小物01


D3 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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この週末は写真をほとんど撮らなかった。
ちょっと写真の在庫が枯渇してきた。

ただ最近いくつか小さい買い物をしている。

ジッツォ3型の一脚を購入した。
円高ということもあり、海外から取り寄せるつもりであったが、国内でほぼ同額のお店があったので、そちらの方が早いと思い注文した。
ところが在庫がなくてメーカー取り寄せになり、かえって時間がかかってしまった。

今すぐにこの大きさの一脚を必要としているわけではないのだが、来シーズンのために購入した。
ボールヘッドにはSLIKの中くらいのものを買って、RRSのクランプを上に乗せてみた。
ヘッドは、ご覧の通りサイズはピッタリなのだが、期待していたほどボールの動きが滑らかではなく、これがベストとは言えないように思う。
まあしばらく使ってみる。

ヘッドも含めると案外重量級になってしまう。
気軽に持ち出すのには微妙な重さである。
ずっと軽く感じる2型の一脚にもまだ出番がありそうだ。


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骨盤


D3 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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近所の評判のいい整形外科に行ってみた。
ずっと痛かった腕だが、やはりテニス肘というやつで、治療は暖めて薬を塗るしかないようだ。
何かマッサージのようなものをしてくれるのかと思ったら、湿布を渡されて終わってしまった。

脚の付け根の部分に時折違和感があって、長く座ったり長距離歩いたりした後に力が入らなくなる事があるので、それも調べてもらった。
レントゲンを撮ったら、どうも生まれつき骨盤と脚の骨の接合部が弱いらしいことがわかった。
脚の骨のボールのくわえ込みが少し足りないのだ。
診察台に寝かされて、先生が僕の足を左右に傾けてみたら、すぐに判明した。

重いものを持ってはダメ、長距離を歩いてはダメ・・と普段やっていることばかりを次々に言われて呆然となった。
体を酷使することで健康になると思っていたが、どうも逆らしい。
しかし歩いてはダメと言われても、糖尿の治療と相反するので難しい。
普段ボールヘッドはブルジンスキーだRRSだとうるさい事を言っている割に、肝心の自分の体のボールヘッドがダメなんて、何とも情けない話だ。

骨盤を撮影したレントゲン写真を壁に下げた。
比較のため隣に正常な人の骨盤の写真というのを並べてくれた。
どこが違うかわかりますか?と問われた。
そこまで言ったところで、別室で急用が出来た模様で、先生がそちらに行ってしまった。
何やら今日は忙しいようだ。

そのまましばらく待たされる。
仕方なく骨の写真をじっくり観察していた。
自分の骨の写真をじっくり見るというのも、あまり気持ちのいいものではない。
しかも骨盤の写真である。

はー、中身はこうなっているのか・・・
比較用の写真を穴が開くほど見て、違いを探しているうちに、ふとあることに気付いた。
これはもしかして女性の写真ではないか?
よく見ると、骨を覆う外側の部分までうっすらと写っているではないか。
ややや・・これは・・・この写真は非常にまずいのではないか?
女性であることがはっきりとわかるぞ(汗)
しかももっとまずいことに、写真の主の名前が書いてあって、テープで隠してあるのだが、後ろからライトを当てているので読めてしまうのだ。

あわてて写真を観察するのをやめた。
周りを見回すと、知ってか知らずか、看護婦さんたちも困ったような顔をして無言で立っている。
何か気まずい雰囲気・・・
病院だから、そんなもの見飽きていて気にもしないのだろうが、ちょっとビックリした。
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特異な人


D3 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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堀越二郎氏は、零戦の主任設計者として世界的に有名だ。
氏が1982年に亡くなられた時は、NHKのニュースでも大きく取り上げられていたのを思い出す。

零式艦上戦闘機、通称零戦は、日本の工業製品として初めて世界を制覇したものと言われている。
飛行機は、当たり前ではあるが、物理的な制約を越えた飛行は出来ない。
バランス上どの性能を重視し、如何にそれを磨き上げるかで、その飛行機の評価は決まるといえる。

