【『1971年東京・清水日帰り往復と日本カメラショー』と東京日本橋】

【『1971年東京・清水日帰り往復と日本カメラショー』と東京日本橋】

ぼんやりと思い出すのだけれど、高二の息子を一人で東京に遊びに行かせてくれた母は「東京駅から高島屋まではタクシーに乗りな」と言ってお金を渡してくれたのであり、子を思う母心をありがたく思う一方で、過保護な親だったんだなぁと思うし、実は母も東京日本橋の地理に疎かったのかもしれないなぁと思う。


日本橋高島屋
SONY DSC-F88

東京駅八重洲口からタクシーに乗ったら「こう行ってこう来れば目と鼻の先じゃん」と思うほど東京駅と日本橋高島屋は近いのだけれど、こう行ってこう来ない脇道を通ることで、タクシーも客に納得感を与えるよう工夫して営業をしているのだろう。


日本橋丸善建て替え工事現場の壁に掲示されていた写真。1970(昭和48)年、日本橋高島屋前の中央通り。
高島屋の向こうに東急が見える。僕が行った年はフォトアクセサリーショーは東急で同時開催されていた。
SONY DSC-F88

東京都中央区日本橋。
日本カメラショーが開かれていた日本橋高島屋前を過ぎたらビルの建て替え現場があり、ここに何のビルがあったんだっけ、と工事用の塀を見たら『日本橋丸善』だった。塀に1970(昭和45)年の中央通りの写真があり、僕が清水からやって来た前年にはまだ都電が走っていたことがわかってビックリする。


撮影日: 2006.02.10 0:05:10 PM
SONY DSC-F88

東京都中央区日本橋室町2-1-2 日本橋三井タワー。
38階建てなのだけれど高く見える。


SONY DSC-F88

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【気まぐれ定点観測……入江岡跨線橋の富士山】

【気まぐれ定点観測……入江岡跨線橋の富士山】

2006年2月11日建国記念日。

清水は呆れるほど暖かかった。


KONICA MINOLTA DiMAGE Z3

望遠レンズというのは焼き鳥の串に似ている。
持ち手のところには入江岡跨線橋があり、清水銀座『メガネの春田』、駅前銀座『駅前会館』、そして庵原の山塊まで串刺しにしている。


KONICA MINOLTA DiMAGE Z3
 
その向こうに頂上が三つに割れている山があり、あのてっぺんに立って富士山を眺めたら串刺しにするものがなくて絶景だろうなぁ、と思う。

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気まぐれ定点観測……東大安田講堂前の銀杏並木

写真というのは不思議だ。

三十数年前に郷里の山の上から撮影した写真を探し出し、
「この写真の中には今はもういない人が生きている」
などと書くと、自分で書いた言葉に誘導されて
目を皿のようにして街並みの映像の上をさまよったりする。
だが本当に写真の中に人がいるわけではないのだ。

それでも人は写真の中に手をさしのべて
愛する人を抱きしめたいという
衝動を抑えることができない。
そういうことの面白さについて
ロラン・バルトというえらい学者が
『明るい部屋』という写真論を書いている。


撮影日: 2006.02.10 3:47:28 PM
KONICA MINOLTA
DiMAGE Z3

日中、並木の枯れ枝の上に月が出ているだけの写真だが
「これは東大安田講堂前の銀杏並木の上に見えている月です」
と言うと、様々な感慨を持って見てしまう人もあって、
写真の面白さ、不思議さ、危うさは
そういうところにもある。

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草月会館とダリと高橋是清記念公園のプラタナス

東京都港区赤坂7丁目。

青山通りに面した高橋是清記念公園脇のプラタナス並木。
日本に最初に輸入されたプラタナスが
静岡県清水興津にある柑橘試験場のプラタナス並木であり
全国に街路樹として広まったプラタナスはすべてその子孫である……
という説が正しければ、このプラタナスたちも
郷里清水に繋がっている。


