ワールドシリーズでMVPを獲得した松井は、ヤンキースに残留するのだろうが。伊集院静氏は7年前、「松井は最高の輸出品」と記していたが、その素顔は決して和風ではない。巷間伝えられるところでは遅刻の常習犯で、徒党を組むのを嫌う一匹狼である。規格外で鈍感力の持ち主だからこそ、雑音を気にせずリハビリの日々に耐えられたのだろう。
この1年余り、<家族>を背景に描かれた作品を多く取り上げてきた。映画なら「おくりびと」、「重力ピエロ」、小説なら「決壊」、「太陽を曳く馬」といったところか。主人公が放浪の果てに家族の価値に気付く「イントゥ・ザ・ワイルド」、家族を超える絆に行き着く「仮想儀礼」も同じ範疇に含めていいだろう。
ニック・カサヴェテスの新作「私の中のあなた」(09年)を新宿で観賞した。ちなみにニックの父は、ハリウッドのシステムを拒否してインディーズという方式を確立したジョン・カサヴェテスである。本作は白血病と闘う娘を持つ家族の物語で、モノローグを多用し、行きつ戻りつする時を繋ぐ手法で緊張感が途切れない。
子供の頃、ママは言った。「おまえは我が家の青空。パパとママの愛の結晶」だと。でも、その言葉は嘘だった……。
アナ(アビゲイル・ブレスリン)のモノローグが、本作の起点になる。アナは白血病に冒された姉ケイト(ソフィア・ヴァジリーヴァ)の命を救うため、遺伝子操作で誕生した〝人造人間〟だ。原題“My sister's keeper”が示す通り、ケイトの生命維持装置として幼い頃から臍帯血、骨髄などを提供してきた。
「わたしはもう、姉のドナーにならない」……。11歳になったアナは優秀な弁護士(アレック・ボールドウィン)を雇い、両親を訴える。母サラ(キャメロン・ディアス)に利己的となじられるが、アナの言い分にも説得力がある。ドナーの継続が幼いアナにとって過重な負担であることは、医学的に実証されているからだ。
ケイトの闘病は家族にとって負担だが、同時に絆を深めるきっかけでもある。腎移植を拒否したアナだが、変わることなくケイトに寄り添っていた。本題とは離れるが、日本での腎移植は通常、ドナーの心臓死を確認後に行われる。仮に適合度が高くても、俺の片方の腎臓を妹に生体移植するというように話は進まない。
ケイトを熱演したソフィア・ヴァジリーヴァは髪と眉を剃り、時に童女のような笑みを浮かべる。家族とともに病院を抜け出し、海辺でくつろぐシーンが印象的だった。勘のいい人にはネタばれになってしまうが、ケイトと重なるのは「死ぬまでにしたい10のこと」(03年)のアンである。
ニック・カサヴェテスの前々作「きみに読む物語」(04年)と本作の共通点は、母性を<正しい愛し方>を妨げる存在として描いていることだ。あくまで俺の想像だが、監督は少年時代、母ジーナ・ローランズの強烈な個性に首根っ子を押さえられていたのではないか。
本作は社会性とエンターテインメントの要素を併せ持ち、生きる意味、死ぬ意味を問いかける傑作だった。東京砂漠を這う乾性ゴキブリたる俺の心身をも、スクリーンから吹く優しく湿った風が潤してくれた。機会があれば、原作(早川書房)を読むことにする。
この1年余り、<家族>を背景に描かれた作品を多く取り上げてきた。映画なら「おくりびと」、「重力ピエロ」、小説なら「決壊」、「太陽を曳く馬」といったところか。主人公が放浪の果てに家族の価値に気付く「イントゥ・ザ・ワイルド」、家族を超える絆に行き着く「仮想儀礼」も同じ範疇に含めていいだろう。
ニック・カサヴェテスの新作「私の中のあなた」(09年)を新宿で観賞した。ちなみにニックの父は、ハリウッドのシステムを拒否してインディーズという方式を確立したジョン・カサヴェテスである。本作は白血病と闘う娘を持つ家族の物語で、モノローグを多用し、行きつ戻りつする時を繋ぐ手法で緊張感が途切れない。
子供の頃、ママは言った。「おまえは我が家の青空。パパとママの愛の結晶」だと。でも、その言葉は嘘だった……。
アナ(アビゲイル・ブレスリン)のモノローグが、本作の起点になる。アナは白血病に冒された姉ケイト(ソフィア・ヴァジリーヴァ)の命を救うため、遺伝子操作で誕生した〝人造人間〟だ。原題“My sister's keeper”が示す通り、ケイトの生命維持装置として幼い頃から臍帯血、骨髄などを提供してきた。
「わたしはもう、姉のドナーにならない」……。11歳になったアナは優秀な弁護士(アレック・ボールドウィン)を雇い、両親を訴える。母サラ(キャメロン・ディアス)に利己的となじられるが、アナの言い分にも説得力がある。ドナーの継続が幼いアナにとって過重な負担であることは、医学的に実証されているからだ。
ケイトの闘病は家族にとって負担だが、同時に絆を深めるきっかけでもある。腎移植を拒否したアナだが、変わることなくケイトに寄り添っていた。本題とは離れるが、日本での腎移植は通常、ドナーの心臓死を確認後に行われる。仮に適合度が高くても、俺の片方の腎臓を妹に生体移植するというように話は進まない。
ケイトを熱演したソフィア・ヴァジリーヴァは髪と眉を剃り、時に童女のような笑みを浮かべる。家族とともに病院を抜け出し、海辺でくつろぐシーンが印象的だった。勘のいい人にはネタばれになってしまうが、ケイトと重なるのは「死ぬまでにしたい10のこと」(03年)のアンである。
ニック・カサヴェテスの前々作「きみに読む物語」(04年)と本作の共通点は、母性を<正しい愛し方>を妨げる存在として描いていることだ。あくまで俺の想像だが、監督は少年時代、母ジーナ・ローランズの強烈な個性に首根っ子を押さえられていたのではないか。
本作は社会性とエンターテインメントの要素を併せ持ち、生きる意味、死ぬ意味を問いかける傑作だった。東京砂漠を這う乾性ゴキブリたる俺の心身をも、スクリーンから吹く優しく湿った風が潤してくれた。機会があれば、原作(早川書房)を読むことにする。
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