零戦のずば抜けた旋回性能と長大な航続距離は、当時の戦闘様式に極めて有効に機能した。
登場直後は事実上敵がいない状態で、連戦連勝、しかも戦時中の異様な開発速度の中にも関わらず、その状態がけっこう長く続いた。
それは、東洋の二流国にそのようなものが作れるはずはない・・と信じ込んでいた欧米人たちを驚愕させた。
旋回戦を挑めばほとんど落とされてしまうという神秘的なほどの強さに、零戦は彼らから悪魔と恐れられるようになった。

やがて不時着機が拿捕され、性能上の欠点が明らかになり、零戦の神話に翳りが見られるようになった。
一撃離脱法に戦法を変えた敵機にとって、防弾性能が貧弱でパワーも見劣りするようになった零戦はカモであった。
酷使によりベテランの搭乗員が減っていき、資源の枯渇で品質も大幅に落ち、零戦の神話は完全に崩壊した。

零戦の時代は終わりを告げたが、日本にはその次を担う戦闘機を開発する国力はなかった。
零戦の衰退は日本の敗退とほぼ一致する形で進んだと言われる。
最後は爆弾を背負い、特攻機として多くの若者の命とともに散っていった零戦は、日本人の心を象徴するまさに特異な存在となった。

ところでそれほどの名機を作り上げた堀越二郎氏だが、極めて個性の強い変わった人物であったと聞く。
たとえば部下が食事に牛乳を持っていくと、温度計で温度を測り飲んでいたというのだ。
ベストの温度が決まっていたらしい。

坂井三郎氏も、著書の中で面白いことを書いている。
元日の朝に堀越氏から自宅に電話があり、この速度でこういう操作をしたら零戦はどういう動きをするだろうか?といきなり質問された。
坂井氏が思い出しながら答えると、堀越氏は計算機を叩きながら、やはりあなたに聞くのが一番正確な答えが得られる・・と納得されて電話を切られたが、最後まで元日の挨拶をすることなく終わってしまったというのだ(笑)

なぜ急に堀越氏のことを書いたかというと、実は吉村昭氏のエッセイ集に堀越氏に関するエピソードが出ているのを読んだからだ。
当初吉村氏は、戦時中に三菱重工の名古屋航空機製作所で働いていた勤労学徒が、地震と空襲で大勢亡くなったという話を取材していた。
ところが、48キロ離れた各務原飛行場まで零戦を牛車でノロノロ運んだ・・という面白い話を聞き、そちらの取材に夢中になってしまったという。
その結果「零式戦闘機」という小説を書き上げたが、当然飛行機に関する知識はないので、主任設計者であった堀越氏にお願いし、自宅に数十回通い教示を受けた。

「堀越氏は、私が今までふれたことのない特異な人であった。温厚で気品のある紳士で、決して感情を表に出すようなことはなかったが、些細な誤りにも妥協せぬ強靭な意志の持主であった。その粘着性の強い性格に、私も音をあげたが、このような人だからこそあの名機が生まれたのかと感嘆もした」(「馬と牛と団平船」より)

あれほど大勢の人物に取材している吉村氏をして「今までふれたことのない特異な人」といわしめたのだ。
吉村氏が取材相手に対してこのような書き方をしているのを読んだことがない。
しかも吉村氏は、「そうした苦痛に堪えながら」本を書き上げた・・とまで書かれている。
それを読んだ時、様子が思い浮かび、思わず吹き出してしまった(笑)
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記録する行為


D3 + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED

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生録(ナマロク)が流行った時代があった。
ご存知とは思うが、生の音を自分で録音することである。
録音する・・というクリエイティブな行為は、オーディオの楽しみの重要な部分を占めていた。

ちょっと本格的にオーディオをやっている人は、たいていソニーのデンスケを持っていた。
僕の頃はオープンのTC-5550-2やカセットのTC-D5などが主流で、マイクとヘッドフォンを持ち、頼まれたコンサートや列車の通過音を録音しに出かけた。
ワイドレンジのAKGのマイクに憧れていたが、高くて買えなくて、もっぱらプリモのマイクを愛用していた。

その後海外に旅行に行く際にも、録音機能のあるウォークマンプロを持って行ったくらいだから、生録という行為が身についていたのだろう。
今でもエジプトで録音した雑踏の音のカセットテープなどが残っている。

