弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

五稜郭・志苔館訪問

2024-06-26 16:43:48 | 趣味・読書
北海道に出かける用事があり、6月21日(金)、函館の五稜郭と志苔館を訪問しました。
諸般の事情により、6月21日の朝に千歳のホテルを出発し、日帰りで五稜郭と志苔館を訪問し、その日のうちに新さっぽろのホテルに帰着するという行程です。函館への往復にはJRを利用しました。今回は私の単独行動です。

五稜郭は函館駅から北の方角に位置します。志苔館は、函館駅の東方、函館空港の近くに位置しています。
函館駅に到着すると、まずは駅の観光案内所を訪れました。志苔館往復のルートを検討するためです。
ヤフーの路線で検索すると、函館駅から路面電車で終点の湯の川まで行き、そこから徒歩40分で志苔館にいたる、というルートしか出てきません。観光案内所では、91系列のバスが運行していることを知らされ、時刻表をいただきました。ただし、1時間~2時間に一本しか運転されていません。
駅ビルの2階で昼食のラーメンを食しながら時刻表を確認したら、今から10分程度でバスが出発することが分かりました。そこで、訪問の順番として、まずは志苔館に向かうことにしました。

志苔館は、函館空港の南側、海岸の近くに位置しています。観光案内所では、志海苔の停留所で降車するように言われています。
さて、志海苔の停留所でバスを降ります。ここからが大変でした。志苔館の入り口に向かうルートが分からないのです。停留所は海岸近くにあり、その北側が海岸段丘で、海岸段丘を上がったところに志苔館の土塁があることは見て分かります。北へ向かって登る最寄りの路地(坂)をいくつかトライしましたが、途中で行き止まりになります。結局、バス停から西に少し戻ったところの川に沿って歩くと、やっとのことで志苔館の入り口を見つけることができました。

《志苔館跡》

志苔館平面図
入り口の案内に以下のように記載されています。
『志苔館跡は、函館市の中心部から約9km離れた標高25mほどの海岸段丘南端部に位置している。
西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島を一望することができる。
館跡は、ほぼ長方形をなし、四方は高さ2~4m、幅10~15mの土塁で囲まれ、その外側には壕が巡らされている。
郭内は、東西70~80m、南北50~65mで、約4100平方mの広さがある。
また、館跡の正面にあたる西側には、二重に堀が掘られ、さらに外側に小土塁が巡らされている。
松前藩の史書「新羅之記録」によると、室町時代頃、道南地方には12の和人の館があり、志苔館もその一つで、小林太郎左衛門良景が居住していたことが記されている。
この記述によれば、康正2年(1458)志苔館付近でアイヌの蜂起があり、この戦いにより翌長禄元年5月14日志苔館が攻め落とされたといわれている。
戦いの後、再び小林氏が館に居住していたが、永正9年(1512)4月16日にアイヌの蜂起があり、志苔館は陥落し、館主の小林彌太郎良定が討ち死にしたといわれている。その後は、小林氏が松前藩に従属したために、志苔館は廃館となった。』


志苔館断面図

志苔館入り口の手前に、木戸と柵が巡らされ、その先に石碑が建っています(下写真)。

木戸横の説明書きに以下のように説明されていました。
『志苔館和人殉難御霊      慰霊碑
   阿伊努(あいぬ)悵魂御霊
由緒
下北半島、津軽方面において南北朝の戦いに敗れし南朝方武士達、蝦夷地にのがれ移り住み、道南の処々に館を築きてありしが、康正2年(1458)志苔館付近にて阿伊努(あいぬ)の蜂起あり。
志苔館を始め道南の処々の館は次々と落とされ、わずか上磯の茂別館と上ノ国の花沢館が残るに至った。
ここにコシャマインの戦いに於いて亡くなりし館の主、和人殉難御霊、阿伊努(あいぬ)悵魂御霊双方を同一座にお祀りしたものであります。』

さて、志苔館の土塁の内側を歩き回りました。草ぼうぼうの原っぱで、周囲が土塁で囲まれているだけです。

土塁と右側は館の内部


館の内部から外側の土塁を望む

土塁の内側にはスタンプ設置場所はありません。土塁の外の四阿に、やっとスタンプを見つけました。

土塁外の四阿


四阿のスタンプボックス

以上の説明からもわかるように、志苔館は、南北朝時代に設けられた、周囲を土塁で囲んだだけの館跡です。1512年のすぐ後には廃城になっています。それから500年、よくぞ保存されていたものだと感心します。

志苔館訪問は以上の通りです。
これから、五稜郭に向かわなければなりません。
坂を下りてバス停留所に至りました。次のバスは1時間以上後です。タクシーを呼ぶことにしました。電話で予約したのですが、タクシーはなかなか来ませんでした。炎天下をずいぶん待たされ、やっとタクシーが到着しました。タクシーで五稜郭に向かいます。

《五稜郭》
五稜郭に到着しました。私は2度目の訪問です。時間に余裕がないので、とにかくスタンプに直行し、そのルートの写真撮影のみに限定しました。

外堀


二の橋


表門


箱館奉行所庁舎

100名城のスタンプは、五稜郭中心部にあるお休み処に設けられていました。


外堀


内堀

帰りの特急電車の出発時刻の関係で、今回は五稜郭タワーには登りませんでした。これでは、五稜郭の全体が全くわかりません。そこで、14年前に私が五稜郭を訪問した際の、五稜郭タワーから撮った写真を以下に掲載しておきます。私の別ブログ「9月20日・函館 2010-11-03」で記事にしたものです。





北海道には、200名城のうちの5箇所があります。そのうちの2箇所について、今回スタンプをゲットすることができました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 特許による独占権の意義とそ... | トップ | オプジーボ特許紛争~小野薬... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

趣味・読書」カテゴリの最新記事