電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【大きな花はゆっくり咲く】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 5 月 7 日の日記再掲)
「大きな花はゆっくり咲く」
静岡県清水上清水町、大小山慶雲寺門前に掲げられていた言葉である。大器は晩成する、真に偉大なものは遅咲きであるということだ。
■静岡県清水上清水町、大小山慶雲寺門前にて。
RICOH Caplio GX
「深い川は静かに流れる」とも言う。浅い川ほど流れが早く、やかましい。
■静岡県清水。港橋上より巴川河口方面を見る。
RICOH Caplio GX
巴川は浅いけれど静かに流れる、というか、なかなか流れなくて、下流では満ち潮とともに逆流してくる。
■静岡県清水。富士見橋上より。橋のたもとの公園で子どもが遊ぶ姿を久しぶりに見た。連休ならではかも知れない。
RICOH Caplio GX
昔むかしの巴川はもっともっと深い川で、水中に石垣積み用の巨岩をぶら下げて上流まで遡れた。まさに深い川が静かに流れていたのだ。
■静岡県清水。富士見橋上より川上を見る。35年前にこの場所から溝川のようだった巴川を撮った。
RICOH Caplio GX
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【最中(もなか)と富士山と清水みやげ】
【最中(もなか)と富士山と清水みやげ】
小学生時代、春夏冬の休みになるたびに息子を清水の実家に預けに来て、そしてまた迎えに来た母は、清水みやげには必ず清水銀座『中満』の最中を買い、あまりに毎度毎度『中満』の最中なので貰う人が飽きないかと尋ねると、最中というのは日持ちがするし好き嫌いの当たりはずれがないのだと言っていた。
NIKON COOLPIX S4
清水から帰京し、さて日記に何の写真を載せようかしら、とデジカメで撮影した写真を見ているとまず富士山を選んでしまう。
富士山というのは最中に似ていて、見飽きないという意味で日持ちがするし好き嫌いの当たりはずれがないのかもしれない。
写真は 5 月 3 日、浜田町『かしの木亭』で昼食にタンメンを食べ終え、通りかかった入江岡跨線橋からの最中……じゃなかった、富士山。
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【連休の思い出】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 5 月 6 日の日記再掲)
三保灯台前の海岸に出たら水平線に土肥・清水間の連絡船が見えた。
■静岡県清水三保。吹合ノ岬あたり。
NIKON COOLPIX S4
静岡県清水三保。海辺の人々は皆海の方を向いている。そういうものだ。
■静岡県清水三保
NIKON COOLPIX S4
5 月 4 日の夜、清水の町で飲んでいて、友人 I さんの奥さんが福井出身で富山出身の妻と二人の日本海側生まれが揃ったので、
「頭の中に郷土を思い浮かべるとき背中はどちらに向いているか」
と尋ねたら、静岡から見て裏日本出身のふたりは
「当然背中は南の山側に向いて、顔は北の日本海に向いている」
と言う。
自分の場合、日本海側の町を訪ねると、背中は北の日本海を向き、顔は南の山並みに向いている。郷里静岡県清水にいると背中は北の山側を向き、顔は南の太平洋側に向いている。
■静岡県清水三保。
RICOH Caplio GX
5 月 5 日の夜、県道 75 号清水富士宮線沿いにある居酒屋で友人たちと飲んだ。
清水山間部の分校を卒業して庵原中学に進学したという店主はどうしてこんな場所に店を開いたのだろう、もしかすると県道 75 号清水富士宮線に限っていえば彼にとって生まれ故郷の山間部方向に背中が向いていて、町場である清水の商店街方向に顔が向いていたのではないだろうか、などとぼんやり考えたりした。
実家前の久能街道を北進し、旧東海道に合流し、稚児橋を渡り、魚町稲荷前を右折して江尻宿に入らず、真っ直ぐ北上する県道 75 号清水富士宮線。
4 泊 5 日の今回の片付け帰省で、何度この道を歩いただろうと数えてみると、12 回も歩いている。
■清水入江町から見た県道 75 号清水富士宮線。
NIKON COOLPIX S4
