<3267> 大和の花 (1145) タチバナ (橘) ミカン科 ミカン属
海に近い山地に生える常緑低木乃至小高木で、高さは大きいもので7メートルほどになる。枝は緑色、葉は互生し、長さが3センチから6センチの楕円形で厚く、先がやや尖り、縁に鋸歯はなく、表面に油点が見られる。また、葉腋に長さ1センチ弱の刺を有する。
花期は5、6月ごろで、枝先に香りのよい白い5弁花をつける。花は直径2センチほどで、ミカンの花に似る。実はウンシュウミカンより小粒で、直径2センチから3センチの扁球形になり、中の袋も少ない。果被は薄く、秋に熟し、黄色になる。実は酸味が強く、食用には向かない。
タチバナ(橘)の名は『古事記』や『日本書紀』に見える逸話によるという。逸話は、垂仁天皇のとき天皇の命によって多遅麻毛里(田道間守)が非常香菓(非時香菓・ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世国に出かけ、年月を経て木の実(タチバナの実)を持ち帰ったが、天皇はすでに崩御し、悲しんだ多遅麻毛里(田道間守)は天皇の陵に向かってこの実を捧げ、慟哭して亡くなったとある。この香菓(かぐのこのみ)を多遅麻毛里(田道間守)の名に因みタチバナと呼ぶようになったという。
このように、タチバナは柑橘類の中では我が国においてもっとも古くに見える樹木として知られ、『万葉集』には69首に詠まれ、当時から植えられていたことが知られる。『枕草子』は木の花について「四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう、こころあるさまに、をかし。花の中より、黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたる朝ぼらけの桜に劣らず。郭公のよすがとさへ思へばにや、なほさらに、いふべうもあらず」と称揚している。
御所の紫宸殿の前庭に植えられた左近の桜に対し、右近の橘は名高く、『枕草子』が比較にあげた桜はこの右近の桜と思われる。今でも社寺の前庭に植えられている。私の知るところでは興福寺南円堂に見られが、説明札にはヤマトタチバナとある。なお、実と葉を模った橘紋は有名紋の一つで、文化勲章の勲章はタチバナの花が模られたものである。
このタチバナについて、牧野富太郎は『植物知識』に、今、社寺などに植えられて見えるタチバナは『古事記』等に言われるタチバナではなく、キシュウミカンのようなコミカンであると述べている。コミカンは本州、四国、九州の山地に野生するミカンで、歴史上のタチバナとは異なるもので、それを結びつけているに過ぎないと言っている。『奈良県野生生物目録』(奈良県編)にタチバナの名は見えず、タチバナモドキの名があるのはこの牧野富太郎の見解が反映されているのではないかと思われる。
草木事典などに別称として見える二ホンタチバナは牧野富太郎が名づけたもので、ヤマトタチバナとあるのも牧野富太郎のこの指摘によって歴史上のタチバナとの異なりにおいてつけられたものであろう。言わば、タチバナは歴史上のタチバナからコミカンに当たるタチバナまでひっくるめて総称とするのがよいように思われる。スミレを固有種名とスミレ属の総称とするのに等しい。 写真はタチバナ(二ホンタチバナ)の花(左)と果期の姿(興福寺南円堂)。 年の瀬や今年はコロナ禍に尽きぬ