<3271> 余聞 余話 「我が家の食事」
足るを知り知りて思ひをありがたくする日々重ね常たらむこと
我が家の食事は取り皿方式ではなく、膳方式によっている。私は私の膳。妻は妻の膳。昔は取り皿方式だったが、私が大病をして、カロリー制限を必要とするようになってから膳方式になった。妻の図らいによる。取り皿方式では、好きなものを幾らでも食べ、好きでないものには手を出さないということが起きて、食に偏りが生じる。これに対し、膳方式は、自分の膳に載るものは全ていただくわけであるから好き嫌いの偏りがなくなる。
この膳方式であれば、個々の食生活におけるカロリー計算が出来、私のようにカロリー制限をノルマにしているものの食管理には打ってつけで、これは食事を賄う妻の考えによる。朝食はパン食になって久しいが、私と妻の膳は微妙に異なる。私は一日1800から2000カロリーであるのに対し、妻は1500カロリーほどで、この違いの差による。
膳方式に切り替えたころは、量も少なく、味も薄目で、もの足りない感じがあったが、今は量にも薄目の味にも慣れて三食いずれも美味しくいただき、完食している。取り皿にしなければならない鍋物では我が家流、その中身について、一人何個と決めて具材を揃える。すき焼きの肉などはあらかじめ分けて置いて、自分が管理して、自分以外のものには食指を伸ばさないというやり方をしている。おでんなんかでも好きなものばかりは食べられないように決めている。
決められたものを食べ、完食してもカロリーオーバーにならないようにしているわけである。多分、人さまの家の量や味と比べてみると、我が家の方が量が少なく、薄味だと思うが、量については、働き盛りのときほど体力(エネルギー)を使わないので少ない点の心配はなく、薄味なのは慣れもあって十分美味しくいただいて不満はない。
要は「足るを知る」ということではないかと思う。腹満腹、美味を尽くすその欲求は限りもあらずのグルメ番組がテレビなどでは大いに流行っているが、日ごろにあっては「足るを知る」がものをいう。私にとって我が家の膳方式の食事でほぼ足りている日々の食とは言える。 写真は私の朝食の膳(野菜サラダのケース・左)と妻の朝食の膳(野菜の具材が多いスープのケース・中)、今日の我が家の晩食のおでん(おでんは二食分・右)。