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5 月 6 日は 5 時半に起床。可燃ゴミ収集に合わせてゴミ出しをするが、あまりの多さに少し保留する。プラスチックゴミ 2 袋を自動車に積んで清水ゴミ処理場に持ち込み、持ち込みによるゴミ収集のルールを確かめる。10 時を過ぎて M さんが中河内みやげを下さるというので清水駅前で待ち合わせ。
駅前銀座『お菓子の見城』の見城さんに聞きたいことがあったので立ち寄って立ち話。
M さんより抱えきれないほどのみやげを貰い、『印度』まで歩いて昼食。お母さんが
「あなたの名前は?」
と聞くので
「石原です」
と答えると
「やっぱりね」
と言い、
「まぁ座りなさい」
というので、ネットであれこれ書いたことの小言を貰うのかと緊張する。
「あなたここ 3 日間くらい有名人よ」
と言いサイトのプリントアウトを見せられる。「(やっぱりなぁ)」と恐縮すると、東京から帰省した常連がプリントして見せてくれたという。『辻のらいみん』という文字もあるので杉山さんに確かめて名前も突き止めたという。絶体絶命。……で、写真が気に入って数日間飾っていたというのでホッとする。次回帰省時に綺麗なプリントをプレゼントすることにした。
駅前の『ブックスオリエンタル』に雑誌『 sizo:ka 』が平積みされていたので購入し、お母さんに名刺代わりにプレゼントした。
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【映画館幻像】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 5 月 5 日の日記再掲)
午前中実家の片付けをし、昼食までの腹ごなしにエスパルスドリームプラザのある港町界隈を散歩したらドリームプラザ脇に『ユニクロ』ができていた。
晴天だったが突風が吹いており『ユニクロ』脇に駐輪してある自転車が次々に倒れていた。
■強風の吹くエスパルスドリームプラザ横「ユニクロ」前。
RICOH Caplio GX
『ユニクロ』で買い物をした若い女性が出てきたらレシートが風で飛ばされ、彼女にはレシートが大切だったらしく僕の前まで走ってきて前屈みになり、右足先で「タァ~ッ」と気合いを入れて踏んばし(清水弁)、その途端かぶっていた帽子だけがさらに前方に飛んで行き「ギャァ~ッ」と笑いながら絶叫していた。僕はそういうちびまる子的にどたばたとした清水の女性のひょうきんさが年をとるにつれて好きになる。
■エスパルスドリームプラザ横「ユニクロ」前からエスパルス通り越しに港橋たもと「入船寿司本店」をかすめて日本平まで串刺しにしてみた。この道もまた海と山を結ぶ道である。
橋の手前を右折した左側に『羽衣劇場』という映画館があった 。
NIKON COOLPIX S4
実家の本棚を片付けていたら小学生時代清水で過ごした夏休みの日記が出てきた。8 月 6 日に日記にこう書かれていた。
「今日はいとこの慎二くんといっしょに映画のカンバンを見に行った。かいじゅう映画の 3 本だてだ。それで 90 円ならやすいと思う」
映画のカンバンだけを見に行くのも娯楽だった子ども時代を懐かしく思い出す。
次の日に伯母に
「 映画を見に行ってもいい?」
と聞き、
「 夏休みの宿題が遅れているから追いつくまでは行かせないよ」
と言われている。
浜田町『かしの木亭』に行って
「やいやい、羽衣劇場の怪獣映画三本立てが 90 円なんていう時代があったんだね」
というと常連の一人が
「羽衣劇場は今の『なすび』の場所にあったっけなあ」
と言い、別の常連が
「ちがうよ、『なすび』よりもうちっと港橋寄りにあっただよ」
と言い合いになっていた。
■『なすび』脇の駐車場から望む港橋方面。
RICOH Caplio GX
美濃輪稲荷大鳥居前の魚屋に寄った帰りに現場に行ってみたが、今の『なすび』の店舗より左側、『ベストネーム藤田商店』より右側、要するに『なすび』駐車場あたりに『羽衣劇場』は有ったのではないだろうか。ちがうかな。まあいいや。
■『なすび』と脇の駐車場。港橋側から撮影。
RICOH Caplio GX
それにしても川沿いの土地は細長くて、ずいぶん奥行きの浅い映画館だったんだなぁと思う。映画館は中に入ると実際以上に奥行きを感じるものなのだ。
