学生時代、岡野加穂留氏(後に明大学長)に怒鳴られたことがある。同氏は週に1度、俺の大学でも講義されていた。ある日のこと、最後方の席に座った俺は、暑さしのぎにノートをパタパタ振った。その様を見咎めた同氏は、「角栄みたいなマネするな」と俺を指差し、一喝されたのだ。角栄みたいなマネ? なるほどと思い、立ち上がって頭を下げた。扇子で風を起こすのが、田中元首相のお決まりの動作だったからである。田中氏を「民主主義の破壊者」と断じ、誰より糾弾されていたのが岡野氏だった。一学生の失礼な振る舞いに、敵の姿がダブったに違いない。
田中氏がロッキード事件に連座して逮捕されたのは、1976年のこの日(27日)である。暑い日と記憶していたが、調べてみると東京の最高気温は30度だった。9時(逮捕10分後)に29度に達していたから、暑い朝ではあったのだが……。田中氏は立花隆氏が先鞭をつけた金脈追及により、首相の座を辞していたが、逮捕によって「完全無欠のヒール」になる。<田中的>という言葉が悪い意味の修辞として国民に定着した。
ロッキード事件をアメリカの陰謀とする論考も少なくない。田中氏は首相就任直後(72年)、「アメリカ製航空機を3億2000万㌦以上購入せよ」というニクソン大統領の要求を呑んでいる。首脳会談での約束を実行する過程で起きた出来事ゆえ、さまざまな憶測を生む結果になった。独自の資源外交を展開する田中氏が、アメリカの勘気に触れたことを事件の理由とする説もあるが、いずれにせよ、真相は薮の中だ。
俺も若い頃は<田中=悪>という公式に則っていたが、今さら正義面して論じる気はしない。別項(宮本常一関連=1月13日)に、田中型補助金行政が民衆の自立の芽を摘むという側面を記したが、繁栄から取り残され、冷害、雪害に苦しむ地方の人々の目に、田中氏もしくは<田中的>存在が頼もしく映ったことは否定出来ない。
田中氏の実績は表でも裏でも、ルーキー時代から飛び抜けていた。20代で代議士になるや、第2次吉田内閣誕生の功労者となる。炭鉱国管汚職事件で逮捕されるも、獄中から立候補して2度目の当選を果たす(後に無罪)。いかにもという感じだが、汚職は決して田中氏の専売特許ではない。戦後の首相経験者に限定し、黒い経歴を追ってみる。
造船疑獄に関与した池田、佐藤の両氏は、指揮権発動で辛うじて逮捕を免れている。ちなみに同件で、清廉のイメージが強い石橋、三木の両氏まで事情聴取されている。田中氏のライバルだった福田氏は大蔵省時代、昭電疑獄に連座し収賄容疑で逮捕された。鈴木氏も共和事件で証人喚問されているし、細川氏は佐川急便問題で政権を放り出した。橋本氏は日歯連事件が記憶に新しい。
岸氏も造船疑獄で事情聴取されるなど、黒い噂が絶えなかった。リクルート事件に直撃されたのが中曽根、竹下、宮沢の3氏である。とりわけ中曽根氏は、「塀の上を歩いても内に落ちない男」と評されるほど疑惑まみれだったが、見事逃げ切り大勲位である。<田中的>な腐敗の罪を田中氏一人に着せるのは、正しい見方ではないと思う。
ロッキード事件のキーマンは児玉誉士夫氏だった。田中氏ら大物政治家、全日空や丸紅の関係者も、児玉氏のシナリオ通りに動く役者に過ぎなかったはずである。児玉氏といえば戦時中、児玉機関を興して天文学的な富を築いた。A級戦犯で下獄しながら釈放され、CIAの協力者になる。保守合同のスポンサーでもあり、黒幕として政界を動かした。ロッキード事件がアメリカの陰謀だとしたら、田中氏追い落としより、巨大になり過ぎた児玉氏との縁切りが目的だったのかもしれない。失脚した児玉氏に代わり、闇将軍に鎮座したのが田中氏というのも、皮肉な話ではあるが……。、
他の首相経験者に比べ、反<田中的>を旗印に政界を泳いできた小泉氏には清潔感がある。だが、その小泉氏さえ、田中氏と無縁ではない。森前首相とともに小泉政権を支える青木参院会長は、<小田中>として政界を支配した竹下氏の大番頭で、<田中的>の継承者なのである。いや、カンフル剤的な田中氏と比べ、恒常的で柔らかい仕組みを作り上げた竹下―青木ラインは、<進化した田中的>といえなくもない。小泉氏と青木氏が長年にわたって昵懇であるという事実に、権力構造の底に潜むものを感じてしまう。