大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年12月26日 | 写詩・写歌・写俳

<3269>  余聞 余話 「新型コロナウイルス禍におけるNHK紅白歌合戦」

      コロナ禍の年越しこれやこの思ひ

 今年は新型コロナウイルスの感染症に振り回された一年だった。年末に第三波のうねりで、第一波からの間隔で見るならば年に四回の波が来ることになる。波が来るごとに感染者を増やしているが、これはこれまでと同じような対策では感染拡大が免れないことを示すものである。何故なら感染者が増えた状態では、少ないときよりも感染者数が確率的に多くなるからである。

 つまり、一波より二波、二波よりも三波の方が波が大きくなり、以後に続く。とすれば、四波はもっと大きい波になるわけで、そう考えておいた方がよいということになる。もちろん、季節の変動によるウイルスの変容やワクチンの有無等の条件に左右されるだろうが、最悪のケースを想定しておいた方がよい。医療体制に余裕がない状況においては、これは当然と言える。

                                                   

 それはそうと、新型コロナウイルスを思うに、大晦日恒例のNHK紅白歌合戦は要注意である。無観客でライブ配信されると言われるが、感染者が増えている状況下、自粛要請が出され、自宅に籠って年末年始の休日を過ごすことを推奨しているので、紅白歌合戦の視聴率は上がると想定される。

 NHKにとっては喜ばしいことであろうが、老若男女が一つ部屋に集まってテレビを囲むというようなことが増えれば、そこには密の状況が生じ、感染しやすくなる。家族間では気が緩み、マスクなどせずに歌合戦を一部屋に集まって一同に会して観ることになる。この家族の中に無症状の陽性者が一人でもいればたちまち感染してしまう。第三波では家庭内感染が増えているというデータが報告されている。この報告を思うに、紅白歌合戦は要注意である。ましてや、人数が多く、高齢者を交える家庭ではより注意が必要になる。

 番組が往く年来る年の深夜に及ぶ時間帯であるのも、このコロナ禍にあってはよくない。こうした点を総合してみると、NHKの紅白歌合戦は感染症において注視すべき番組のように思える。主催者として視聴者国民に向かって注意喚起の呼びかけをしなくてよいのだろうかと思ったりする。 写真はネット配信されたNHKの二十五日の都道府県の感染者数地図。

 


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2020年12月25日 | 植物

<3268>「大和の花」の終わりに当たって

     世の定めとは言はるるにその定め始めがあれば終はりのある身

 大和(奈良県)の地に草木の花を求めて約二十年。その間に撮影した野生を中心にした草木の花の写真に短文を添えて続けて来た「大和の花」の連載は千種を越え、写真が尽きる状態に至ったことにより、1145番のタチバナ(橘)をもって終わりにしたいと思う。撮影したもので抜け落ちている花があるかも知れないが、目ぼしい花は掲載し得たと思われるので、ここに終止符を打つことにした。今後、新しく撮り得たもの、あるいは抜け落ちていたものについては「追記」したいと思う。

 紹介の花は、大和(奈良県)のほぼ全域に及ぶ河川、池沼の水辺から岸辺、道端の草叢、野辺の草原、棚田の畦、丘陵地、高原、山間地、山足、林縁、渓谷、低山、深山、山岳の高所、岩崖地に隈なく出向き、出会って来た四季の花々である。多少植栽の草木も含まれるが、ほとんどが野生のもので、印象の強弱はあるものの大概の花に撮影時のことが思い出される。

                               

 草木の花や実は時のものであるから、撮影の花は既に失われ、現存するものではないが、種を引き継ぎ、代を変えて今も花を咲かせている。そうした花は、時の流れの中にあって二つの意味を持って咲いているということが思われる。一つは、例えば『万葉集』に登場を見る花々で、撮影出来た花。これらの花は少なくとも万葉時代から現在に至るまで種を継いで来た花であること。この軌跡は、私たちの生と同じ意味をもつものであることを示している。

 今一つは現存する植生の花の未来に向かって咲く意味を掬い取るという点にあること。明日はどのように展開するか、生あるものにとって、これは不明である。明日失われ、絶滅するかも知れない存在としてあるかも知れないということ。この点を考えると、現存の花の写真の記録は大切なものとなり得る。殊に絶滅が危惧される草木の花に重きを置いて撮影に当たったことは、植生の環境を考える上に必要で、これは地球環境にも関わり、私たちの生活にも通じるということで、大切であると思える。

                  