この場所に座って巴川方向にあるスクリーンを見つめてあんぐりと口を開けている小学生時代が僕にはあった。僕が高校生になる頃には『羽衣劇場』はピンク映画館になってしまったので、子どもたちに代わって 18 歳以上の大人たちが巴川に向かってあんぐり口を開けていたことになる。
■5月5日の備忘録:午前中実家の片付け。腹ごなしに徒歩でエスパルスドリームプラザ界隈へ。『ユニクロ』で買い物をし、波止場のあった辺りを散策し、タクシーで『つばめ鮨』に昨日忘れた鞄を取りに行き、昼食にまた鮨を食べる。帰京する妻を自動車で静岡駅まで見送り、自宅に戻る。ひとりになって魔の黄昏時が近づいたので外出し、清水銀座『四ツ葉』で手帳とボールペンを買う。たばこの『もちずき』前あたりで友人の O さんから電話が入り、今夜呑みたかったが都合がつかないという。清水駅前の喫茶店『停車馬』でビールを飲みながら連休中の日記を書く。中河内の M さんから電話が入り清水駅前で待ち合わせ、大手町の『こうのとり』へ。店主と 3 人で盛り上がったので大手町の女性一級建築士 M さんを呼び出し、4 人になってさらに盛り上がる。男性の M さんと魚町稲荷前まで歩き『餃子倶楽部』でラーメンを食べて別れる。
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【花のありか】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 5 月 4 日の日記再掲)
5 月 3 日水曜日、静岡県清水大内にある曹洞宗の寺『保蟹寺(ほうかいじ)』にある母の墓に参ったら、墓所脇に見慣れない箱が置かれていた。
これはきっと養蜂家が設置した蜂の巣箱ではないかと思ったら、奥手にある叔母の墓近くの農地にもやはり蜂の巣箱が設置されていた。
レンゲの花が田んぼで綺麗な絨毯を織りなし、寺の脇の畑ではアブラナの黄色い花とエンドウの白い花が満開になっていた。それよりもこれらの巣箱は山のミカン畑に開くミカンの花を目当てに設置されたのかも知れない。祖父母も伯父や叔父叔母やわが母も、蜂が元気に飛び交って働く姿を見ていたら飽きることもないだろう。
■静岡県清水大内。保蟹寺(ほうかいじ)にて。母の墓の脇に置かれていた蜂の巣箱。
RICOH Caplio GX
■もう一つの巣箱にはしきりに蜂が出入りしていた。
NIKON COOLPIX S4
■山も田畑も新緑に彩られ、このどこかに蜂は花を探り当てる。
NIKON COOLPIX S4
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翌 5 月 4 日木曜日、友人夫婦と子どもたち計 6 名で清水大手町にある『つばめ鮨』で鮨を食べながら一杯飲むことに。
■静岡県清水秋吉町。清水東高脇やきそば『えんどう』さん脇の藤棚ライトアップ。
Panasonic DMC-FX8
約束の時刻である午後 7 時にちょっと間があるので、県立清水東高校のグランド脇を歩いていたら焼きそばとおでんの店『えんどう』さんの店先にある藤棚が満開になっていた。個人で企画する藤棚夜間ライトアップであり、それは美しい春の宵になっていた。
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【釣りは猫へ】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 5 月 3 日の日記再掲)
清水に片付け帰省し、黄昏時の清水駅前に降り立ったら激しい暴風雨だった。
タクシーに乗っていったん実家に戻ってしまったら出歩くのが嫌になりそうなので、線路沿いのグルメ通りを走って『金の字本店』に駆け込む。一人であることのありがたさは、大繁盛で満員の店にも一つくらい空いている席を見つけて滑り込みやすいことであり、生まれて初めて一人で入る『金の字本店』である。
■『金の字本店』の絶品モツカレー。
RICOH Caplio GX
『金の字本店』って昔は壁に大きな時計と大きな時刻表がなかったかなぁ、と思うのだけれど思い違いかも知れない。どこか別の店と勘違いしているのかなぁとも思うほど最近は物忘れが激しいのだ。
忘れると言えば、飲み屋というのは客それぞれに伝票を用意して注文を受けた酒やつまみの数量をメモして勘定の際に計算するのだけれど、どの伝票がどの客の物であるかを間違えないために、店独自の符牒ができあがっていることが多い。
