弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

イラク日本人人質事件

2006-03-13 00:18:23 | 歴史・社会
イラクの日本人人質事件からもう2年経つのですね。
ここ何年かで、あんなに心が痛んだ事件はなかったように思います。

突然武装集団に囚われ、いつ殺されるかと怖い思いをし、外界と完全に遮断され、やっと助かって日本へ帰ってきたわけです。日本の人たちが暖かく迎えてくれるかと思いきや、日本はもっと怖い国になって人質たちを非難糾弾したのでした。あれで神経をやられなかったらよっぽど図太い人です。

確かに、あの時期にファルージャ近郊を通過するという判断は不注意だったと思います。しかし、情勢が急速に変化していた時期であって、情勢を見誤ってしまったとしてもそれほど大きな過失があったとは思えません。あの程度の過誤は誰にでもあるものです。その結果として危難に遭遇したのであれば、日本政府として当然に救助に最善を尽くすべきです。
それに対して、日本人の平均的な意見は、「自己責任」「あんなとこに行った本人が悪い」「かかった費用は本人たちに負担させろ」「また行きたいと言ったらしいがもってのほか」といったようなものでした。帰ってきた人質の人たちは、帰国して笑顔を浮かべることも許されず、ひたすら謝罪を要求されました。

悪かったのは、人質拘束中、マスコミが人質の家族をカメラの前に引っ張り出したことですね。家族に対し、政府を攻撃するように煽った人たちもいたのでしょう。私は家族が上京してきたところで嫌なものを感じ、それ以後家族の映像はほとんど見ませんでした。そのため、人質の兄弟が机をたたいて政府を非難したという光景は見ていないのです。日本人の大部分は、あの光景で人質非難に廻ってしまったようですね。

問題は、人質本人とその家族とは別人格であり、人質が解放されるまで両者は全く連絡を取っていなかったのにもかかわらず、家族の行動が気に入らないからといって人質本人を非難することになってしまった、ということです。

意見を言う人の中には、「イラク以外にもストリートチルドレンはいるのに、なぜイラクのストリートチルドレンの心配をしなければならないのか」といったものもありました。日本人は1億2千万人もいるのに、なぜそのすべてが同じ方向を向かなければならないのでしょうか。一人ぐらいイラクの心配をする人がいた方が、考え方が多様で健全です。

誘拐した側のイラク人についてです。あの直前におけるファルージャの状況から考えると、下手人は町の青年団であろうと思われます。米軍の行動に激しく怒って武器を取り、自衛隊を派遣して米軍と行動を共にする日本政府に要求を突きつけたいと考えたのでしょう。
「テロ」の定義に従うと、拉致・誘拐という行為がテロ行為だということになってしまいます。そしてテロは絶対悪とみなされ、「テロとの戦い」といえば何でも許されるという風潮があります。
しかし、戦闘機からの爆撃で住民を無差別殺戮する行為は戦闘行為として許され、村の青年団が人質を取って要求する行為はテロリストの行為であってそのような集団は殲滅すべきである、という考え方はどこかおかしいです。バランスが崩れています。

安田純平さんがファルージャ近郊で拘束されたのもちょうどあのときだったのですね。高遠さんらに対する日本人の対応を経験した後ですから、ご家族のマスコミに対する対応も「政府にお任せします」という対応だったと思います。その結果、高遠さんらが受けたようなバッシングは受けずに済んだように記憶しています。家族が拘束され「無事でいるのか」と心配する一方、バッシングを受けないよう言動に気をつけなければいけないのですから、酷な話ですよね。
コメント (6)
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