 これに今一つ加えるとしたら、外来種の草木が見参し、増える傾向にあることを現存の花は示していることである。外来種の帰化は大半が人に起因し、それは文化の流れに沿う意味において語ることが出来、私たちの暮らしと一致して花が見られるという点において一種の文化の流れのバロメーターを意味していることになり、その写真による記録は必要と思われる。

 約二十年間、時を得て咲く花を山野に求めて歩くに当たって思われたのは、都会では人間が主体であるが、山に入ると草木が主体になり、私たち人間は客人になるということであった。そして、草木に囲まれながら、人間が如何に植物の恩恵を受けて、その生を叶えているかということに思いがいった。

 花はものを言わないけれども、表情は見せる。そして、私たちにはわからないが、意志を持っているということが思われたことではあった。そして、撮影に当たりながら共生と多様性について考えさせられたことである。それにしても、千種以上の花に出会えたことは、花が時のものであることを思うに、これは縁の何ものでもないと思えて来る次第である。

 なお、「大和の花」の記載に当たっては、主に山渓ハンディ図鑑のシリーズ『樹に咲く花』、『野に咲く花』、『山に咲く花』、全国農村教育協会編『帰化植物写真図鑑』、柏書房『花と樹の事典』、それに、奈良県編『奈良県野生生物目録』、『大切にしたい奈良県の野生動植物』、森本範正著『奈良県樹木分布誌』等を参考にさせていただいた。

 葉や花など草木の形状等については観察者の主観と生育環境による個体による異なりもあるので、正確を期すことが出来ていないこと。似通って紛らわしいものについては、図鑑により独自の判断で判別等に当たった。また、分類には新旧があって一貫性に欠けるところがあると思われるが、主に山渓ハンディ図鑑によったことをお断りする次第である。 写真は山野で出会った花の一部。上段左からタチツボスミレ、ジュンサイ、フクジュソウ。下段左からヤマツツジ、ゴゼンタチバナ。

 


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2020年12月23日 | 植物

<3267> 大和の花 (1145) タチバナ (橘)                                   ミカン科 ミカン属

                                              

 海に近い山地に生える常緑低木乃至小高木で、高さは大きいもので7メートルほどになる。枝は緑色、葉は互生し、長さが3センチから6センチの楕円形で厚く、先がやや尖り、縁に鋸歯はなく、表面に油点が見られる。また、葉腋に長さ1センチ弱の刺を有する。

 花期は5、6月ごろで、枝先に香りのよい白い5弁花をつける。花は直径2センチほどで、ミカンの花に似る。実はウンシュウミカンより小粒で、直径2センチから3センチの扁球形になり、中の袋も少ない。果被は薄く、秋に熟し、黄色になる。実は酸味が強く、食用には向かない。

 タチバナ(橘)の名は『古事記』や『日本書紀』に見える逸話によるという。逸話は、垂仁天皇のとき天皇の命によって多遅麻毛里(田道間守)が非常香菓(非時香菓・ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世国に出かけ、年月を経て木の実(タチバナの実)を持ち帰ったが、天皇はすでに崩御し、悲しんだ多遅麻毛里(田道間守)は天皇の陵に向かってこの実を捧げ、慟哭して亡くなったとある。この香菓(かぐのこのみ)を多遅麻毛里(田道間守)の名に因みタチバナと呼ぶようになったという。

 このように、タチバナは柑橘類の中では我が国においてもっとも古くに見える樹木として知られ、『万葉集』には69首に詠まれ、当時から植えられていたことが知られる。『枕草子』は木の花について「四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう、こころあるさまに、をかし。花の中より、黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたる朝ぼらけの桜に劣らず。郭公のよすがとさへ思へばにや、なほさらに、いふべうもあらず」と称揚している。

 御所の紫宸殿の前庭に植えられた左近の桜に対し、右近の橘は名高く、『枕草子』が比較にあげた桜はこの右近の桜と思われる。今でも社寺の前庭に植えられている。私の知るところでは興福寺南円堂に見られが、説明札にはヤマトタチバナとある。なお、実と葉を模った橘紋は有名紋の一つで、文化勲章の勲章はタチバナの花が模られたものである。

 このタチバナについて、牧野富太郎は『植物知識』に、今、社寺などに植えられて見えるタチバナは『古事記』等に言われるタチバナではなく、キシュウミカンのようなコミカンであると述べている。コミカンは本州、四国、九州の山地に野生するミカンで、歴史上のタチバナとは異なるもので、それを結びつけているに過ぎないと言っている。『奈良県野生生物目録』(奈良県編)にタチバナの名は見えず、タチバナモドキの名があるのはこの牧野富太郎の見解が反映されているのではないかと思われる。

