▼ヘビ君とブタ君

東京都台東区上野2丁目。

創業1857(安政四)年、上野広小路に開設された「軍談席本牧亭」という
講釈場が母体といわれる老舗定席、上野鈴本演芸場がある。



出演者一覧を見ていたら
五月の下席夜の部のとり(主任)は古今亭志ん輔が勤めている。



古今亭志ん輔といえばNHKテレビ『お母さんといっしょ』の人形劇で
「はいブタ君は○、ヘビ君は×、さて正解は…!」
と子ども相手のコントを演じていたあの志ん輔である。
志ん輔もえらくなった(年をとった)んだなぁと経歴を調べてみたら
なんとわずか一歳年上のヘビ君だった。

ウマ年だけど最近どんどんお腹の出ているブタ君も年をとるわけである。

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▼東大の紅花栃(ベニバナトチノキ)

東大構内を歩いていたら緑の葉の中に赤い花が咲き、
思わず目を引かれて
そばに寄ってみたら「○○○○○○○○」だった。



「○○○○○○○○」の赤い花には見覚えがあり、
何年か前までは「○○○○○○○○」の名を知っていたのだけれど、
シャッターを押しながら「うっ……」と詰まって思い出せない。



帰宅してからパソコンに向かい、
何年か前、駿河台で明治大学脇から山の上ホテル方向へ向かう道で
この木が並木のようになっていたことを思い出し、
それらの言葉の断片をキーワードにして検索したら
「ベニバナトチノキ」であることがわかったのだった。



三四郎池近くに2本見つけた。

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【自転車預かり所の人々】 

【自転車預かり所の人々】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 5 月 15 日の日記再掲

自転車がとても大切だった時代には、自転車泥棒にあわないよう、町に出たら自転車預かり所に自転車を預けて、最寄りの駅から電車に乗ったり、買い物をしたり映画を見たりしたものだった。

もう我が郷土旧清水市内にはJR草薙駅前にある自転車預かり所しか残っていないものと思っていた。

■ JR 草薙駅前にて。
RICOH Caplio GX 

■ JR 草薙駅前の自転車預かり所にて。
RICOH Caplio GX 

週末の片付け帰省時にふと JR 清水駅前ロータリー近くで立ち止まったらそこにちゃんと自転車預かり所があってびっくりした。何度も前を通っていたのに今まで一度も気づかなかったのである。

■静岡県清水辻1丁目の『青木自転車預り所』
Panasonic DMC-FX8

■静岡県清水辻1丁目の『青木自転車預り所』
RICOH Caplio GX 

JR草薙駅前にしろJR清水駅前にしろ、こんな時代にもちゃんと自転車預かり所を利用する人がいることに感心する。
 
新品の自転車が驚くほど安く買えたり、僕が清水で乗っているような放置自転車をシルバー人材センターの人々が再整備した自転車が格安で手に入る時代だけれど、「(自転車預かり所にお金を払って置かせて貰うという出費によって他人に迷惑をかけないで清清した気分で生きられる)」と考える人たちによって、自転車預かり所は支えられているのではないかと思う。年寄りを介護していて杖をついた義父の手を引いたり、歩行器の押し歩きに寄り添ったり、車椅子に乗せて外出すると、歩道に放置された自転車が泣きたくなるくらいに通行の邪魔なのである。

いったいこの放置自転車の洪水の中からどうやって自分の自転車を見つけて取り出すのだろうと呆れたり、トラックに山のように積まれて撤去される放置自転車を見るたびに、自転車が買ってもらえなくて泣いた少年時代を思い出す。そして自転車預かり所に整然と預けられた自転車を見て、こういうのが当たり前の時代に当たり前に泣いたんだから恥ずかしくなんかない、と清清した気分で納得する。

