<3265> 作歌ノート ジャーナル思考 (九)
我がこの身ジャーナル思考の足跡の歌にしてあるほどなる齢
我が足跡を記憶の中に辿れば、思考を欠かさぬ日々があったと思う。今もその思考の習いに変わるところはない。ただ、積み重ね続けるその思考に、覚束ない勉学で得た知識や心得を加え、多少は向上したと見るべきだが、勉学を加えて来たったそれ以上に歯の滓のごとき汚れが、瘡蓋のごとく思考を被い不純にして来た感なきにしもあらずで、その勉学の成果と汚れの不純は時を重ねる齢の嵩においてフィフティーフィフティーではないかという気がする。という身のほどにあって足跡たる思いの歌は発出されたということではないか。ここではある一時期のほんのわずかな歌であるが、この日々の思考による歌の例としてあげた。
延々と二十数キロ渋滞のニュースに顕ちし中流意識
布団干す五月の団地ささやかな「幸せ」といふ言葉がふわり
恣意的に選びし道の意識ふと満員電車の生きれに揉まれ
大勢の中に加はる安堵感軋む満員電車に揺られ
パトカーの赤色灯の彩が誰かの不幸告げてゐる夕
悲しみの証か知らずぬばたまの夜の路傍の一茎の百合
何処からか中島みゆきの歌ふ声雷雨の後の町のやさしさ
暮れなづむ街に電光ニュース顕つ我ら着膨れ族にあらずや
救急車星降る町を走るころ我が歌一首生まれけるかも
機敏かつ信頼さても勇躍と寒夜を走り行く消防車
救はれし命のあるを思はしめいそげいそげと急ぐピーポー
日輪は変はることなく昇り来るジャーナル思考の恩恵の徒に
果たして、この身はここまで来て、この先もジャーナル思考をもって、そして、その思考の足跡に歌を組み入れながら歩いて行くのに違いない。 写真は昇り来る日輪。
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