   草木事典などに別称として見える二ホンタチバナは牧野富太郎が名づけたもので、ヤマトタチバナとあるのも牧野富太郎のこの指摘によって歴史上のタチバナとの異なりにおいてつけられたものであろう。言わば、タチバナは歴史上のタチバナからコミカンに当たるタチバナまでひっくるめて総称とするのがよいように思われる。スミレを固有種名とスミレ属の総称とするのに等しい。 写真はタチバナ(二ホンタチバナ)の花(左)と果期の姿(興福寺南円堂)。       年の瀬や今年はコロナ禍に尽きぬ


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2020年12月23日 | 植物

<3266> 大和の花 (1144) ウンシュウミカン (温州蜜柑)                          ミカン科 ミカン属

                   

 ミカンは柑橘類に属し、柑橘類の原産地はインド北東部のアッサム地方とされ、日本には中国を経て伝わった言われ、今のダイダイに近いものではないかと考えられている。常緑の小高木または低木で、いろんな品種に及ぶが、今普通にミカンと呼ばれるものは柑橘類を代表する生産量の多いウンシュウミカン(温州蜜柑)を指して言う。

 ウンシュウミカンは約数百年前、鹿児島県で生まれたとされ、ミカンの産地で名高い中国浙江省の温州(うんしゅう)に因んで、この名がつけられたという。花期は5月ごろで、芳香のある白色の5弁花をつける。実は子房の内側の毛が肥大して多汁の袋になった蜜柑状果で、直径5センチから8センチほど。熟すと黄色になり、皮が薄く柔らかいのでむきやすく、果肉も甘いので柑橘類の中でよく食べられている。

 産地は関東地方以西の沿岸地方に集中し、本州の静岡、和歌山、四国の愛媛、九州の熊本、長崎、佐賀といった県が名高い。大和(奈良県)でも桜井市穴師辺りが産地として知られる。なお、アメリカではウンシュウミカンをSatuma(薩摩)、Mikan(蜜柑)と称し、食べやすいことからテレビを観ながら食べるという意により、アメリカやカナダ、オーストラリアなどではテレビオレンジと呼ばれ、親しまれている。

 このように、ウンシュウミカンは生食されることがほとんどであるが、シロップ漬けの缶詰やジュースに加工される。ミカンは重要果樹の一つで、北国のリンゴとともに消費を誇る庶民的な果物として知られる。 街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る(木下利玄)とウンシュウミカンは詠まれてる。 写真は花期の姿(左)、花のアップ(中)、実(右)。 

  箱売りの年越しみかん売場占む

 


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2020年12月22日 | 創作

<3265>  作歌ノート   ジャーナル思考 (九)

      我がこの身ジャーナル思考の足跡の歌にしてあるほどなる齢

 我が足跡を記憶の中に辿れば、思考を欠かさぬ日々があったと思う。今もその思考の習いに変わるところはない。ただ、積み重ね続けるその思考に、覚束ない勉学で得た知識や心得を加え、多少は向上したと見るべきだが、勉学を加えて来たったそれ以上に歯の滓のごとき汚れが、瘡蓋のごとく思考を被い不純にして来た感なきにしもあらずで、その勉学の成果と汚れの不純は時を重ねる齢の嵩においてフィフティーフィフティーではないかという気がする。という身のほどにあって足跡たる思いの歌は発出されたということではないか。ここではある一時期のほんのわずかな歌であるが、この日々の思考による歌の例としてあげた。

                                 

   延々と二十数キロ渋滞のニュースに顕ちし中流意識

   布団干す五月の団地ささやかな「幸せ」といふ言葉がふわり

   恣意的に選びし道の意識ふと満員電車の生きれに揉まれ

   大勢の中に加はる安堵感軋む満員電車に揺られ

   パトカーの赤色灯の彩が誰かの不幸告げてゐる夕

   悲しみの証か知らずぬばたまの夜の路傍の一茎の百合

   何処からか中島みゆきの歌ふ声雷雨の後の町のやさしさ

   暮れなづむ街に電光ニュース顕つ我ら着膨れ族にあらずや

   救急車星降る町を走るころ我が歌一首生まれけるかも

   機敏かつ信頼さても勇躍と寒夜を走り行く消防車

   救はれし命のあるを思はしめいそげいそげと急ぐピーポー

   日輪は変はることなく昇り来るジャーナル思考の恩恵の徒に

 果たして、この身はここまで来て、この先もジャーナル思考をもって、そして、その思考の足跡に歌を組み入れながら歩いて行くのに違いない。 写真は昇り来る日輪。