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【家出】

【家出】

高校時代、日帰りの家出がしたくなると国鉄清水駅から汽車ではなく、『大和屋』脇のバスターミナルからバスに乗った。
日帰りの家出にはバスが向いていると思う。


大和屋斜め前の『停車馬』でビールを飲んで外に出たら、19時51分発静鉄ジャストライン庵原線上伊佐布行きのバスが出発するところだった。


このバスに乗ると上伊佐布着が20時14分でいい時刻だ。
(何にいい時刻かはわからないけど)
それにしても「しずてつ インターネット バス時刻表 “なんじ?君”」で調べると

清水駅前    19:51
清水税務署前  19:52
大手二丁目   19:54
清水東高前   19:55
秋葉前     19:56
南光      19:57
鹿島神社前   19:58
元西久保    19:59
龍雲院前    20:00
松花      20:02
下河原     20:03
小里入口    20:04
庵原小学校前  20:06
一乗寺前    20:07
金谷      20:09
金谷上     20:10
下伊佐布    20:11
伊佐布     20:12
坂口      20:13
上伊佐布    20:14

などという恐ろしい運行時刻表なのだけれど、伊佐布って清水駅からバスに乗って23分で着けるほど近かったかなぁと不思議で、とすると清水の海辺と山間部は恐ろしく近く、かわいい日帰り家出だったのだ。

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【JR清水駅前の『富士屋』】

【JR清水駅前の『富士屋』】

大好きな昔ながらの大衆酒場のことを「オヤジ酒場」と呼ぶ人もいるらしい。

確かに昭和三十年代の日本中に当たり前にあった大衆酒場や大衆食堂が、年若の人たちにはおそらくピンと来ないくらいの大衆が大衆に見えない総大衆的な時代になった。


 RICOH Caplio GX

一人で飲むなら気取った店が嫌いなので、黄昏の清水駅前で、何年か前に『ブックスオリエンタル』の陽気な主人に背中を押されて母と入って飲んだことのある『富士屋』に入ってみた。

「オヤジ酒場」の良い客というのは注文したら素早く出て来るありきたりなつまみを頼んで酒をさっさと飲んで勘定を済ませてあっという間に去っていく客であり、そういう酒飲みがかっこいいなと常々思っているので冷や奴を頼んでサッポロ黒ラベルの大瓶一本をクイッとやって店を出た。
時計を見たらなかなか良いタイムが出ていた。

この店ののれん、「山に酒」もいいけど右端に「酎」とあるのもいい。

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【つばめ鮨にて】

【つばめ鮨にて】

鉄道で使われる丸ゴシック体は鋭角部分が少ないことで錆びに強い書体として開発されたものだと昨年の夏に他界した元写植屋の友人が教えてくれた。

こういうレトロな書体を最近デザインに携わる若者は「カッコイイ書体」などと言ったりし「どこがカッコイイんでしょうね」などとメールで笑い合ったのを懐かしく思い出す。


静岡県清水大手町のつばめ鮨に「電報取扱駅」の表示板が飾られていた。
携帯電話などもちろんのこと、車内電話すらない時代に、乗客が外部と急いで連絡を取りたい場合、頼信紙(らいしんし)という紙に電文を書いて車掌に手渡す。
車掌は「電報取扱駅」を通過する際にそれを係のものに手渡し、その駅から電報が発信されたという。

そういう時代がついこの間まであったという証である。

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▼現代植物画の巨匠展

東京都中央区銀座1丁目。
裏通りを歩いていたら損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の
ボタニカル・アート(植物画)の展覧会の
ポスターが貼られていた。



植物画は嫌いではないけれどあえて展覧会を見たいとは思わなかったが
ポスターに描かれているものが
「そうそう僕もこの発条に似た部分に興味があったんです!」
と思ったらとても見に行きたくなった。

針穴写真機で撮った写真だという理由だけで展覧会を見に行きたいとは思わないことの
対極にある心の動きだと思う。
技法ではなく何が表現されているか、ということこそがやはり大切なものの中心にある。

