弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

米国の研究環境(50年前)

2006-03-19 00:13:36 | 歴史・社会
日経新聞朝刊の「私の履歴書」は、興味を持って読んでいます。印象深く読むことのできるエピソードにずいぶん遭遇するのですが、その割に記憶に定着しないという点が不思議です。
毎日細切れに読んでいること、それと書籍が手元に残らないことが、記憶に定着しない理由ではないかと思っています。
そこで、印象に残ったエピソードについては、備忘録としてこのブログに残しておこうと思います。

[3月15日記事]
アメリカに渡った生化学者の早石修先生は、1950年、米国立衛生研究所(NIH)のコーンバーグ先生の下でポスドクを勤めるようになります。ここで「研究とは何か」を根本から叩き込まれました。
学会発表で良い発表をするための方法も徹底的に鍛えられます。「『見えない・聞こえない・分からない』の『三悪』といまでも言われる日本の学会発表に慣れていた私は、恥じ入るだけだった。」今でもそうなのですかね。

米国での最初の学会発表を控えた予行演習の後で、コーンバーグに居残りを命じられ、三時間みっちりと絞られますが、後で研究室の先輩が言うには「米国人研究生があんな発表をしたら、口も聞いてもらえなくなる。お前はコーンバーグに好かれているんだ」

その後、コーンバーグに誘われて共にワシントン大学に移り、助教授に就任します(3月16日記事)。このあと、コーンバーグは41才でノーベル賞を受賞します。
1954年、今度は要請によってNIHの毒物学部長に就任します。早石先生34才です。国立機関が、米国籍のない日本人の若手を部長に抜擢するとは。米国は本当の実力社会だと実感します。そしてそこで、先生が日本で発見した酵素ピロカテカーゼの新機能を実証することになるのですね(3月17日記事)。

ところで、冒頭にも書きましたが、読んだ本を手元に保有しているか否かによって、内容の記憶に差があるような気がしてなりません。本が手元にないと、読んだ内容を早く忘却してしまうようです。そこで、私はできるかぎり読んだ本を保管するようにしています。保管場所確保の観点から、基本的には文庫本と新書しか購入しません。
以前読んだ本の内容についてふっと興味を持ったときに、手元にその本があって紐解くことができる、それが、本を保管しておくと記憶が確かなものになる理由ではないかと思っているのですが・・・。
コメント
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