撮影日: 2006.02.08 3:37:46 PM
SONY
DSC-F88

その向こうにあるのが草月会館で、
中に草月ホールがある。
もう四半世紀以上前に、大学の先輩夫婦に連れられて
草月ホールでサルバドール・ダリが制作した
映画を見に行ったことがある。
正直言って退屈で眠くて眠くてたまらなかったので
今でも草月会館のビルを見ると眠くなる。

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がんばれ北野建設

東京都中央区銀座一丁目。
 
仕事の打ち合わせで出版社を訪れるため、
中央通りから旧テアトル東京脇を入ったら、
いつもなら気にとめることもなく通り過ぎるビルの玄関に
垂れ幕が下がっていて
「おっ!」
と驚く。


撮影日: 2006.02.10 0:36:28 PM
Panasonic
DMC-FX8

そうか、上村愛子って北野建設スキー部員なのか、
と改めて知り、
「ご声援お願いいたします」

「うんわかった」
と頷き、
そうか北野建設が上村愛子の所属する会社なら、
今度建てるビルは北野建設に頼んじゃおうかな、
などと思ったりする。
ビルを建てる土地と金があれば……の例え話だけれど。

企業がアマチュアスポーツを支えるのって
とても企業経営にメリットがあると思う。
もうすっかり北野建設の名を覚えちゃったし。

たとえ景気が悪くても企業経営者はスポーツ部を
廃部にしたりしないで欲しいな、と思う。

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【とんじゃかない】

【とんじゃかない】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 2 月 10 日の日記再掲

 

義父の朝食は「ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン」で、売り切れだと、「パスコのチョコチップス入りスティックパン」でも文句を言わずに食べているので、ヤマザキというブランドに特別なこだわりがあるわけではないらしい。甘くて、手づかみで食べられて、こぼして叱られなければなんでもいいのだ。

正月三箇日の朝に雑煮を食べる以外、360 日以上毎朝「ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン」ばかりを食べているので
「お義父さん、いいかげん 飽きない?」
と聞くと
「なーん、飽きん」
と言い
「これからも毎日『ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン』でいいの?」
と聞くと
「これがいいちゃ」
と言う。毎朝何も考えず「ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン」を食べることで得られる安定した暮らしが義父は好きなのであり、わからなくもない。

■静岡県清水島崎町。場所はニチレイ清水物流サービスセンター隣の県立魚舎だと思う。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 21mm F4

■静岡県清水島崎町。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 200mm F3.5

祖父は大内田んぼの真ん中の一軒家で暮らしながら、毎日「まぐろの赤身」で晩酌するのが唯一の楽しみだった、と言って良いほどの人であり、家庭用電気冷蔵庫などない時代だったので、毎日田んぼの中の農道を通って自転車で北街道押切の魚屋まで買い物に行く嫁は、たいへんだったと思う。

地球物理学者として名高かった東大名誉教授の T さんは、毎日研究室でとる昼食の店屋物が決まって「おかめうどん」であり、何年間も「おかめうどん」ばかりを食べ続けるので、周りの者がたまりかねて、
「先生!たまには他の物を召し上がった方が身体のためによいかも知れません!」
と言い、「それでは」ということで別の物に変えられたという。そしてまたその別の物を何年間も食べ続けられた…という落ちがあったような気もするが定かではない。

■静岡県清水島崎町。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 200mm F3.5

清水弁に「とんじゃかない」という言葉があり、おそらくは「頓着はない」であり「とんちゃく」「とんじゃく」とも読むと三省堂新辞林にある。標準弁で言う「頓着しない」「無頓着」のことである。

「とうさんは『ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン』だけ食ってりゃあ、はあ食うことにはとんじゃかないだよ」