大正橋たもとの『金田食堂』だと「テレ下」とか「ババ前」とか場所を特定する符牒があって客は「テレ下さん」とか「ババ前さん」とかになるのだが、『金の字本店』ではどうやっているのかしらと店員がしきりに注文された物を書き込んでいる伝票を遠目で見たら「ソトマエ」とか「ソトナカ」とか書かれており、カウンターの場所を特定しているらしく、それ以外には「男女」などというのもあった。
■絶品モツカレーにはカレーがたっぷり過ぎるほどからみついており、次のつまみが来るまで箸の先でちびちびなめながらジョッキ 2 杯くらいはいける。こういうちびちびした楽しみも一人だからできることかも。常連はモツを食べ終わった後のカレーをどうしているのだろうと横目で見ると、かなり贅沢に残している。
RICOH Caplio GX
カウンターに腰掛ける直前、モツカレーの鍋をちらりとのぞき込んだらもう売り切れが近く、慌てて
「モツカレー5本!」
と注文する。
注文した際に
「(僕はどういう符牒で呼ばれることになるのだろう?)」
と興味がわいたので伝票をのぞき込んだら「一人」と書かれており「一人」と呼ばれて過ごす一人の夜である。
■カレーをかなり贅沢に残す常連を見て「(いいよな~、いつもこれが食べられる常連は…)」と思って意地になって皿のカレーを食べる。これ以上やると皿を舐める犬になるしかないのでやめておく。
RICOH Caplio GX
同じくカウンター奥で一人で飲み始めた高齢の客がおり、つくね二本と熱燗を湯飲みでグイッとやって、
「ごめんな二本しか食えなくて」
と店員(息子)に声をかけ、
「釣りは猫へ」
と付け加え、店員は
「猫いただきましたー!」
と大声を張り上げ、他の店員(父母)も
「猫いただきましたー!」
と唱和していた。釣り銭は招き猫の貯金箱に入れておけと言うのである。しみじみと良い言葉のやりとりである。
■「一人」と書かれた伝票。もう中ジョッキ3杯に到達している。一人だとどうしてもピッチが早くなる。
RICOH Caplio GX
帰り際に真似して
「釣りは猫へ」
と言ってみたかったが、同じ一人客であっても十年早いような気がしてやめておいた。
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【真っ直ぐであることと曲がっていること】
【真っ直ぐであることと曲がっていること】
美濃輪稲荷赤鳥居前の魚屋店頭から見た清水次郎長通り。
次郎長通りは真っ直ぐなように見えて実は曲がっている。
望遠レンズで遠近感を圧縮することでわずかなカーブが強調されて随分曲がっているように見える。
こういう場合「次郎長通りは蛇行している」と言えなくもないが、実際に歩くと人は蛇行に気づきにくいので現実的には真っ直ぐあると言った方が正しい場合もある。
他人に突然唐突な議論をふっかけたりする人間は世の中に当たり前にあるこういう現象をぞんざいでしかも都合良く自分のために利用するので信用ならない場合が多い。
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【巴川レガッタ】
【巴川レガッタ】
4月29日、稚児橋の上に立って川面を見ていたら橋の下から少年がボートを漕いでアメンボのように眼下に滑り出て、川上に向かってツーイツーイと遡って行った。
シングルスカルの速度ってどれくらい出るのかなぁとぼんやり眺めていたらあっという間に折り返してこちらに戻ってくるので早いなぁと感心したらCOXを入れて5人の少年が乗ったフォアのボートだった。
さすがに漕ぎ手が4人のボートは速い。
漕いでいるのは国立清水海上技術短期大学校の学生だろうか。
毎年日本各地から清水の町にやってきて、こうやって時にはボートを漕いで巴川を上り下りし、2年経ったら卒業して立派な海の男として育っていく。
あの子たちは僕ぐらいの年齢になったとき学生時代を過ごしたこの清水をどんな風に思い出すのだろう。
そんなことをふっと思っているうちにボートは早くも柳橋をくぐろうとしている。
時の経つのも早いがフォアのボートも速く、時速20km位は出ているのではないだろうかとおじさんがしみじみする巴川レガッタ。
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【大切な(?)お知らせ】
