コメント
 
 
 
京浜線沿線 (薬局の末息子)
2012-06-01 16:28:02
そろそろ、飛鳥山の紫陽花が彩りを増してきましたね。この季節は、沿線に白や黄色や紫の小さな花(「ドクダミ」と「紫陽花」くらいしか名前がわからない)が咲いていて、通勤電車の無聊を慰めてくれます。さくら新道の焼け跡を見る度に、きっと権利が複雑なんだろな、と思っています。(朝7時28分に宮原を出る電車に乗ると、ちょうど王子のあたりで新日本製紙の倉庫に行く入換貨物列車とすれ違う)
 
 
 
焼け跡 ()
2012-06-01 17:36:25
権利か、そうかもしれませんね。
焼け跡とはいえ更地ではないことで税金対策してるのかとぼんやり思ったけど、昭和27年、闇市から移ったということは、やはり権利関係かな。
 
 
 
飛鳥山 (風八)
2012-06-01 20:09:01
王子といえば紙の博物館と飛鳥山のトランポリンを思い出します。王子駅の近くに紙の博物館というのがありまして小学生の頃に何度か足を運んだことがあります。
飛鳥山のトランポリンは小学校の高学年か中学の頃だったか、たまに行っては思い切り伸身のバク宙をしたりして楽しませていただきました。
しばらくすると、トランポリンは張られることもなくなり、それから飛鳥山には足を運ぶこともなくなりましたが、懐かしいですね。
 
 
 
紙の博物館 ()
2012-06-03 10:02:18
ああ、王子駅東側にあった古い「紙の博物館」に行ったことがあるのですね。
王子で6年間暮らしましたが古い方には一度も行ったことがなくて、その当時は「製紙博物館」という名前でした(1966まで)。
「紙の博物館」が「製紙博物館」だったころの飛鳥山公園は大通りに面した低い場所が野球場で、草野球チームに入っていたので良く試合をしました。
塀を乗り越えて侵入した隣接する渋沢栄一邸跡でもよく野球をしました。そちらを王子の子どもたちは「カソリック」と呼んでいましたが今も謎です。
 
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