大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年12月16日 | 創作

<3259> 作歌ノート   ジャーナル思考 (八)

               風雪の町工場が壊さるるいかに終はれど徒労にあらず

 時代は移り行くもの――そこここに壊れかけているところがあり、目につくスレート葺きの屋根。何箇所か崩れかけている赤煉瓦の塀。門扉の脇に木造平屋の小さな受付兼守衛室があって、いつも初老の男と中年の女が立ち居している。そんな駅裏通りの町工場。中からはときに鉄を挽くような音が聞こえて来る。しかし、何を作っているのか、覗うところ外からはわからない。

   門扉のところからずっと続いている工場のかなり長い赤煉瓦の塀は内側に沿って夾竹桃が数メートル間隔に植えられ、夏の間、赤い花を帯のように咲かせるのが印象的で、道行く人の情感に触れて来るところがある。その町工場が壊され、跡地に大型店を中心にしたショッピングセンターが出来るという。

   工期一年半というから二年後には駅裏通りのその辺りは見違えるようになるはずである。町工場は戦前から町のシンボル的存在としてあり、人によっては、工場の消え行く話に一抹の淋しさを覚える人もいるはずである。駅裏通りの少し寂れたこの町工場はこうした存在感がある。

   労働歌何処へ消えしか逞しき父の時代の汗のにほひも

 町工場がショッピングセンターに生まれ変わるということは、生産に重きを置いた労働の時代から消費を暮らしのバロメーターにして楽しむ時代の到来を告げるもので、世の中が生産第一の勤労の時代から消費に重きを置く娯楽の時代への移り変わりを示すものと捉えることが出来る。

 このことは、全国各地に出来つつあるレジャー施設やテーマパークなどを見てもわかる。例えば、思いを言葉に託す歌人の表現にも現われている。生産(勤労)の時代を代表する明治の歌人石川啄木と消費(娯楽)の時代を代表する現代の歌人俵万智の歌集を開いてもそのような違いの歌が見える。例えば、次のような歌がある。

   はたらけど

   はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり

   ぢっと手を見る                                                          石川啄木

   大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋                                           俵 万智

 啄木の歌は明治四十三年(一九一〇年)刊行の歌集『一握の砂』に。万智の歌は昭和六十二年(一九八七年)刊行の歌集『サラダ記念日』にそれぞれ収められている。ともに二十代半ばの処女歌集で、時代を象徴し、歌壇を越えて共感され、親しまれて来た歌集であり、歌人として知られる。それは二人がともに卓越した感性の持主としてそれぞれの時代に即し、その時代その社会の精神を掬い取って詠んだからにほかならない。

   つまり、啄木の時代は「はたらけど はたらけど」の悲壮感自体が美徳としてあった生産(勤労)の時代だった。これに対し万智の現代は買い物袋が大きければ大きいほど豊かな気分になれるそんなところに価値を認める消費(娯楽)の時代であることを示す。この感覚において時代を思うに、ブルーな啄木の明治の時代とライトな万智の平成の時代における隔世の著しいことが察せられる。

                       

 第一、第二次産業から第三次産業への移行。この時代の進捗は当時の時代人が働きに働いて来た結果によるものだと思うが、その結果たる消費(娯楽)の時代に入って、その先が不透明になっていることを私たちは感じている。働きの結果と消費の結果、このことを取り壊される風雪の町工場は、働いて来た側から極めて辛辣に訴えかける。この訴えは、買い物袋が大きければ豊かだと浮かれている現代人には無視されがちであるが、決して、疎かには出来ない意味を孕み、私たちに訴えかけて来る。

 町工場はその働きによってどれほどの人を養い、未来を開いて来たか。どんなに淋しく見捨てられても、風雪を越えて一つの時代を支え、築いて来た自負において、決して徒労となど言わせない姿がある。その姿には涙ぐましささえ感じられる。で、思うに、ショッピングセンターはどうか。ショッピングセンターはともかく、各地に繁茂するごとく増えているレジャー施設やテーマパークはどうか。差し当たり幸せ気分を叶えてくれるだろう。しかし、それらは、その後、何を育み、どんな未来を開いて行くのか。私たちにその未来が見えて来なければ、当然、その不透明に快いものを認めることは出来ない。

   政治的課題はいつの時代にもあり且つ問はれ今に及べる

 [追記] 以上の記事はバブル期後半のころ書いたもので、当時の心境による。その後、バブルは弾け、政権が移り変わり、世界的金融危機が生じた。また、阪神大震災や東日本大震災といった自然災害のアクシデントが続き、今に至る。そして、今も新型コロナウイルスによる感染症という難儀に相対し、四苦八苦している。

   こうした安定しない事情の上に、国の大借金は増える一方で、日銀の異常とも言える金融緩和策が続けられている。この日銀の異常な政策によってかろうじて経済の状態は保たれている感があるが、不安感は消えず、そして、襲いかかっている新型コロナウイルスの状況がある。ウイルスの感染拡大によって、国には膨大な財政出動を余儀なくされ、少子高齢化というマイナス成長の要因なども絡み、格差の広がる傾向にあり、先行きに明るいものが見通せない。

   これはどういうことなのなか。果たして、俵万智が意識して詠んだ「東急ハンズの買い物袋」の時代から今の時代は進歩しているのだろうか。ここが問われている。あのバブルの時代は何を開いて来たのか。新型コロナウイルスの感染症対策を概観するに、その疑問に答え得る質量が現代人には欠けている気がする。そして、この疑問に真摯に答える姿勢が見られないまま明日へ向かっているようで、憂慮のベールは厚いと言わざるを得ない。 写真は石川啄木の『一握の砂』(左)と俵万智の『サラダ記念日』(右)の一部。