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▼田所美惠子・針穴写真展

東京都中央区銀座1丁目。
中央通りに面したポーラミュージアム・アネックスで
季刊【sizo:ka】の表紙写真を撮っている
田所美惠子さんの写真展が始まっていた



田所さんの写真に限らず、
セザンヌの油絵でも、
山形県の観光ポスターでも、
千疋屋のチラシでもそうだけれど、
どうして洋梨の形にはエロスが感じられるのだろう。

…なんて思うのは僕だけかな。

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【清水駅前のジャンボシュークリーム】

【清水駅前のジャンボシュークリーム】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 5 月 12 日の日記再掲

 

清水駅前にある老舗和菓子店(創業大正年間)のシュークリームが美味しいと教えてもらい、5 月 12 日のゴミ出し帰省時に、清水駅前に行ってみた。

母の看護・介護のために毎週末介護帰省した頃、午前 9 時 26 分、特急ワイドビュー東海1号が清水駅に着く頃には、おいしそうな和菓子を店頭に並べているお店があり、それが『みのや総本舗』で、アメリカンタイプのジャンボシュークリームを作られているというのだ。

■静岡県清水、JR清水駅の前にて。あったあった、これが噂のジャンボシュー……と思って撮影したサンプル。
RICOH Caplio GX 

店頭ショーケースに確かにジャンボシュークリームがあるので
「ひとつ下さい」
と言い
「歩きながら食べますからそのままでいいです」
というと奥に取りに行くのでよくみたらショーケースにあるのはサンプルだった。

紙ナプキン代わりの白い紙袋にのせてもらった 100g のジャンボシュークリームを 130 円で買い、恭しく捧げ持って食べる場所を探す。

■「現社長が昭和 20 年頃、新橋の第一ホテルで修行中、GHQ のお抱えシェフから直伝されたアメリカンタイプのシュークリームです」(『みのや総本舗』のホームページより)
RICOH Caplio GX 

港橋『かどや』のおにぎりが、港の岸壁や巴川堰堤に腰掛けて食べると家で食べるより数倍美味しいように、食べ物にはそれが一段と美味しく感じられる場所があるので、清水駅東口駅前広場の円形大理石に腰掛けて食べることにした。

アメリカンタイプなのでシューはサクッと硬めで、カスタードと生クリームを混ぜた中身も過度な甘みや香り付けがなくてとても好ましく、しかも海風の吹く海岸駅前の黄昏時に食べると 130 円ならありがたすぎるくらいに美味しい。

■黄昏の清水駅とジャンボシュークリーム
RICOH Caplio GX 

清水駅ホームを背景にしてアングルを変えながらジャンボシュークリームの写真を撮っていたら突然後ろに人が立っていて
「あの~……」
と声をかけられ、ドキッとして振り向くと中学生か高校に上がりたてくらいに見える少女だった。

最近の子どもというのは
「お腹がすいているんですけど……」
などと言うことをぬけぬけと見知らぬ他人の持っているジャンボシュークリームに向かって言いそうな気がするのでそれもまたドキッとしたりするのだけど、質問は
「ドリプラ(清水エスパルスドリームプラザ)ってどっちですか?」
だった。

「ドリプラまで歩くつもり?結構あるよ」
と答えると
「 25 分くらいですか?」
と聞くので、
「う~ん、急ぎ足で歩けば 25 分で着けないこともないかな」
と答え
「この道をず~っとまっすぐに行くと左手にあるからね」
と教えておいた。

少女が歩み去ったストックトン橋方向
RICOH Caplio GX 

ジャンボシュークリームを食べながら遠ざかっていく少女の後ろ姿を見つめていたら、教え方が良くなくてまさか本当にこの道を真っ直ぐ歩いてストックトン橋に入ってしまい、事故にあったりしないだろうな、橋の脇に旧三保線の軌道跡を利用した遊歩道があるからその道を行くんだよ、と教えてやれば良かったかなぁ、日暮れて歩くとあの道はもう寂しいかも知れないから、見知らぬおじさんに声をかけられてもついていっちゃだめだよ、と釘を刺しておけば良かったかなぁ、などと娘を持った父親のようにそわそわしてしまう夕暮れ時である。

