コメント
パンペのフライ
(
あおい君
)
2007-10-05 12:11:32
▽黒はんぺんのフライと言えば、小学校の給食の定番でした。
よその土地から転校してきた生徒(以下「転校生」)
が「これはなに~?」
ボク「なにって“はんべ”じゃん」
転校生「“はんべ”って“はんぺん”みたいなもの?」
ボク「当り前じゃん(これが“はんぺん”でなくて、何が“はんぺん”なんだよ)」
当時は、質問の意味を全く理解していませんでした。(笑)
それと、給食のソースは、醤油とウスターソースの中間のようなクロモノでした。(駅弁の幕の内に入っているものがそれに近いのかな?)
▽パン粉をつけて揚げるばかりになったものは、静岡県中部地域ではあちこちの店に置いてあると思うのですが、意外と少ないのでしょうか。
伊勢丹(もちろん新宿ではありません)の地階にも置いてあります。
はんべと紅葉の思いがけない出会い
(
六
)
2007-10-05 17:54:54
給食に黒はんぺんフライが出たなんて何とうらやましい。
田中屋…じゃなかった伊勢丹地下に半調理黒はんぺんフライがあるというのは意表を突かれて嬉しいです。
帰郷時に新静岡まで出て七間町方面へまわる動機ができました(笑)
今朝のNHK朝の全国ニュースで「静岡市の紅葉山庭園でたった一本紅葉が紅葉しました」と言うので「紅葉山庭園なんてあったっけ?」と検索してしまいました。
望郷
(
tokiomark
)
2007-10-06 02:18:09
味の記憶・・・
そう、これこそ文章化する困難の極みだ。
黒はんぺん、はんべ、はんべぇ・・・
昭和30年代の清水では、女陰を表現する子供心にも知る猥雑なメタファーでもあった。
今も清水に戻った際には必ず買って帰る。
確かに、フライで食べるのが美味しかった。
半調理黒はんぺんねぇ・・・田中屋伊勢丹?
そんなところにあるとはねぇ・・・
これぞ隔世の感あり。
魚屋の店頭にさりげなく雑に置いといて欲しい。
猥雑な印象がなくなったら、その味は落ちる。
昭和三十年代の黒はんぺん
(
六
)
2007-10-06 06:28:21
昭和三十年代半ば、さくらももこの八百屋もあった入江の久能街道は「えっ!」と驚くほど商店が建ち並んで繁華でした。
そのうちの一軒には煮豆などの総菜が並び、ガラスがはめられた木枠の蓋がついた箱の中に黒はんぺんが整然と並んでいました。1枚何円かは忘れましたがそれを10円玉で買ってそのまま生で食べた子ども時代がありました。黒はんぺんは清水のマックバーガーでした。
冷蔵ショーケースなど無かった時代によくそんなことをして食あたりにならなかったと今思えば不思議です。
もちろん今でも黒はんぺんは生で食べられますが、冷蔵庫に入っていて冷えている物より、薄暗い店のガラスケースの中に並んでいた昭和三十年代半ば頃の常温黒はんぺんは、確かに深い味わいとして舌の上の記憶にあります。
田中屋
(
あおい君
)
2007-10-06 08:48:52
静岡伊勢丹は、今では伊勢丹の完全子会社となって、田中屋の青島家の影響力は完全に排除されてしまっているようです。
それでも地元資本をルーツにもつ百貨店ですので、都会の風を装いながらも、いつまでも地域密着型でいてほしいと個人的には思っています。(1階にトラヤが入っているのを、快く思わない人もいるようですが・・)
だから、たとえ猥雑感の欠けた黒はんぺんであっても、ナマ暖かく見守ってやってください。(笑)
寺と黒はんぺん
(
富士の清水っ子
)
2007-10-06 14:47:54
どこかで見たベンチ・・・やはり法雲寺だったんですね。家内を亡くしてからは家内の墓参りばかりで、ほとんどこの寺へは行っていない親不孝者です。
親不孝者といえば、実家の母の弟が妻子を置いて、他の女性(やくざの愛人)と駆け落ちしてしまったのですが・・・その人が黒はんぺんが大好きでした。
15年以上の間、音信不通だったその人が、私の父親が亡くなる寸前にひょっこり現れて、直後オヤジが亡くなり、体が小柄なため彼が骨壺をこの寺にある墓の中に納めてくれたのを覚えています。
そのとき、横浜に住んでいたので、時折清水を訪れては静岡で黒はんぺんを買っていました。
