電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【禅とあんぱん】
2020年7月1日
【禅とあんぱん】
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下町商店街を散歩したら『月寒あんぱん』というものが売られており、開封されたサンプルを見たらあんぱんというより月餅で、月餅は大好きなので買ってきた。創業明治三十九年とあり、その由来を知りたいので帰宅後検索したら、こう書かれていた。
月寒あんぱんは、明治7年、東京・木村屋の「桜あんぱん」の大ヒットを噂で聞き、陸軍に菓子を販売していた大沼甚三郎がその「あんぱん」を自分なりに作ってみようと月餅のようなまんじゅうを作り上げ、そのあんぱんの製法を指南された一人、本間与三郎(創業者)が月寒村にて「月寒あんぱん」の製造販売を開始したのがはじまりです。
明治44年、陸軍歩兵第25連隊と住民が協力して平岸から月寒に抜ける道路を造る際、豊平町が軍に毎日ひとりに5個のあんぱんを提供したことから、造られた道路は愛称を込めて「アンパン道路」と呼ばれ、昭和62年には記念碑も建てられました。上質な原料と丹念な製法は今も変わりません。(製造元である株式会社ほんまのサイト)
豊平町は当地に駐留していた陸軍第7師団歩兵第25連隊に道路建設の協力を要請、地元民も参加して全長約2.6キロメートルの道路建設工事が行われ、4か月の工期で1911年(明治44年)に歩兵第25連隊将校集会所(月寒中央通7丁目、現つきさっぷ中央公園)、および豊平町役場(月寒西1条6丁目、現月寒児童会館)と平岸(札幌市立平岸小学校付近)を結ぶ道路が完成した。(ウィキペディアより)
曹洞宗の月刊誌『禅の友』が届いていたので食べながらページを開いたら、「禅のことば」に普請作務(ふしんさむ)が取り上げられていた。唐の禅僧百丈懐海(ひゃくじょうえかい)に由来する言葉で、老いた師を気遣った弟子が農具を隠したら、普請の約束を守れなかったから食べる資格がないと言ってその晩の食事を摂らなかったという。効率だけではない人生の意味づけが普請にはあるという。
住民に混じって普請に出たわけではないけれど、しみじみ味わってありがたくいただいた。
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