こういう体験が原点にあるものだから、僕にはオーディオが音楽のみを再生するもの・・という認識が薄い。
機関車や鐘の音のレコードを再生することを、オーディオマニアのやることと軽蔑する向きもあるが、むしろあの衝撃的で原始的な体験こそが、オーディオの原点のように感じている。

異論はあるかもしれないが、「音」を記録し再生する装置は、学術的な研究や情報の伝達、後世に記録を残すことが、本来の目的なのではないか?
音楽鑑賞のために作られたわけではないだろう。
オーディオは、言ってみればその機能を間借りしている立場ではないか?・・と思うことがある。

心の中ではそういう気持ちを持っているが、実際には僕はオーディオで音楽のみを聴いている。
しかも今使っているスピーカーは、好きな曲以外では上手く鳴ってくれない。
非常に不完全で「ひねくれた状態」にあると言えるだろう(笑)
まあ、今更機関車の音を再生する気はないし、それはそれでいいと思っているが・・・

ところで、カメラで写真を撮る行為は、生録に非常に近いものを感じることがある。
家から外に出て、たった一人、外の空気を感じながら、自然界のある瞬間を捉えようとする。
カメラにしてもオーディオにしても、波形を記録するという行為に変わりはない。
どうも僕は、記録し再生することに、情熱を傾ける傾向があるようだ。
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緊急報告



D3 + Kenko MIRROR LENS 500mm F6.3 DX

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HG氏お薦めのレンズを試してみたので載せておく。
といっても先ほど窓から外を撮ってみただけだが・・・(笑)

日曜日に買ってきて、そのまま箱に入れたままになっていた。
ケンコーのミラーレンズ500mmF6.3、価格は3万円弱(笑)
レンズ本体とは別に、ボディメーカーに合わせたマウントアダプターを購入する必要がある。

天文系や鳥系の人たちの間で画質がいいと評判のレンズだという。
HG氏によれば、ミラーレンズなので発色とピントはEDレンズより遥かに優秀、難点はミラー系特有のコントラストの低さ・・だという。

ミラーレンズなんて、小学生の時に使っていた天体望遠鏡以来だ。
当然マニュアルレンズであり、F値も固定で変えることは出来ない。

マウント部の強度がいまいちで、少し力を加えるとレンズが傾く(笑)
固定をどうやったらいいか悩んでしまった。
しかし小さくても500mmなので、それなりに固定しないと目も当てられない写真になってしまう。

とりあえず横着して窓から撮った写真を載せておく。
近く見えるが100m以上離れたビルである。
いろいろ制約はあるが、だからこそ面白そうなレンズである。
判断は各自でお願いしたい。




D3 + Kenko MIRROR LENS 500mm F6.3 DX

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夜の災難


D3 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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明け方・・いや、明け方かどうか正確にはわからないのだが、突然足がつった。
こむら返りというやつだ。

ふくらはぎに違和感を感じて、やばい・・と思って目が覚めた。
ぎりぎりで回避できる場合もあるが、今回はまともにつってしまった。
ふくらはぎの筋肉がギュッと締まって硬くなる。

「痛い・・・痛たたた・・・」
足の指を手前に引いてみる。
これで治る場合が多いのだが、今回はまったく通用しない。
少し我慢すれば収まるかと思ったが、一向にその気配はなく、いつまでも強烈な痛みが続く。

堪らずベッドから半身起き上がって、顔を伏せて痛みに耐える。
隣のMrs.COLKIDに助けてもらおうかと思ったが、起こしたところで何も出来ないことに気付き諦めた。
何時だろうと思ったが、時計を確かめる余裕はない。
真っ暗なので、夜が明けるにはまだ大分ありそうだ。
そのままの体勢でしばらく呻いていた。

朝起きても足に痛みが残っている。
足を引き摺りながら、ベッドから起きてくる。
足がつったことを言ったら、早速ネットで原因を調べている。
ビタミン不足だというが「あなたにビタミンが不足しているとは思えない」という。

母親にも聞いてみたが、季節がら足を冷やしたからだと言われた。
調べたら糖尿も原因のひとつだという。
それは確かに可能性がある。
もっと節制した生活をするように、という警告だろうか。
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夜の装備


