弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

わが家のクルマの変遷

2006-03-07 00:08:44 | 趣味・読書
わが家では、以下のようにクルマを所有していました。

1972年~ トヨペットコロナ
1981年~ ホンダアコード
1985年~ 三菱シャリオ
1994年~ 三菱シャリオ
2002年~ なし

1台目のトヨペットコロナ(1700cc)は、1972年に実家で購入したものをそのまま使用していました。後輪がリジッドアクスル・リーフスプリングという、今では考えられない仕様です。後にラジアルタイヤに履き替えるまでは、直進安定性が悪くて泣かされました。ただし、当時はやりの流線型ではなく、オーソドックスな箱形のスタイルです。
「間違いだらけの・・」の最初の版には「コロナ=平凡さがとりえだが、エンジンが弱いのが泣き所」と書かれていたようです。

コロナが10年直前で突然エンジン不調となり、2台目を選ぶことになりました。子供が二人おり、荷物を積んでのドライブが多くなっていたので、できたらワゴンが欲しいと探しました。ところが、当時のワゴンは商用車しかなく、後輪がリーフ・リジッドなのですね。仕方なく、「間違いだらけの・・・」を参考にホンダアコードにしました。FWD、マニュアルシフトです。

わが家は子供3人になり、そのうち、三菱シャリオという7人乗りのクルマがあることを知りました。こういうクルマを探していたのです。「間違いだらけの・・」でも及第点がついています。アコードはまだ寿命ではありませんが、買い換えてしまいました。FWD、オートマです。
ホンダ車は昔から塗装が弱いという評判でした。わが家のアコードは、「ホンダの塗装ももう大丈夫だろう」と想定して購入したのですが、だめでしたね。4年しか乗っていないのに、下取りで引き取られたアコードはさびがひどく、買い手がつきませんでした。
今でこそミニバン全盛ですが、当時お値頃の7人乗りのミニバンは三菱シャリオと日産プレーリーしかなく、どちらもろくに宣伝もされず、知名度は最低でした。小さい子供が2人以上いたら、ミニバンの便利さは最高です、といっても現在では周知の事実ですね。
わが家の周辺では、「こんな便利なクルマがあるとは知らなかった」とびっくりする家族が多く、それを機にシャリオやプレーリーを購入する例が多くありました。

1台目のシャリオが寿命となりました。やはりミニバンが欲しいのですが、子供が大きくなったのでシャリオでは3列目が狭すぎます。もっと車内が広いミニバンを探しましたが、当時はありませんでした。ホンダオデッセイが世に出る数年前です。そこで、次もシャリオになりました。

三菱自動車というのは変な会社です。シャリオという先進的なクルマを世に出すかと思えば、営業はそれを本気で宣伝しません。売る気がないとしか思えませんでした。
「子供が大きくなるとシャリオでは狭すぎる」という苦情・要望は当然ディーラーに寄せられていたはずで、それに営業がきちんと耳を傾けていれば、後にホンダがオデッセイで勝ち取った栄光は三菱のものだったはずです。
2台続けて三菱車に乗り続けた私としては、最近の三菱自動車の凋落ぶりには胸が痛みます。

2002年に娘が就職し、シャリオは娘が勤務地に持っていきました。それ以来、わが家は車を保有していません。実は、最近は自動車の運転が怖いのです。これからの人生、できるだけ運転せずに生活できたらと思っています。
コメント
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