大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年04月05日 | 創作

<945> 短歌の歴史的考察  (18)         ~ <944>よりの続き ~

        短歌には千年超の歴史あり 人麻呂 定家 啄木 茂吉

 「第二芸術」について、次に、芸術を語るに芸術の定義があいまいな点が気になるところである。定義が曖昧なまま論じられても、それは曖昧なままに終わるということで、これは、推論の結果が推論の域を出ず、推論の延長でしかないのと同じことではないかということが思われるからである。では、芸術とは如何なるをもって芸術と言うのであろうか。概念的には何となくわかるような気がするが、言葉で定義づけようとすると限りなく難しくなる。では、その芸術について、次に触れてみたいと思う。

  夏目漱石は『草枕』の冒頭において、この世は住み難いところであるが、住み難い人の世を、いくらかでも住みよく幸せにするところのものが芸術であるという趣旨のことを言っている。大くくりな定義であるが、その通りであろうと思われる。芸術作品には心を玲瓏と楽しく安らかなものにする効用がある。で、私は芸術について、普遍性と個性の現れだと定義づけている。芸術作品に存する感銘乃至感動は普遍性に属し、いつまでも新であり続けることが出来るということは個性に属するもので、芸術にはこの二つの要素が必要であると言ってよいように思われる。

 芸術にはこの二つの要素のどちらが欠けてもよくない。普遍性の最も顕著に言えるのは自然で、これについては芭蕉が言っている。『笈の小文』に「見る処、花にあらずといふ事なし。おもふ所、月にあらずといふ事なし。像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり」と。ここで言われる「造化」とは自然を言うものであリ、「花」や「月」は自然の事象である。ただ、自然は神の則るところであり、神の意志の現れであるのに対し、芸術は人間が作り出すものであり、この違いを私たちは認識しておかなくてはならない。自然は今いう二つの要素を含むけれども、私が芸術と言わないのはこの点にある。

 芭蕉の言葉は俳句をたしなむ立場から述べているもので、芸術は自然に等しく、自然を基本にし、自然に習って俳句などは作るべしということが込められているわけである。だから、これは芸術論として聞くことが出来るが、芸術だけに止まらず、科学全般にもこの普遍性は言えることで、自然とは普遍性の基盤とも見て取れるのである。

                                         

  一例を示せば、原発がある。原発は人間の知恵と利己(欲望)によってある自然を変造した普遍性に欠ける存在で、その現われを示したのが福島第一原発の悲惨極まりない事故である。にもかかわらず原発を稼動させるということは、普遍性の軽視であり、私には科学者(現代人)の奢りにしか見えない。端倪を許さない時を思うとき、この問題は芸術論に似るところで、時局に迎合するがごとくに論ずる第二芸術論に重なるのである。

 少し話が逸れたが、芸術の要件は普遍性と個性にあって、文学で言うならば、文字量の多少によるものではなく、その内容によることが言えるように思われる。いくら長い大河小説であっても、如何に時局を得たものでも、この二つの要素を満たしていなければ、端倪を許さない時の厳しい審判のうちにあっては、評価されず、消え去って、芸術でも何でもないことになる。短歌や俳句のように短い作品でもこの要件に適っていれば芸術たり得る。ただ、文字数の少ない短詩ではそれが叶い辛いところがある。だから、短歌で言えば、古来より詞華集の形で編まれて来たのである。

 短歌や俳句に芸術論を被せて言うならば、心の呟き、もしくは、感性の呟きであり、言い換えて言うならば、これまで言って来た個別、個人的おのがじしの抒情歌を基とする短歌がそこにはあるということになる。この呟きこそが短歌の短歌たるところで、これまでもこの特徴をもって短歌は成り立って来たと言ってよい。そして、私には普遍性と個性の両立が作品に認められるとき短歌にしても俳句にしてもある種の芸術性が認められるということが思われるのである。

 『源氏物語』や『伊勢物語』には短歌が登場し、『奥の細道』には俳句が登場する。源氏を読まないのは、歌人として遺恨のことであると言ったのは定家の父藤原俊成であるが、『源氏物語』には人間の綾を知ることの出来る相聞の短歌がそこここに散りばめられている。この相聞は物語の重要な役割を果たしているが、俊成はこの数々の場面に登場する歌と物語の関わりを歌人ならば学べと言っているのである。

  この物語中の短歌は、短歌が心の呟きであることをよく示しており、芭蕉の奥を辿る紀行文中の俳句にしても、俳句が自然との交わりにおける感性の呟きであることを示すもので、ともにその作品の内容にとって大いなる役目を果たしていることが言え、私には『源氏物語』も『奥の細道』もともに芸術作品であると思えるのである。そして、これは芸術のみならず、何ごとにおいても、なるべく普遍性に近づけ、なるべく個性を発揮出来るようにすることが肝心であると思える。

  長々と述べて来たが、結論的に言えば、短歌は心の呟き、即ち、個別、個人的おのがじしの抒情歌たるもので、千年以上前に遡る歴史において、やはり、『古事記』の須佐之男命の祝歌が改めて思われるのである。以上で、「短歌の歴史的考察」を終えたいと思うが、最後に短歌に思いを馳せて詠んで来た我が拙歌三十首を抄出し、次の項で披露し、終えたいと思う。写真はイメージで、紅葉の映え。