D3 + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED

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日曜日は夜の撮影だったので、迷うことなくD3を選んだ。
暗いところで手持ち撮影が中心なら、カメラは当然D3になる。
久しぶりに出番だ(笑)
それにズームレンズ2本という、(僕としては)軽装備で出かけた。

真面目に撮るなら三脚も必要である。
しかし夜の六本木ヒルズ展望台の暗闇で、三脚を持ち出すのは少々野暮だろう・・というより無理だろう。
(実際には三脚で撮っているカメラウーマンがいたが・・)

暗いからサポートは欲しいので、2型の一脚を持っていった。
今回は数回しか使わなかったが、やはり一脚でもあると便利だ。

本当ならD3クラスのボディには、最低でも3型の一脚が欲しいが、残念なことに持っていない。
円高だしひとつ注文しようかとも思っている。

RRSなどでは、一脚には前後にしか傾かない特殊ヘッドの組み合わせを薦めており、専用の製品が用意されている。
しかし個人的にはこの方式は使いにくくて駄目だ。
多分重量級の超望遠レンズを5型クラスの一脚に乗せて、ふらふらさせたくない時に役に立つのだろう。

自論では、一脚の場合完全に固定するわけではないのだから、滑らかに動く軽いボールヘッドを組み合わせたい。
特に接写の時などに重宝する。
そうなるとボール部分の工作精度の高い日本製のヘッドの方が、かえっていいのではないかと思っている。
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スカイ アクアリウムIII


D3 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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六本木ヒルズでは「スカイ アクアリウム」という夏限定のイベントを開催中だ。
天空の水族館という異名を持つ。
52階の展望台から見た東京の街の素晴らしい夜景をバックに、色とりどりの光で幻想的に演出した水槽を展示している。

魚自体は珍しい種類がいる訳ではなく、あくまでロマンチックな演出が売りである。
要するにカップルで行くことが前提のイベントだ(笑)

夜行くなら女性同伴でないと格好がつかない。
女性同士で行っても何となく肩身が狭い思いをする。
男性だけなら昼間行った方がいいだろう(笑)
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夜型


D3 + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED

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どうも僕は夜型人間のような気がする。
休日の前日は必ず夜更かししてしまい、翌日は遅くまで寝ている。
休みが二日も続くと、昼と夜が逆転してしまう。
誰かが管理してくれないと、どんどん不健全な夜型生活に陥ってしまう。

今日は夕方になって出かけた。
新宿に買い物に行ってから六本木に行った。

六本木ヒルズで何やら水族館のような展示が行われていて、Mrs.COLKIDが見たいというので、どうせなら夜景を背景にした時間の方が良かろうと、日が沈むのを待ったのだ。
お陰で帰ってきたのは夜の11時過ぎだったが、かえって家族連れが少なくて空いていて楽しめた。
食事も価格が以前より安くなっており、油を少なくしてさっぱりとした味付けで満足した。

六本木周辺の新しい施設は、大人を対象とした街造りがされていて楽しめる。
裏ではいろいろ事件が起きているようだが・・・(笑)
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跡地





久しぶりに池袋に出かけたので、サンシャインの裏にある東池袋公園に行ってみた。
心霊スポットとして有名な場所であるが、昼間の公園はいたって平和、のんびり寝そべって話すカップルや、スケボーの練習をする若者で賑わっていた。

ご存知の通り、ここはかつて巣鴨プリズンのあった場所で、大勢の戦犯がここで処刑された。
そのため呪われた土地と言う人もいて、ビルの建築中は事故の噂が相次ぎ、その後も様々な事件が起きている。

ここのそばで働く僕の仕事上の知り合いは、60階から女性が飛び降りた現場を目撃し、その落下地点の状況の想像を絶した描写は、聞いただけで夢に出てきそうであった。
またビルの向かいにある東急ハンズ前で起きた無差別殺傷事件現場にも居合わせ、血まみれの包丁を持った犯人の髪の毛が、突然ざわざわと鳩のように逆立った時の話など、凄まじいリアリティであった。