「じいさんはまぐろの刺身だけくれときゃ、はあ酒の肴にゃあとんじゃかないだよ」

「先生は研究のことで頭がいっぱいだんて、おかめうどんを頼んどきゃ、はあ昼飯なんかにゃあとんじゃかないだよ」

清水弁だとそう言うことになる。

■静岡県清水島崎町。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 200mm F3.5

■静岡県清水島崎町。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 21mm F4

義父や、祖父や、東大名誉教授のような変り者でなくても、人は誰でも一つくらい「とんじゃかないもの」があるのかも知れなくて、僕は一杯のビールとそれに続く焼酎お湯割りさえあれば四季を通して酒にはとんじゃかないようになって来たが、妻は「ビールは飽きた」「焼酎は飽きた」などとときどきうるさいことを言い「(枯れてないなぁ)」と思う 。

つまみは祖父譲りなのか毎日まぐろの刺身でもとんじゃかないのだけれど、清水の魚屋が厳選して送ってくれるまぐろを食べてしまうと、東京の近所のスーパーで売られているまぐろの刺身では、とんじゃかないわけにはいかないのが悲しい。品質が落ちるくせに値段がはるかに高いのだ。よく行く大型スーパー鮮魚売り場のまぐろの刺身の価格を見たら清水っ子はびっくりするだろう。

毎日清水のまぐろの赤身で焼酎を飲める暮らしができるなら「はあ人生にはとんじゃかないなぁ」(祖父のように安いまぐろの刺身をつつきながら毎晩晩酌できる暮らしがあればそれでいい)という心境に近づいてきたようにも思うけれど、それこそ東京ではかなわぬ贅沢というものかもしれない。

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【1971年清水松竹劇場と男はつらいよ純情編と竜爪山】

【1971年清水松竹劇場と男はつらいよ純情編と竜爪山】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 2 月 9 日の日記再掲

 

山田洋次監督『男はつらいよ』第六作「純情編」が公開されたのは 1971 年の正月である。

第六作のマドンナは若尾文子。ロケ地は長崎県(福江島)と資料にある。バックは高台から見た長崎市内だろうか?この映画を見てふらっと竜爪山に登りたくなったらしい。

相生町にあった清水松竹劇場でそれを見て、その数日後旧清水・静岡の両市民に愛される竜爪山に登っている。

■1971(昭和46)年1月
minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

どうしてそんなことがわかるかというと、竜爪山に登った際に撮影したフィルムの 1 コマ目に清水松竹劇場で山本直純の「 ♪ ちゃーん、ちゃららららら、ちゃーらら……」に続く「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です……」を聞きながら撮影したスクリーンが写っていたからである。

■大石昭夫君は前年の 10 月 27 日、登頂に成功したらしい。
1971(昭和 46 )年 1 月
minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

■「新静岡センターハイキングクラブ」は 1969 年 11 月 13 日に登頂して木に札を打ち付けている。
1971(昭和46)年1月
minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

その後に写っているのは紛れもない竜爪山の風景なのだけれど、それらは 35 年経った今でも少しも変わっていないのかも知れない。

■文殊岳から旧静岡市を眺望。光っているのは安倍川。植林された木々は 35 年経ってどれくらいに育ったのだろう。
1971(昭和46)年1月
minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

■標高 1041 メートル、文殊岳山頂のモニュメント(三角点?)。これはもうないんだろうな。いや三角点なら整備されて残っているかも。
1971(昭和 46 )年 1月
minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

母は他界するちょっと前に、
「最近は竜爪も自動車で登れるんだよ」
と言い、僕は「えっ !? 」と驚いた。もしかすると 35 年前と今の竜爪では驚くほど変わっているのかも知れないけれど、わざわざ自動車を運転してそれを確認しに行くのも嫌なので謎のままである。

■文殊岳から旧清水市を眺望。もう逢えないたくさんの人がこの写真の中にいると思うと感無量。
1971(昭和 46 )年 1 月
minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

36枚撮りネオパン SSS の最後には静岡鉄道路線バスの車内が写っており、最初の一コマと同様、ここに 1971(昭和 46 )年が写し止められていることの証となっている。

