オーディオという趣味


D3X + Carl Zeiss Distagon T* 21mm F2.8 ZF

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若い頃は、よく大きなオーディオルームを夢見た。
高校生の時は、その部屋に理想の機器を並べた様子を思い浮かべ、それを絵に描いたりした。
ここにスピーカーを置いて、アンプはここ、プレイヤーはここ、デッキはここ・・・
今でも当時のステレオサウンド誌の表紙を見ると、あの頃の胸のときめきがよみがえる。

大学生になると、ひとり暮らしを始めたこともあり、その夢を実現させようとした。
一部屋をオーディオ専用にあて、部屋の中央に機器を並べ、自分ひとりがスピーカーと対峙して聴く、雑誌の試聴室さながらの状態を作った。
そして毎日オーディオに没頭した。
秋葉原が近かったこともあり、最新の情報が流れるように入ってきた。
究極を目指すのだ・・などと思い上がった発言もしていた。
今にして思うと、若かった・・というより、幼かったと思う。

今もし大きな専用リスニングルームを与えられても、夢見ていたように、その部屋で音楽をゆっくり聴くことは出来ないだろう。
皮肉な話だが、それだけの財力を持つためには、オーディオ以外の部分に相当の時間と労力を充てねばならず、椅子に座ってゆっくり音楽を聴いている時間などない。
オーディオはそんな甘いものではなく、それこそ人生の大半をつぎ込まなければ、究極などというものを手に入れることは出来ない。
それは戦いであり、とても疲れた体を癒すなどというものではない。

来る日も来る日もオーディオに没頭できた学生時代は、今思えばたしかにそれに近い環境ではあった。
それはとても贅沢で貴重な時間ではあったが、所詮人生経験の浅い青二才のやることであり、楽しくはあれ本当の意味で豊かでは決してなかったように思える。

それにもっと重要なことだが、今はオーディオの前で何時間も音楽を聞いて過ごす事が出来なくなってしまった。
ただ座って過ごすなんて、何と勿体無い・・と思ってしまう。
ほんの30分間でさえ、そんな状態に身を置くことは出来ず、音楽を聴く時も、もっぱら何かをしながら聞いている自分がいる。
曲が佳境に入ると、「おっ」と思って真面目に聞くのだ(笑)

そんな不真面目な態度では、オーディオの道を究めることなど到底不可能だ。
だからとことんまで追い込むことは最初から考えず、程々で手を打つようにしている。
ただ黙って聞いているなんて、そんな時間があったら外に出て行く方がいい・・と思うのは、むしろ健全な証拠かもしれない(笑)
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