【大切な(?)お知らせ】
ご要望があったのでお知らせです(笑)
本日5月2日より6日まで実家の片付けのために帰省します。
帰省中は基本的に実家で片付けをしていますが、夜は
1 実家で飲食するとゴミの始末が面倒である
2 実家であまり火を使いたくない
3 実家でひとりで呑んでも寂しいだけ
という理由をつけて毎晩6時前から飲みに出てしまいます。
で、基本的に今日はどこそこに何時に集まって呑もうとメールや掲示板で人を募ることはしていません。
それをやると毎晩飲み会の幹事になっちゃうからです。
で、基本的には
「今夜どこで呑むの?」
「今晩付き合ってやってもいいよ」
などと電話やメールをくれた方と呑むのを楽しみにしていますが
こちらからはあまり誘うことがないです。
理由 → 誘ってふられると寂しいから
誰も誘ってくれないとひとりで呑むか
相手をしてくれる店主のいる店に行くことにしてます。
ということで誰とでも呑みたいので来る人拒まずですが、こちらからは誘いませんので(どうして誘われないんだろう嫌われてるのかな…なんて思っちゃいけない(笑))遊んでやろうという人は電話かメールを下さい。
この掲示板に書き込んだものもメールとして届きます。
余談ですが僕の友人たちの間では積極的に自分から「おれも行く」と連絡してきて合流して呑み、呑み終わるとまた飄々と去っていく人は「手間のかからない酒飲み」として好感をもって(便利に)愛されています(笑)
※写真は大好きな「新潟揚げ」。電車に乗り込むときビールと一緒に必ず買います。
こいつもまた「手間のかからない酒飲み」の友です。
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【沼津で気になるもの】
【沼津で気になるもの】
JR東海道本線が三島駅を発車し、程なく沼津駅に着く直前、進行方向左手、
線路の南側に面した場所に建物の礎石のようなものが並んだ遺跡らしきものがあり、
手持ちの地図を見てもその正体がわからない。
以前から気になるのだけれど途中下車するのも面倒なので
謎のままになっていたのだけれど、
4月29日の帰省時にカメラのシャッターを押したら
一応写真に撮ることができた。
学生時代明日香村に行ったら同じような遺跡があり、それは建物の礎石が並んだものだったが上に乗ってみると(笑)樹脂製の作り物だった。
この沼津の遺跡も礎石に見えるのだが、礎石が大きい割に密集しすぎていないだろうか。
こういう柱が建て込んだ建物が本当にあったとしたらどんな建物が建っていたのだろうか?
そしてこの礎石は作り物でなく本物だろうか。
気づいたのは最近なのだけれど、最近発見・整備されたのだろうか。
写真は撮れたけれど疑問は解けない。
誰か答えをご存じですか?
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【鉄火巻き日本一に挑戦】
【鉄火巻き日本一に挑戦】
「長いものには巻かれろ」と言うが長いものというのはなかなか理屈では理解しがたく、「長いものは巻いてみないとわからない」という側面も持っている。
ここ数年、静岡県清水駅前銀座の『鉄火巻き日本一に挑戦』で鉄火巻き日本一達成の瞬間に立ち会っているが、巻く側に参加してみたのは今年が始めてである。
実はナオさんにしろ石川さんにしろ商店主の男どもは人柄がおおらかなので、非常にアバウトな海苔……もといノリで日本一を更新し続けているのかと思ったら、実際に現場を取り仕切る商店街の女性たちが、非常に厳格できっちりしていることに驚かされる。
おだっくいな男たちをキッチリした女性が苦労をものともせずに支える、というのが我が郷土清水の特長なのかも知れない。
あらかじめ日本一達成の長さ分につなぎ合わされた地元メーカーの海苔が目の前を通過するさまははるばるギリシアで点火された聖火がリレーされていくようで思わず参加者たちから拍手がわき起こる。
各テーブルが色分けされて参加人数が決められ、各自隙間なく巻き簀を目の前に並べ鉄火巻き日本一達成後は巻き簀単位で切り分けられて参加者が持ち帰って良いことになっている。
長さも参加人数もキッチリ決まり、商店街の婦人たちにやんわり叱られながら宇宙ロケット打ち上げのような緊張感の中でキッチリと巻き上げる。
