1950年のこの日(11日)、祇園祭で賑わう小倉で事件が起きた。「20世紀全記録」(講談社刊)によると、朝鮮への出兵を控え、日々密度が増していた米軍キャンプから、250人の武装黒人兵が脱走する。2個中隊が出動し、市街戦を経て4日後に鎮圧されたが、強盗、婦女暴行などの被害の実態は、米軍の報道管制、世間体を気にした泣き寝入りもあり、詳らかにされることはなかった。
小倉市民だった松本清張は58年、事件をテーマに「黒地の絵」を書き上げる。妻が暴行されたことで家庭と正気を失くした男が、屈折した復讐を果たすというストーリーである。黒人兵は加害の側だが、彼らが差別によって「死の戦線」に送られる仕組みを描くことも忘れていない。平野謙氏は解説で、<独特の切り込み方は発揮されているが、題材の衝撃的な重さは十全に処理されていない>と、本作を否定的に評していた。消化不良は否めないが、後半部分で主観(語り手)を変えたり、新聞記事を挿入したりと、小説の斬新な形に挑んだともいえる。「理由」(宮部みゆき著)で示された手法の先駆けかもしれない。
伊藤整は<プロレタリア文学が表現し切れなかった民衆の心理や生き様を抽出したことが、松本清張の功績である>と記していた。プロレタリア文学の正統な継承者としてキャリアをスタートさせた清張だが、50年代の週刊誌創刊ブームに乗り、社会派推理作家としての地位を確立した。清張は小説のみならず、ノンフィクション、歴史物と幅広い分野で作品を発表し続けた。質を伴った多作ぶりに、「自動タイプライター」と揶揄する声もあったという。
冷徹、精緻というのが清張のイメ-ジで、作風を色に喩えれば青だったが、「黒地の絵」を表題にする短編集(新潮文庫)を二十数年ぶりに読み返して、全く別の清張像に気付いた。主調は決して青ではない。白でも緑でもない。燃えたぎる赤と薄汚れた黒が坩堝で混ざり合い、ブクブク悪臭を放っている。作品が書き手の心象世界の反映であるなら、清張の内面は煩悩、我執、劣等感に覆われており、執筆という行為によって自らを濾過していたのではなかろうか。
他の掲載作について簡単に触れる。「装飾評伝」と「真贋の森」は、敗残した男の怨嗟が、美術への深い造詣を背景に描かれている。嫉妬が生んだ「二階」の凄まじい結末には、思わず息を呑んだ。「紙の牙」はペンの暴力を、「空白の意匠」はマスコミの病巣を描いているが、主人公の最後はともに哀れである。興味深いのが「確証」だ。妻と同僚との浮気を疑った男は、証拠を掴むため避妊具なしで娼婦と関係を持ち、進んで性病に罹る。病気が遡及する様子を楽しむ男に、ドンデン返しが待ち受けていた。反倫理的、ブラックユーモア風の作品である。実証を是とする清張のこと、作品を読む限り、淋病の経験があるとしか思えないが……。
ある考えが脳裏をよぎる。ページに映るのは、書き手だけでなく、読み手の心的風景でもあると。清張作品との再会で見つけた<毒>や<負の感情>は、俺の心に巣食った<荒み>を等身大に写しただけかもしれない。