 

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▼夜の新宿裏通り

雨の通称「しょん横」。
この路地は屋根付きアーケードではないので雨に濡れる。
だが路地が狭いので傘が差しにくい。
よって濡れるので適当な店にさっさと入りたくなる。
上手い。



「しょん横」より懐かしの「ぼるが」の方が安いんじゃないか、
でもあの店はまだあるかなぁと行ってみたら
ちゃんとあったけどもう閉店だった。



少し開いた窓から「ぼるが」の店内をのぞき込む猫。
店内の客がこの猫に気づいたらかわいいと思うに違いなく、
そうやって窓の隙間から食べ物を貰った経験が
きっとあるに違いないと思う。



仕方なしにこの店に吸い込まれてみた。
左の若い女性のさらに左隣に座っていたのだけれど
この中国人女性2人組はガツガツとものすごい勢いで食べ、
煮込みの鍋をかき回してこれは何かと聞き、
僕の食べている皿に顔を近づけて覗き込んだりしている。



どう見てもあまりお金を持っていそうにないので
「大きな声じゃ言えないけど実はこの辺は安そうに見えて高いんだよ」
とアドバイスしたくなるが、声が大きいのと
中国語が話せないのでやめておいた。



新宿駅東口へと抜ける通路。
昔はこの通路に「ぼくの詩集を買ってください」などという札を立てて
ガリ版刷りの小冊子を売っている若者がいたが
最近はとんと見かけない。
インターネットでブログでも書いているのだろうか。

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▼夕立のあとで

5月10日の夜、山手線新大久保駅にほど近い日本福音ルーテル東京教会で行われた
Lusthoffers(ルストホッファース)という3人組による
「オランダバロックの愉悦」というコンサートに行ってみた。

教会前についた辺りで夕立がやってきた。
コンサート終了後新宿『千草』で飲み
しょんべん横町に寄り道したら
吸い込まれたホルモン屋の向かいにこんな店があった。



昔からしょんべん横町にこの店はあったかなぁと記憶をたぐるが
この路地に到達する頃はいつもかなり酩酊しているので記憶にない。
若い男女がキャッキャッとはしゃぎながら入って行ったりして
向かいの店のカウンターから眺める限りでは結構客でいっぱいなのに驚く。



店先に張り出された品書きを見るとさほどゲテモノでもないので
若い男女も入りやすいのかなぁと思うが

「店内 店内 何百種」

と最後に書かれた文字が清水秋葉神社の祭礼に出る
お化け屋敷の呼び込みに妙に似ているので、
店内にはいると「ゲゲゲっ!」と驚かされる仕組みなのかも知れない。

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【夕顔】

【夕顔】

清水小芝町にある古書店『清水書店』は夕暮れに開く、と教えて貰ったが、夕方通りかかったら本当に開いていた。


開いている『清水書店』を見るのは初めてで感動したが、それよりインターネットなどという非常に頼りなげな仕組みの中で、教えて貰ったことを実際に確かめに行ったらその通りだった……そういうことにひどく感動してしまう。

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【シューの中身】

【シューの中身】

この店は母に教えて貰った。
 
母がまだ元気だった頃、実家に着いたら母の友人から差し入れがあり、今清水で人気のシュークリームだから食べてみろと言い、「うん、美味しい!」と言うと「だけど弱点は大きくてカスタードクリームが多いから歩きながら食べられないこと」と笑っていた。


シュークリームを歩きながら食べたいという方が間違っていると思うのだけれど、「やっぱ歩きながら食べるには『画廊まんじゅう』の方が良かった」と言うのには笑ってしまった。『画廊まんじゅう』というのはこのシュークリームが美味しい店の近所にあった不思議な名前の今川焼きである。

