柳小路とさくら新道

2012年6月1日

 昭和30年代の東京、JR王子駅前東側にある飲食店街柳小路に『花寿司』という小さな寿司屋があった。同じ頃JR駒込駅近くに『富士』という名の割烹料理店があり、とても良い腕前の板前がいて、母は料理の基本はすべてその板前に教わったと言って慕っていた。その『富士』の板さんにハンサムな弟がいて、自立して王子に開いた寿司屋が『花寿司』だった。というわけで自分にとって王子と駒込は二つの店でつながっており、母に連れられてよく出かけたので、ふたりの板さんにはずいぶんかわいがってもらった想い出がある。

在りし日のさくら小路|2011年

 柳小路のある王子駅東側ではなく、西側の線路が飛鳥山と接する場所にあったのがさくら新道で、昼間でもちょっと暗い線路際の飲食街を、飛鳥山での野球帰り、友人たちと足早に通り過ぎたものだった。東の柳小路、西のさくら新道、その仄暗さ加減に相通じるものを子どもながらに感じていたが、戦後にできた闇市再開発の際、くじ引きで柳小路から移った人びとが、あらたな新天地として飲食店を営んだのがさくら新道だったのだという。

さくら小路飲食店街、屋外にあった共同流し場|2011年

 その後『富士』の板さんは鉄道事故で亡くなられたと聞き、『富士』も『花寿司』も店を畳まれてもうないが、あの頃から半世紀経っても変わらないさくら新道が懐かしくて、時々散歩したり飲みに行くこともあった。2012年1月21日の火事で焼けてしまったさくら新道飲食店街は、今もなお京浜東北線車内から無残な焼け跡が見えており、王子駅を通過するたびに人も店も街も車窓風景のように過去へと遠ざかる。


コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
京浜線沿線 (薬局の末息子)
2012-06-01 16:28:02
そろそろ、飛鳥山の紫陽花が彩りを増してきましたね。この季節は、沿線に白や黄色や紫の小さな花(「ドクダミ」と「紫陽花」くらいしか名前がわからない)が咲いていて、通勤電車の無聊を慰めてくれます。さくら新道の焼け跡を見る度に、きっと権利が複雑なんだろな、と思っています。(朝7時28分に宮原を出る電車に乗ると、ちょうど王子のあたりで新日本製紙の倉庫に行く入換貨物列車とすれ違う)
 
 
 
焼け跡 ()
2012-06-01 17:36:25
権利か、そうかもしれませんね。
焼け跡とはいえ更地ではないことで税金対策してるのかとぼんやり思ったけど、昭和27年、闇市から移ったということは、やはり権利関係かな。
 
 
 
飛鳥山 (風八)
2012-06-01 20:09:01
王子といえば紙の博物館と飛鳥山のトランポリンを思い出します。王子駅の近くに紙の博物館というのがありまして小学生の頃に何度か足を運んだことがあります。
飛鳥山のトランポリンは小学校の高学年か中学の頃だったか、たまに行っては思い切り伸身のバク宙をしたりして楽しませていただきました。
しばらくすると、トランポリンは張られることもなくなり、それから飛鳥山には足を運ぶこともなくなりましたが、懐かしいですね。
 
 
 
紙の博物館 ()
2012-06-03 10:02:18
ああ、王子駅東側にあった古い「紙の博物館」に行ったことがあるのですね。
王子で6年間暮らしましたが古い方には一度も行ったことがなくて、その当時は「製紙博物館」という名前でした(1966まで)。
「紙の博物館」が「製紙博物館」だったころの飛鳥山公園は大通りに面した低い場所が野球場で、草野球チームに入っていたので良く試合をしました。
塀を乗り越えて侵入した隣接する渋沢栄一邸跡でもよく野球をしました。そちらを王子の子どもたちは「カソリック」と呼んでいましたが今も謎です。
 
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