巻き上がってみるとキッチリとした鉄火巻きが大量に余っており、「おやっ?」と思ったら、遠巻きにしてみていた人たちの試食用として無料で配るための心遣いであり、そういう見事なキッチリさも巻いてみないと見えてこないものの一つである。
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【新年度片付け帰省開始】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 5 月 1 日の日記再掲)
怒涛の年度末仕事が片付き、また毎週末の片付け帰省ができそうな状態になってきたので、4 月 29・30 日の連休にひとまず新年度第一回目の片付け帰省をした。
■根府川鉄橋通過中。
RICOH Caplio GX
■熱海駅に着いたらホームに女性車掌がいた。入線してくる列車の車掌室の位置に立っており、何か引き継ぎをするのだろうか。いつも思うのは車掌や運転士が持っている黒い鞄には何が入っているのだろう。車寅次郎だと金ピカの磁気健康バンドが入っているのだけれど。
RICOH Caplio GX
特急ワイドビュー東海 1 号で清水駅に着き、駅前銀座商店街『リビングハウスこまつ』のナオさんと『寝具ランド石川』の石川さんに挨拶をし、自宅に着いてご近所に挨拶をし、向かいの『サカエ理容室』で散髪をし、12 時まで自宅の片付けをし、山ほどのゴミ袋を作り、浜田町『かしの木亭』で美味しいタンメンと餃子を食べ、入江新富町『美富美堂薬品新富町店』でなぜかこの店でしか見たことのない気に入りの歯ブラシを買う。
午後 3 時まで自宅の片付けをし、山ほどのゴミ袋を作り、駅前銀座に行って友人夫婦と落ち合い、『鉄火巻き日本一に挑戦』に参加し見事 303 メートルの鉄火巻きを巻き上げ、『ハウジング森』の森美佐枝さんと会ったので立ち話しをする。
帰宅して手みやげの鉄火巻きを家族の介護で獅子奮迅のご近所さんに差し入れし、自宅の片付けをし、山ほどのゴミ袋を作り、美濃輪稲荷大鳥居前の『魚初商店』まで自転車をこいで行って立ち話し、店頭から森さんに電話をかけて一杯飲みながらあれこれ打ち合わせをする。
帰宅して自宅の片付けをし、山ほどのゴミ袋を作り、夕暮れが忍び寄る魔の時間帯になったので外出する。
■静岡県清水。旧東海道稚児橋から見る巴川の黄昏。
撮影日: 06.4.29 6:23:10 PM
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■旧東海道稚児橋のカッパ。黄昏時の「おかあさ~~ん」。
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森さんもまたおかあさんの看護・介護をしており、午後 8 時以降にならないと自由になれないのでその時刻までひとりで時間潰しする。
ひとりで潰す時間というのは長い。時間というのは近くに人がいるいないによって自在に伸縮するからだ。
あまりの時間の長さに耐えかねて清水駅前まで歩いてしまい、大衆割烹『もちづき』で一杯飲む。目の前にいる若女将(おかみ)風の女性をつかまえて時間を潰したら
「路面電車も七夕豪雨でだめになっちゃって…」
などと言うので、
「七夕豪雨の時は僕でさえ学生だったんだからまだ生まれてなかったんじゃないの?」
と聞いたら、七夕豪雨の時は中学生だったという。意外に正直であり、意外に年を食っている。女性、しかも着物と割烹着姿でおかあさん風の女性の年齢はわからない。
■静岡県清水辻1丁目、大衆割烹『もちづき』。
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■静岡県清水本郷町の『よろこび』。「ここのたこ焼きは美味しくて、さつき通りにたあんとたこ焼き屋が出る夜もわざわざ買いに来る人んいるだよ」(森美佐枝談)
Panasonic DMC-FX8
頃合いを見計らって表に出るとすっかり夜になっている。
清水本郷町に小さなたこ焼きの店があり、狭い箱の中に美しい女性がひとり入っていてたこ焼きを焼いたり、たい焼きを焼いたり、ハンバーガーを作ったり、洗い物をしたり休むことなく働いており、母の看護・介護帰省をしていた頃から気になって仕方がなかったので、森さんを訪ねる手みやげにたこ焼きを二箱買ってみる。
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