とにかくここの場所には凄い話が目白押しだ。
巣鴨プリズンに戦犯として実際に入っていた高齢の方と、仕事上でお付き合いしたこともあるが、死刑が執行される音を聞くと、次は自分の名前が呼ばれるのではないかと眠れない日が続いたという。
この場所でA級戦犯7名を含む60名の人間が処刑された。

敗戦の混乱の中、日本人の多く(あるいは一部の人だったのだろうか・・・)がとった行動は興味深い。
戦争は軍部が引き起こしたことで、すべての責任は軍人と政治家にあり、我々は被害者である・・・そういう事にしてしまった、という面がある。
気まずそうに横を向いてしまった人、急に無言になり隠れてしまった人、逆にへつらうように平和を訴えてとうとうと理論を述べた人・・・
そんな大人たちの姿を見た、当時多感な青年であった吉村昭氏などは、いくらなんでもおかしいのではないかと書いている。
戦時中一番怖かったのは、憲兵でも警察でもなく、目をいからせて同じ町内の人たちから「非国民」を吊るし上げて回った隣のおじさん達、おばさん達であったという。
戦争というものは、何よりも庶民の心が引き起こすものなのだ・・ということを知らなければならない。

その上に立つ者が責任を負うのは当然かもしれないが、掌を返したように同じ国民から批判を受け、やりきれない思いで処刑されていった人も多かったはずだ。
実は当のアメリカも、戦勝国が戦犯を裁くことが実はおかしい・・という事を知っていたふしがあり、朝鮮戦争の勃発で人手が足りなかったこともあるが、途中から施設の管理を日本側に移し、受刑者達に一時帰宅の自由を与えたり、施設から通って外の企業で働くことを許したりし、なし崩し的に刑務所としての機能が失われていくのを黙認した。
戦勝各国の恩赦が出て、関係受刑者達は順次釈放されていき、最後に米関係戦犯の放免で全員釈放になり、昭和33年に拘置所の受刑者はゼロになった。

現在は処刑場のあった場所に、平和を願う石碑が建っている。
戦争を美化するという理由で石碑建立に反対する運動が起き、碑文も直接的では無いものに変えられたという。




D40 + AF-S DX NIKKOR 35mm F1.8G
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オーディオという趣味


D3X + Carl Zeiss Distagon T* 21mm F2.8 ZF

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若い頃は、よく大きなオーディオルームを夢見た。
高校生の時は、その部屋に理想の機器を並べた様子を思い浮かべ、それを絵に描いたりした。
ここにスピーカーを置いて、アンプはここ、プレイヤーはここ、デッキはここ・・・
今でも当時のステレオサウンド誌の表紙を見ると、あの頃の胸のときめきがよみがえる。

大学生になると、ひとり暮らしを始めたこともあり、その夢を実現させようとした。
一部屋をオーディオ専用にあて、部屋の中央に機器を並べ、自分ひとりがスピーカーと対峙して聴く、雑誌の試聴室さながらの状態を作った。
そして毎日オーディオに没頭した。
秋葉原が近かったこともあり、最新の情報が流れるように入ってきた。
究極を目指すのだ・・などと思い上がった発言もしていた。
今にして思うと、若かった・・というより、幼かったと思う。

今もし大きな専用リスニングルームを与えられても、夢見ていたように、その部屋で音楽をゆっくり聴くことは出来ないだろう。
皮肉な話だが、それだけの財力を持つためには、オーディオ以外の部分に相当の時間と労力を充てねばならず、椅子に座ってゆっくり音楽を聴いている時間などない。
オーディオはそんな甘いものではなく、それこそ人生の大半をつぎ込まなければ、究極などというものを手に入れることは出来ない。
それは戦いであり、とても疲れた体を癒すなどというものではない。

来る日も来る日もオーディオに没頭できた学生時代は、今思えばたしかにそれに近い環境ではあった。
それはとても贅沢で貴重な時間ではあったが、所詮人生経験の浅い青二才のやることであり、楽しくはあれ本当の意味で豊かでは決してなかったように思える。

それにもっと重要なことだが、今はオーディオの前で何時間も音楽を聞いて過ごす事が出来なくなってしまった。
ただ座って過ごすなんて、何と勿体無い・・と思ってしまう。
ほんの30分間でさえ、そんな状態に身を置くことは出来ず、音楽を聴く時も、もっぱら何かをしながら聞いている自分がいる。
曲が佳境に入ると、「おっ」と思って真面目に聞くのだ(笑)