■くたくたになって下山して乗車した静鉄バス。
1971(昭和46)年1月
minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

■静鉄バスにはまだ車掌さんがいて、中がどうなっているか不思議な手動精算機があった。
1971(昭和46)年1月
minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

■同じ頃に撮影した別のネガにあった相生町交差点の「清水松竹劇場」。『男はつらいよ』を上映中なので1月。隣りの「オリオン座」には『……スチャン』という映画がかかっている。1971 年 1 月に上映されていたお尻に「スチャン」のつく映画ってなんだろう…と書いたら伝言板にて「オリオンで上映されていたのは「マジック・クリスチャン」です。私は観ております。リンゴスターが出演したブラックコメディーです」という解答を頂いた。
1971(昭和46)年1月
minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

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秋葉原昭和通り口の暗雲

地球にとって空は一つであり、それは気圧の変動に伴う気象変化で、
晴れたり曇ったりしている。
 
雲ひとつない抜けるような青空であることもあれば、
今にも雨や雪が降り出しそうな雲がたれ込めることもある。

コンクリートのビルというのは反自然の物であり、
それが真新しく見慣れていない状態だと
見る人には異様さが際だって感じられる。


撮影日: 2006.02.08 5:24:57 PM
KONICA MINOLTA
DiMAGE Z3

心の深層で「(異様だなぁ)」と感じている場所に日暮れが近づき、
雲がたれ込めてきたりすると「暗雲」という言葉を思い出してしまう。

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港区赤坂七丁目の「オアゲ」

今話題の……と言ってもこのBlogの中なのだけれど、
「オアゲ」こと「ドイツ文化会館=オーアーゲー」。

青山通り、草月会館と高橋是清記念公園に挟まれた道を入ると
左に折れる道の角にある。


撮影日: 2006.02.08 3:39:50 PM
SONY
DSC-F88

このビル内にレストランがあって
誰でも気軽にはいることができ、
郷里静岡県清水市立第二中学校のローカルな後輩が、
東京都港区赤坂というローカルで働いていた当時、
よく昼食に訪れていたのだという。

玄関先に大きな桜の木があって、
もう二十年近くこの道を歩き続けているけれど、
「ああ春だなぁ」とひときわ桜が映える道である。

日独伊防共協定の旧同盟国だからだろうか……

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【 1970 年の天皇誕生日と君を呼ぶ日本平】

【 1970 年の天皇誕生日と君を呼ぶ日本平】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 2 月 7 日の日記再掲

 

日本平というのは旧清水市から旧静岡市にかけて横たわる標高 308 メートルの小高い山塊である。日本観光地百選コンクールで部門第 1 位となったこともある。

どちらかというと根の明るい観光地であり、富士山の絶景を眺めて高原の空気を吸うと日頃の憂さが晴れるという意味で清水っ子にはハレの場所になっている。

東京でのガン治療に見切りをつけて郷里清水に帰りたいと言った母は、県立静岡がんセンターへ隔週で通うことになった一昨年の秋、
「親戚の車を借りたからどこかへ行こうか」
と言ったら、
「日本平に登りたい」
と言った。

■ 1970(昭和 45 )年、日本平から見晴るかす清水の街。天気がよいと真正面に富士山が見える。

minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

名前も目出度い日本平でした日本平に相応しいハレの体験と言ったら、生まれて初めてボーリングをしたことだった。
当時はボーリングブームだったので、母の店の常連が「日本平にボーリングに行こう」などと言い、「おまえももう高校生だから連れてってやる」と言い、生まれて初めてボーリングというものを日本平でやったのだ。

