大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年12月05日 | 創作

<3248>  写俳百句  (22)   センダンの実

               栴檀の実の冴え著き青天井

        

 ここにあげたセンダン(栴檀)は古名でいうところのあふち(楝・樗)で、山上憶良が詠んだ『万葉集』巻五(七九八)に見える「妹が見しあふちの花は散りぬべし吾が泣く涙いまだひなくに」の歌で知られる落葉高木で、本州の伊豆半島以西、四国、九州、沖縄などの海岸に面した地方に自生し、国外でも中国や台湾などに見られるというが、昔から植えられることがあったようで、海に面しない大和地方でも古くから知られ、『万葉集』にも憶良の歌のほか三首に登場を見る。

 というセンダンであるが、詠まれているのは花期、即ち、ほのかに匂う淡紫色の花の時期に寄せる歌ばかりで、冬の蒼天に映える果期の実の印象に与って詠まれた歌は見られない。『万葉集』には多種に及ぶ植物の登場を見るが、花を詠んだ歌は思うほど多くなく、実生活に結びつく、慣れて見える特徴によってあげられている傾向にある。このあふちのセンダンで言えば、花もさることながら、初冬の青空に映えて見える実の印象のインパクトは昔からあるもので、人の目に触れてあったはずである。しかし、万葉歌には実の登場はない。

 漢方では乾燥した実を苦楝子(くれんし)と呼び、腹痛に効く薬用として見え、実用に供せられているので、実生活に見える植物に関心が向けられていたことからして考えるに、実の登場を見ないあふち(センダン)の万葉歌には不思議が纏う。で、思うに、この疑問符の答えとして言えることは、当時、実が薬として実用化されていなかったので、万葉人には無関心であったということが言えないかということ。それに、あまりよく目に触れる木でなかった関係にもよるのだろう、それも一因と考えられる。それにしても、センダンの実は冬の蒼天によく映え、印象的である