吉村作品のすゝめ


D3X + Carl Zeiss Distagon T* 21mm F2.8 ZF

大きな画像

この1年半ほどで、吉村昭氏の本を数十冊読んだ。
(ざっと数えたら60数冊あった)
帰宅の電車の中で数分間読むだけなので、読み進むペースは遅い。
しかし現在刊行されている本はほぼ読み終え、古本として流通しているものを漁る段階にきた。

昨晩アマゾンで何冊か注文したのだが、古本は一冊ごとに扱うお店が違うので、手続きが面倒である。
本ごとに送料がかかるし、評価付けなどもそれぞれ行わなければならないので、メモしておかないとこんがらがってしまう。

しかしこれだけ読んでもまったく飽きることがない。
一冊読み終わると、すぐに次の作品を読み出さなければ、気がすまない。
それほど吉村作品は面白い。

亡くなった僕の父と氏が同い年であったので、書かれている内容に親しみが持て、言いたい事がよく理解できることもある。
だが一番の理由は、作品の持つエネルギーだ。
事実を書くのだという執念、決して馴れ合いになることのない厳しさ・・そういった気迫を感じさせるのだ。

まるで歴史の陰で消えていった登場人物たちが、氏にのり移って真実を訴えているかのようである。
淡々と書かれているにも拘らず、吉村作品には、他の一般の小説が茶番に感じられるほどのエネルギーが満ちている。

氏の作品を読むことは、大袈裟に書けば人生観が変わるほどの体験となる。
読めば読むほど、日本人(ひいては自分自身)が何をしてきたのかがわかり、それが新鮮な驚きに感じられるからだ。
勝者の都合で書き換えられた歴史が、いかに捻じ曲げられたものであるかがわかる。

多くの方に吉村作品を読まれることをお勧めしたい。
いつかアマゾンのリストマニアみたいに、自分なりの選書10冊を発表してみようと思う。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )