく、日本という国が実はちっぽけだと知っているからかもしれない。


装丁を担当している季刊清水 40 号が戸田書店店頭に並んだ。

郷土を愛することで知り合えたその新潟の友人が書いた原稿と、その新潟の友人に庵原から自家栽培のミカンを送ってくれ、この夏に他界された 1 歳年下の友人の原稿と、そして僕の拙文が一緒に掲載されている思い出深い号となるはずで、この中にも小さな清水交歓・新潟交歓がある。

コメント ( 8 ) | Trackback ( )

【新潟交歓】

【新潟交歓】

静岡県清水真砂町のある学区の生徒達は、清水を訪れた交歓生を案内して駅前銀座商店街アーケードを、誇らしげに案内して歩いたこともあるのだろう。

■長崎屋跡地に咲いていた遅咲きの朝顔。
撮影日: 07.10.1 11:34:52 AM
FUJIFILM FinePix Z3

駅前銀座商店街で街おこしに励んでいる友人を訪ねたら、「にいがた食の陣」実行委員長として、地元の「食」をテーマとした企画などで活躍されている新潟古町横場精良堂(創業150有余年の事務用品販売会社)の本間龍夫さんは、清水出身の新潟っ子なのだという。本間さんは交歓生だったのだろうか。

※「にいがた食の陣」のカタログは桜橋櫻珈琲で閲覧可能。

コメント ( 9 ) | Trackback ( )

▼ギンザ・ハンズ

港区新橋にて。

東京銀座に東急ハンズができるという。
銀座のルーツ静岡県静岡市にハンズができるという噂もあるので
東京の銀座にできると聞いても驚かない。


    撮影日: 07.10.5 0:39:22 PM
    RICOH Caplio R2

それより「この場所から左に行った場所にハンズができますよ」という
意図を持ったポスターなのだろうけどこういう使い方をすると
ハンズのマークって葬式の指マークに似てたんだなぁと思うので
新装開店予告のポスターとしてはどうかと思う。

コメント ( 7 ) | Trackback ( )

【法雲寺】

【法雲寺】

静岡県清水江尻東の法雲寺。

この寺には清水次郎長関係者の墓が多い。
そして帰省する度に飲んでいる友人の菩提寺でもあるという。

■静岡県清水江尻東。法雲寺のスケルトンベンチ。
撮影日: 07.9.16 4:38:17 PM
NIKON COOLPIX S10

掃除の行き届いた境内に青々とした芝生が植えられ、スケルトンのベンチが置かれているのが、黒はんぺんと焼きたてパンをめぐる思いがけない出会いに似たもの感じさせ、門前を通りかかるとつい寄り道してしまう。おおげさか。

コメント ( 15 ) | Trackback ( )

【外へ出ろ】

【外へ出ろ】

静岡県清水江尻東。
さつき通りに面した2階にある洋風居酒屋にて。

撮影日: 07.9.16 8:51:13 PM
Panasonic DMC-FX8

「外へ出ろ」

何の映画をやっていたのか知らないが字幕の断片は奇妙に面白い。

この店を出たのは12時近かったので「外へ出ろ」と映画俳優に言われてから3時間くらい飲んでいたのだった。

コメント ( 4 ) | Trackback ( )

【道頓堀】

【道頓堀】

司馬遼太郎「けろりの道頓」を読むまで、僕は大阪道頓堀が安井道頓によって掘りはじめられ、道頓が大阪の陣で戦死した後も、幕府による援助で道頓の一族が完成させた堀(運河)だということを知らなかった。

OLYMPUS E-410 LEICA D VARIO-ELMARIT 14-50mm F2.8-3.5 ASPH

静岡県清水巴町。
千歳橋たもとから東海道線巴川橋梁に至る川沿いの道には。かつて飲食店が所狭しと建ち並んで隆盛を極め、赤い灯青い灯が巴川の水面に揺れて、この通りは道頓堀と呼ばれていたのだった。
タクシーに乗って
「道頓堀の『藤吉郎』まで」
と言って通じた時代を知っている人も次第に少なくなる。

※(『藤吉郎』は港町に移って『頓珍漢』として健在。2007年現在)

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
« 前ページ 次ページ »