そんな不真面目な態度では、オーディオの道を究めることなど到底不可能だ。
だからとことんまで追い込むことは最初から考えず、程々で手を打つようにしている。
ただ黙って聞いているなんて、そんな時間があったら外に出て行く方がいい・・と思うのは、むしろ健全な証拠かもしれない(笑)
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吉村作品のすゝめ


D3X + Carl Zeiss Distagon T* 21mm F2.8 ZF

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この1年半ほどで、吉村昭氏の本を数十冊読んだ。
(ざっと数えたら60数冊あった)
帰宅の電車の中で数分間読むだけなので、読み進むペースは遅い。
しかし現在刊行されている本はほぼ読み終え、古本として流通しているものを漁る段階にきた。

昨晩アマゾンで何冊か注文したのだが、古本は一冊ごとに扱うお店が違うので、手続きが面倒である。
本ごとに送料がかかるし、評価付けなどもそれぞれ行わなければならないので、メモしておかないとこんがらがってしまう。

しかしこれだけ読んでもまったく飽きることがない。
一冊読み終わると、すぐに次の作品を読み出さなければ、気がすまない。
それほど吉村作品は面白い。

亡くなった僕の父と氏が同い年であったので、書かれている内容に親しみが持て、言いたい事がよく理解できることもある。
だが一番の理由は、作品の持つエネルギーだ。
事実を書くのだという執念、決して馴れ合いになることのない厳しさ・・そういった気迫を感じさせるのだ。

まるで歴史の陰で消えていった登場人物たちが、氏にのり移って真実を訴えているかのようである。
淡々と書かれているにも拘らず、吉村作品には、他の一般の小説が茶番に感じられるほどのエネルギーが満ちている。

氏の作品を読むことは、大袈裟に書けば人生観が変わるほどの体験となる。
読めば読むほど、日本人(ひいては自分自身)が何をしてきたのかがわかり、それが新鮮な驚きに感じられるからだ。
勝者の都合で書き換えられた歴史が、いかに捻じ曲げられたものであるかがわかる。

多くの方に吉村作品を読まれることをお勧めしたい。
いつかアマゾンのリストマニアみたいに、自分なりの選書10冊を発表してみようと思う。
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カモシカ


D3X + Carl Zeiss Distagon T* 21mm F2.8 ZF

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親戚のAさんご夫婦が、福島の別宅から東京への帰り道、車で寄られた。
たまたま僕と母親がいて、採れたてのトマトやトウモロコシをいただいた。

Aさんは会社を引退して悠々自適の生活をされている。
長年の夢であった田舎生活を実践すべく、福島県に山を見渡せる土地を購入、暖炉のある家と好きな作物を作れる畑を手に入れた。
今は数週間おきに福島と東京を行き来して、都会と田舎の両方の生活を堪能されている。

「ところでクマはでませんか?」
早速僕が意地悪な質問をした。
Aさんご夫婦が怖がっているのを知っていたのだ(笑)

「出没したという注意報は出ますね。見た事はありませんが、毎日のように新聞に載っています」
銃を用意したほうがいいとか、まるでシェーンみたいな生活だ・・などと冷やかす。
「夜は怖いしやることもないので、9時には寝ちゃうんですよ。外を何が歩いているのかは知りませんが・・・」

そういえばカモシカを見ましたよ、とAさんが言われた。
「エッ、カモシカですか?」
「ええ、家のそばを時々通るようです。最初は子牛かと思ったのですが、よく見たらカモシカでした」
奥地と言っても、街から少し入っただけのところなので驚いた。
カモシカはもっと山岳地帯に住むものと思っていた。

Aさんが帰られてから、母親の家に行ったMrs.COLKIDに、母親がその話を伝えた。
「何かシカが出るそうよ。何とかシカというのが・・・何だったかしら・・・」

Mrs.COLKIDが帰ってきて、今度は僕に話した。
「シカが出るんですってね」
「シカといってもカモシカだよ。君が想像している鹿とは全然違う生き物だよ」
「カモシカ?・・シカじゃあないの?」
「うん・・もっとこう・・モジャモジャしているんだ」
僕は手でモジャモジャした感じを表現してみせた。