『君を呼ぶ日本平・日本平音頭』というソノシートが我が家にある。静岡鉄道が何かのキャンペーンで配ったらしいが、元々は観光地「日本平」をPRするため昭和 36 年に発売されたものだという。現在は CD として復刻されて日本平ロープウェイ窓口、東名上り牧ノ原 SA 静鉄レストラン売店、静岡鉄道電車新静岡駅・草薙駅・新清水駅窓口などで販売され、静岡鉄道(株)鉄道部鉄道課に連絡すれば郵送でも入手可能だという。

■ 1970(昭和 45 )年、日本平頂上にて。

minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

1970 年 4 月 29 日天皇誕生日、高校一年生だった僕が日本平で撮影したフィルムが引き出しにある。

1970(昭和 45 )年、日本平頂上にてフォークダンス(「マイムマイム」かな)を踊る社員旅行とおぼしき一群の男女。今ならいかがわしいエセ宗教信者に見えるが、当時はこれが絵に描いたような健全さだった。

minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

頂上からの展望など、細部が見えないので 2006 年現在の日本平と何ら変わらないように見えるが、会社の社員旅行だろうか、日本平山頂に着いてポータブルレコードプレーヤーを取り出して、丸くなってフォークダンスを踊る屈託のない男女の姿を見ると、「(ああ、1970 年はこういう時代だったんだなぁ)」としみじみ認識を新たにする。

■1970(昭和 45 )年、日本平頂上から久能山に向かうロープウエイの順番待ちをする人々。天皇誕生日なので混んでいる。

minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4


■1970(昭和 45 )年、日本平頂上駐車場にて。ミニスカートの時代だった。後ろに駐車して いる静鉄バスの側面広告には「西武静岡店6月開店」と書かれている。背面の広告は「駿府トルコ」と書かれている。「駿府トルコ」で検索したら【思いで鉄道探検団】というサイトが 1 件だけヒットした。新静岡の近くにあったらしい。

minolta SRT101 Rokkor 58mm F1.4

小中高生なら恥ずかしがって人目を憚るフォークダンスに興じる成人男女を、異様な光景を見るように見ていたわけではなく、何枚もシャッターを切った写真は羨ましい!と正直に語っていて、我ながら微笑ましい。
 
そして日本平って本当に良い場所だな、日本一だな、と心から思うのだ。

 

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鮨居魚屋清水港

東京都港区赤坂三丁目。
 
一ツ木通りからちょっと入った路地に『鮨居魚屋清水港』という店がある。
もう何年も前からその場所にあるのだが、ふるさととは不思議なもので、
本当に郷里静岡県清水に関係があるかは知らないが、
郷里の名を名乗っているので気になって通りかかるたびに覗いてしまう。
昼時はいつも満員なので良かった良かったと思い、
夜一度飲みに行ったことがあるがその時も大盛況だった。
 

撮影日: 2006.02.02 0:08:41 PM
RICOH
Caplio R1

「赤坂店」と書かれているのでインターネットで検索してみると、
横浜市港北区と南武線武蔵新城駅近くに同名の店があるらしい。
 
昼夜をとわずご利用下さるお客様(自分の店みたいだ…)に
聞いてみたいことがいくつかあり、
ひとつは店名の「清水港」を「しみずこう」と読むか
「しみずみなと」と読むかだ。
 
僕は「横浜港」や「神戸港」を
「よこはまみなと」とか「こうべみなと」とか読まないけれど、
「清水港」はなぜか「しみずみなと」と読んでしまう。
 
もう一つは「清水港」という店名が
この店に最初に入ったときの動機になっていたかどうかだ。
僕は清水出身なので、「清水港」などと名乗られると
一度は入らずにいられないのだけれど他地域出身者はどうなのだろう。
 
そもそもこの店のご主人は清水出身者なのかどうかが気になったこともあるが、
いつも混んでいるし、ご主人とおぼしき親方はとても怖そうなので聞けずにいる。
だが最近は、本当はそういうことはどうでも良くて、
上記二つのことの方が気になる。