その人も数年前に他界し、時の移り変わりを感じます。
法雲寺
(
愛林堂
)
2007-10-08 01:30:02
そういえば、スケルトンのベンチってお洒落ですよね~。
毎回、行っているのに気づきませんでした。
我が家も法雲寺さんが菩提寺です。
大好きな祖母が眠ってます。
あとは親戚の銀座の魚屋さんのお墓と
巴町の卓球の上手なおじさんと、その奥様が眠るお墓。
みんなのところに挨拶してきます。
話は変わり、黒はんぺんは焼いて生姜醤油が好きです。
トラヤ
(
六
)
2007-10-08 16:37:52
▽1階にトラヤが入っているのを、快く思わない人もいる
新潟の友人夫婦は伊勢丹にトラヤがあったと大喜びしてました。
僕も下層階に地元の店が入っているデパートってけっこう好きですが、他地域の者としてデパートに接するのでそうなのかもしれないですね。
あらら
(
六
)
2007-10-08 16:43:22
このブログにアクティブに書き込みしてくれる人の数は多くないのに、法雲寺にお墓のある人が三人もいてびっくりです。
お世辞を言うわけではなくて、清水の実家を戸締まりして清水駅に向かう際、この寺に立ち寄ると早起きして掃除をした気配があって気持ちがよくて、立ち寄りたくなるんです。
寺の最低条件ですね。
この寺は「セコムしてる」のか山門をくぐると庫裏内部で電子音が鳴るような気がして、先日は何度も出たり入ったりしちゃいました。
山門にACコンセントがあるのも興味深くて写真を撮ってきました。
怪しい男風ですね。
4人目
(
サッカーおやじ
)
2007-10-08 20:09:49
父方の実家のお墓は法雲寺さんです。
以前お話に出た専念寺は母方。
法雲寺さんは樹木や芝の手入れがいつもいきとどいていて気持ち良いですね。
黒はんぺんはそのままわさび醤油が好きです。
法雲寺の和尚さん
(
富士の清水っ子
)
2007-10-08 22:00:22
その昔、お寺や神社の跡継ぎの方は学校の先生をしていらっしゃる場合が多く、法雲寺の先代の和尚さんが怖い先生であることを兄貴たちから聞いたことがあります。
今では、その息子さんの代に替わっていると思いますが、その方は確か私の兄貴と同じ歳なので、六さんと同じ歳だと思います。
そう、矢倉神社の神主さん(当時は息子さん)は私の中学時代の恩師で、みんなで先生の家へ遊びに行った覚えがあります。この先生も非常に怖かったという記憶ですが、非常に教え方が上手で社会科が好きになりました。でも、私は理科系の仕事をしていますが・・・
法雲寺
(
六
)
2007-10-09 08:26:05
鶴さんは一昨日、昨日と法雲寺に行ってみんなの分も拝んできたそうです。
「そのまんまわさび」って静岡県知事にいいかも。
和尚と教員
(
六
)
2007-10-09 08:29:02
何だか清水の和尚は教員が多いですね。
その理由を以前誰かに聞いた気がしますが忘れてしまいました。
僕の出身中学校の校長も和尚でしたが怖い人ではない代わりに怖い人に捕まったらしいです(ひそひそ)。
紺屋町に次郎長の剣術稽古場があったとさ
(
対決庵原川
)
2007-10-09 21:15:22
>「そのまんまわさび」って静岡県知事にいいかも。
「そのさんま日干し」
ってのはたぶん却下だろうな(爆)。
紺屋町に次郎長の剣術稽古場があったんでしたね
(
六
)
2007-10-10 09:57:17
「そのまんま丸干し」に見えてもひと手間かかってるんですよね。
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よその土地から転校してきた生徒(以下「転校生」)
が「これはなに~?」
ボク「なにって“はんべ”じゃん」
転校生「“はんべ”って“はんぺん”みたいなもの?」
ボク「当り前じゃん(これが“はんぺん”でなくて、何が“はんぺん”なんだよ)」
当時は、質問の意味を全く理解していませんでした。(笑)
それと、給食のソースは、醤油とウスターソースの中間のようなクロモノでした。(駅弁の幕の内に入っているものがそれに近いのかな?)