「・・・鳥なの?」
「へっ?・・と・・とり??」
「カモなんでしょう?」
「・・・・・」

もういい、もうこの話をするのはやめよう、と言って会話を中断した。
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D3X + Carl Zeiss Distagon T* 21mm F2.8 ZF

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遅ればせながらフレッツ光にした。
今まではADSLだった。
早く変えようと思いつつ、何となく面倒くさくてそのまま使用していたのだ。

日中NTTの人が来て、マンションのどこかに設置された機械と屋内の回線を接続していったようだ。
古いマンションなので電話回線を利用するタイプで、あまり条件のいいコースではない。

帰宅して早速ネットにつないでみた。
それほど変わらないだろう・・と高をくくっていた。
ところが・・おおっ速い・・・
そうとう速くなっている。
このブログの「大きな画像」なんて、間髪いれずにスパーンと表示される。
0.2秒くらいか?

嬉しくていろいろなサイトを見ているうちに、どうも速くなったのは外部との回線ばかりではないことに気付いた。
ネットワークを開くと、家の中のLANで接続されている機器が瞬時に表示されるようになった。
交換したのはADSLのモデムをVDSL宅内装置にしただけで、ルータ以降は何も変えていないのになぜ?

単なる気のせいだろうか?
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満員電車


D3X + Carl Zeiss Distagon T* 21mm F2.8 ZF

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最近は座ることの出来る時間帯の電車で通勤するようになったが、新入社員の頃は満員の電車で会社に通っていた。
今から思うとよくも毎日・・と思う。
もちろん現在も満員の電車で通われている方は大勢おられると思うが・・・

何年か満員の電車の中で揺られているうちに、いろいろなドラマに遭遇した。
極度のストレスにさらされ、精神的にまいっていることが原因であろう。
いくつもの喧嘩を見た。

中で一番興味深かったのは、女性同士の喧嘩だった。
何がきっかけかは知らないが、ぎゅう詰めの社内で二人の女性が喧嘩を始めた。
多分鞄がぶつかって痛いとか、些細な事が原因だろう。

男対男なら向かい合って怒鳴り合うところだが、女性の場合はなぜか互いにあさっての方向を向いて、目を合わせない状態で、口から発する言葉だけで戦う。
それも相手の身体的特徴への批判で攻撃するのだ。

シーンとなった身動きの出来ない車内で、
「ふん、あんたのはお尻は大きいわね!」
「何よ、ぺちゃパイのくせに!」
などと怒りに目を吊り上げて言い合うものだから、周りの男性はニヤニヤしながら聞いている(笑)
まるで漫画みたいなセリフである。

まだ喧嘩する余裕があるのは車内に空間がある時で、本当に混雑する時間帯は、自分の体を守るので必死だ。
壁際では息が出来なくなる寸前まで押し付けられるし、下手につり革に掴まっても、限界ぎりぎりの体勢まで人が圧し掛かってきて辛い思いをする。
コツが分かってくると、一番楽な体勢になれるように、自分のポジションを狙って絶妙に行動するようになる。
こうなるとある種のスポーツともいえ、逆にストレスが発散される面もあるかもしれない。

線路に落ちそうなほど人で溢れ返ったホームで、電車を待っていた時の話・・・
ゆっくりと電車が入ってきたが、既に車内はほぼ満員であった。
とても乗れそうになかったので、次の電車を待つべく列の後ろの方で見ていた。

ドアが開いて、ホームで待っていた人たちが一斉に乗り込もうとした。
一瞬、先頭に立っていた女性が、運悪く入り口でつまづいたのが見えた。
あっと思ったが、乗客はもう止まらない。
前のめりになり床に手を付きそうになった女性の後ろから、一気に車内になだれ込んだ。

女性の体が上下逆さまになったように見えた。
群集の頭の間からハイヒールを履いた女性の足先が見え、錯覚ではないことがわかった。
そのハイヒールが押されて車両の奥へと移動していき、そのままドアが閉まり電車は発車してしまった。

あの後どうなったのだろうか・・・
やはり次の駅まであのままだったんだろうね。
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