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高橋尚子のマラソンシューズ

地下鉄銀座線に乗っていたら求人情報サイトの車内広告があった。
 
高橋尚子が昨年の東京国際女子マラソンの際に着用していたマラソンシューズの写真が使われていた。以前からマラソンランナーが競技場スタート地点に集合し、スタート前にシューズの靴ひもを丹念に結び直したあと、指で「クリン」とやる仕草が気になっていた。



携帯電話のカメラで撮影したのであまり鮮明ではないが、蝶々結びで輪になった蝶々の羽の部分を、編み上げた紐の内側に「クリン」と挟んでいるのがわかり、「なぁーるほどー」と感心してしまった。

蝶々結びは輪っかになった蝶々の羽が揺れて緩むことが多く、羽が揺れないようにすれば靴ひもは解けにくくなるのだろう。ちょっとした謎の「Q」が解けて嬉しい。

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六本木暮色

港区青山一丁目。

仕事帰りに半蔵門線に乗るため地下鉄青山一丁目駅に向かう途中、南へ延びる道の先に六本木ヒルズのビルが見える。

郷里の友人の娘さんは学校を出たら六本木ヒルズに入れるような会社に勤めたいのだそうだ。

六本木ヒルズと聞いただけでちょっとげんなりし、それは「勝ち組」などと言う気味の悪い恥ずかしい言葉がまとわりついているビルであることもあるし、最近のニュースを見てもほら見たことかと思う。



けれど東京で働いて食べている人間だから「気味の悪い恥ずかしい」というまともな感じ方ができるのであり、地方で暮らすと東京で「働いて食べている」だけで「勝ち組」に見えてしまいさらにその頂点に「六本木ヒルズ」があり、自分もそういう高みに登り詰めてみたいなどと考えてしまうんだろうなと思ったりする。

仕方ないことかも知れないと理解を心がけつつも、気味の悪いビルが見える気味の悪い黄昏である。

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薄暮に薫る ? ろうばい

花の名を覚えると覚えた花ばかりが目につく。子どもと同じだ。

最近とみに人気があるのか、
文京区内でも街路脇の花壇に苗木が植えられているのを目にする。


ろうばい【蝋梅・臘梅】
ロウバイ科の落葉低木。中国の原産。高さ約3メートル。葉は卵形で両面ともざらつく。冬、葉に先だって香気のある花を開く。外側の花弁は黄色、内側のは暗紫色で、蝋細工のような光沢を有し、のち卵形の果実を結ぶ。観賞用。唐梅(からうめ)。南京梅。(広辞苑第五版より)

そばに寄ってみると合羽橋道具街の食品サンプルのように
本当に蝋で作ったような姿をしている。
鼻を近づけると何とも良い匂いがする。

東京都本駒込六丁目。
義父母の住まいのドアストッパーが壊れたので
白山通り沿いの金物店に買いに行った帰り、
民家の塀の中にろうばいが咲いていた。

塀の中の高い場所に咲いているので鼻を近づけるわけにはいかないが、
花の匂いを覚えると覚えただけで匂いが漂っているように感じてしまう。
それもまた子どもと同じだ。

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月を見る間(ま)

東京都港区赤坂七丁目。

デジカメは顕微鏡と同じである。
道端を歩いていて極小ではあるが興味を惹くものを見つけたら
接写の効くデジカメで撮影し、
自宅に戻ってパソコンに取り込み、
じっくり観察することにしている。
近眼に老眼が重なってきてそうしなければよく見えないからである。



中古のデジカメが子どものオモチャのような値段で叩き売られているので、
12倍ズームなどという機種を見つけたら
望遠鏡として買ってみると楽しい。

ドイツ文化会館脇のマンションの50万Km上に月が出ていたので
撮影して自宅に帰って拡大してみた。
「おお、見えた見えた!」
と言うまでに1時間以上かかっているので
懐かしい「Wけんじ」の漫才みたいだが、
そういう間を楽しむのも観月に相応しいかも知れない。




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