新しい店舗がわからなくて、母からの携帯電話リモコン操縦で店を探した昨年の初夏が懐かしい。
初めて食べたときよりシュークリームは小振りになった気がするが、やっぱり歩きながら食べるには無理があると思う。

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【エイトマンとイルカ】

【エイトマンとイルカ】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 5 月 8 日の日記再掲

 

『エイトマン』という名前のテレビアニメが子どもの頃にあり、何となくタバコのヤニ臭さの漂うひどく大人びたヒーローものという印象がある。

エイトマンは時々ベルトのバックルの中からイルカのスマシ(別名蒲原ガム)……じゃなかったタバコのようなものを取り出して咥えており、それが何となくヤニ臭さの漂う印象を与えていたのかも知れない。あれはタバコではなく「強化剤」といってエイトマンの電子頭脳の性能をアップさせるものなのだ。

清水出身で鶴見在住だった叔父はいい大人のくせに『エイトマン』好きで夢中になって見ていた。

叔父はエイトマンも好きだったがイルカの味噌煮も大好きで、近所のスーパーにイルカが並ぶと大喜びで買ってきては味噌煮を作り、箸でつつきながら甥より夢中になって『エイトマン』を見ていた。というわけで記憶の中で『エイトマン』とイルカがセットになっており、『エイトマン』はイルカを食べて強化されている。

「静岡県清水では当たり前のようにイルカを食べる」
などと言うと
「ええぇ~~~っ!」
と驚かれたりするけれど、昭和三十年代には神奈川県川崎市鶴見にだって、スーパーの魚売り場で普通にイルカの肉が売られていたのである。先日秋田出身の編集者と話したら、秋田でも良くイルカを食べたと言い、少なくとも
「ええぇ~~~っ!」
と驚かれるような話しではない。

当時は当然知らなかったのだけれど、エイトマンの原作者は平井和正であり、脚本は若くて元気な豊田有恒や半村良という、後に日本 SF 界の大御所になったそうそうたる面々が知恵を絞って創作していたのである。大人が夢中になるわけだ。

JR 清水駅東口に立ったら下り静岡行きの列車が清水駅を発車するところだった。エイトマンは弾よりも速く走れるので清水橋を疾風の如くくぐり抜け、巴町商店街を駆け抜け、『山下天どん店』前を蒲焼きの匂いをかぎながら右折し、千歳橋を渡り、南幹線をばく進し、浜田町の交差点をカクッと右折し、先ほど清水駅を発車した列車が浜田踏切を通過する前に、先回りして渡れるはずなのだけれど、残念ながら静鉄の遮断機が下りており、上がった遮断機の向こうをさっきの東海道線列車が通過するところだった。

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【『かどや』】

【『かどや』】

港橋たもとの再開発ビルが完成に近づき、ぎりぎりまで旧店舗で営業を続けてこられた『かどや』さんが、お店のシャッターをおろされたので、もうあの『かどや』のおにぎりは食べられないのか……と思う人もいるらしい。

『かどや』旧店舗の取り壊しも近いのだろう。



『かどや』さんも「なくなってしまうのではないか」という誤解を受けないように苦心されているようで再開発ビルの1階でちゃんと営業を再開されるというカンバンを工事現場の壁に掲げての旧店舗での営業だった。

人は味のみを味わうわけではないので港橋たもとのあの古びた店舗で買ったおにぎりじゃなきゃ嫌だ……という人もいるかもしれず、
そういう人にとっては、もうあの『かどや』のおにぎりは食べられないのか……という感慨があるのかも知れない。

『かどや』ファンとしては漫画『ちびまる子ちゃん』に登場する『みつや』のように、幻のお店としてその姿をまぶたに焼き付けて
新しい『かどや』のおにぎりをいただくという高度な愛情が必要かも知れない。

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