大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年04月28日 | 植物

<967> 花の大和  (2)  ボタン (牡丹)

           句を添へて 大和だよりの 大牡丹

 ボタン(牡丹)は中国原産の落葉低木で、我が国には奈良時代の末に僧空海が唐より持ち帰ったのが最初であると言われる。空海は栄西に先がけ、チャも持ち帰っているので、ボタンはチャとともにこの大和の地にもたらされたということになる。

 ボタンは豪華な花を咲かせ、中国では花王、花神、富貴草などと呼ばれるほどであるが、根皮に消炎、止血、沈痛などの効能があり、主に婦人病に用いる薬用植物として名高い。ということで、空海は花が目的ではなく、薬用としてボタンやチャを持ち帰り、チャは空海ゆかりの仏隆寺の所在地、宇陀市榛原赤埴に植え、ボタンは奈良の寺院などに植えたと見られている。いわゆる、我が国のボタンは奈良が発祥の地ということになる。

                                                         

  このように、ボタンは薬用として八世紀末には我が国に渡来していたと見られるが、花が立派なため、花に主眼が置かれるようになって行き、ボタンが一般に知られるようになるのは花によるもので、少し遅れ、『万葉集』や『古今和歌集』にはその姿が見られず、平安時代中期の『枕草子』に「露台の前に植ゑられたりけるぼうたんのからめきおかしきこと」と、「ぼうたん」の名で登場を見ることになる。なお、和歌には『詞花和歌集』と『新古今和歌集』にボタンを詠んだ次のような歌が見える。これも平安時代の中期以降である。

   咲きしより散り果つるまで見しほどに花のもとにて二十日へにけり                                            藤 原 忠 通

   かたみとてみれば歎きのふかみ草なに中々の匂ひなるらん                                                太宰大貳重家

  両歌とも歌にボタンの名は見えないが、詞書に「牡丹」とあるので、ボタンの花を詠んだものと知れる。これらの歌が詠まれた後、ボタンは「二十日草」、「ふかみ草」と呼ばれるようになったと言われる。ただ、立派な花とは言われるものの、現在見られる豪華な花はボタンの栽培が盛んになる江戸時代以降に改良されたもので、当時は、まだ、原種に近い濃い紫色の花ではなかったかと思われる。

 これらのことを踏まえて、大和におけるボタンを見ると、ボタンは、やはり、お寺で、まず、一番にあげられるのが、西国三十三所観音霊場の八番札所である桜井市初瀬の長谷寺である。長谷寺には百五十種、七千株以上のボタンが境内の各所に植えられ、花のころはみごとである。

  次にボタンでよく知られるのは、葛城市當麻町の当麻寺や石光寺で、石光寺の寒牡丹は名高い。また、五條市野原町の金剛寺もボタンの花で知られるお寺である。花はどこもゴールデンウイークのころが盛りで、この時期のボタン寺は沢山の人出でにぎわう。 写真は左が長谷寺のボタン、右が当麻寺奥院のボタン。