▽パン粉をつけて揚げるばかりになったものは、静岡県中部地域ではあちこちの店に置いてあると思うのですが、意外と少ないのでしょうか。
伊勢丹(もちろん新宿ではありません)の地階にも置いてあります。
田中屋…じゃなかった伊勢丹地下に半調理黒はんぺんフライがあるというのは意表を突かれて嬉しいです。
帰郷時に新静岡まで出て七間町方面へまわる動機ができました(笑)
今朝のNHK朝の全国ニュースで「静岡市の紅葉山庭園でたった一本紅葉が紅葉しました」と言うので「紅葉山庭園なんてあったっけ?」と検索してしまいました。
そう、これこそ文章化する困難の極みだ。
黒はんぺん、はんべ、はんべぇ・・・
昭和30年代の清水では、女陰を表現する子供心にも知る猥雑なメタファーでもあった。
今も清水に戻った際には必ず買って帰る。
確かに、フライで食べるのが美味しかった。
半調理黒はんぺんねぇ・・・田中屋伊勢丹?
そんなところにあるとはねぇ・・・
これぞ隔世の感あり。
魚屋の店頭にさりげなく雑に置いといて欲しい。
猥雑な印象がなくなったら、その味は落ちる。
そのうちの一軒には煮豆などの総菜が並び、ガラスがはめられた木枠の蓋がついた箱の中に黒はんぺんが整然と並んでいました。1枚何円かは忘れましたがそれを10円玉で買ってそのまま生で食べた子ども時代がありました。黒はんぺんは清水のマックバーガーでした。
冷蔵ショーケースなど無かった時代によくそんなことをして食あたりにならなかったと今思えば不思議です。
もちろん今でも黒はんぺんは生で食べられますが、冷蔵庫に入っていて冷えている物より、薄暗い店のガラスケースの中に並んでいた昭和三十年代半ば頃の常温黒はんぺんは、確かに深い味わいとして舌の上の記憶にあります。
それでも地元資本をルーツにもつ百貨店ですので、都会の風を装いながらも、いつまでも地域密着型でいてほしいと個人的には思っています。(1階にトラヤが入っているのを、快く思わない人もいるようですが・・)
だから、たとえ猥雑感の欠けた黒はんぺんであっても、ナマ暖かく見守ってやってください。(笑)
親不孝者といえば、実家の母の弟が妻子を置いて、他の女性(やくざの愛人)と駆け落ちしてしまったのですが・・・その人が黒はんぺんが大好きでした。
15年以上の間、音信不通だったその人が、私の父親が亡くなる寸前にひょっこり現れて、直後オヤジが亡くなり、体が小柄なため彼が骨壺をこの寺にある墓の中に納めてくれたのを覚えています。
そのとき、横浜に住んでいたので、時折清水を訪れては静岡で黒はんぺんを買っていました。
その人も数年前に他界し、時の移り変わりを感じます。
毎回、行っているのに気づきませんでした。
我が家も法雲寺さんが菩提寺です。
大好きな祖母が眠ってます。
あとは親戚の銀座の魚屋さんのお墓と
巴町の卓球の上手なおじさんと、その奥様が眠るお墓。
みんなのところに挨拶してきます。
話は変わり、黒はんぺんは焼いて生姜醤油が好きです。
新潟の友人夫婦は伊勢丹にトラヤがあったと大喜びしてました。
僕も下層階に地元の店が入っているデパートってけっこう好きですが、他地域の者としてデパートに接するのでそうなのかもしれないですね。
お世辞を言うわけではなくて、清水の実家を戸締まりして清水駅に向かう際、この寺に立ち寄ると早起きして掃除をした気配があって気持ちがよくて、立ち寄りたくなるんです。
寺の最低条件ですね。
この寺は「セコムしてる」のか山門をくぐると庫裏内部で電子音が鳴るような気がして、先日は何度も出たり入ったりしちゃいました。
山門にACコンセントがあるのも興味深くて写真を撮ってきました。
怪しい男風ですね。
以前お話に出た専念寺は母方。
法雲寺さんは樹木や芝の手入れがいつもいきとどいていて気持ち良いですね。
黒はんぺんはそのままわさび醤油が好きです。
今では、その息子さんの代に替わっていると思いますが、その方は確か私の兄貴と同じ歳なので、六さんと同じ歳だと思います。
そう、矢倉神社の神主さん(当時は息子さん)は私の中学時代の恩師で、みんなで先生の家へ遊びに行った覚えがあります。この先生も非常に怖かったという記憶ですが、非常に教え方が上手で社会科が好きになりました。でも、私は理科系の仕事をしていますが・・・
「そのまんまわさび」って静岡県知事にいいかも。
その理由を以前誰かに聞いた気がしますが忘れてしまいました。
僕の出身中学校の校長も和尚でしたが怖い人ではない代わりに怖い人に捕まったらしいです(ひそひそ)。
「そのさんま日干し」
ってのはたぶん却下だろうな(爆)。