大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年04月06日 | 創作

<946> 短歌の歴史的考察  (19)      ~ <945>よりの続き ~

       歌人も歌も滅ばぬ 歌は世に 世は歌につれあるものなれば

 よく「歌は世につれ 世は歌につれ」という言葉を耳にする。これは短歌に言われたことではないが、短歌の歴史を概観してみると、短歌にも当てはめて言えるように思われる。で、短歌を思いながら、口にのぼるところ、以下。「歌は世につれ、世は人につれ、人は心の持ち主で、心あるゆえ歌は生まれる。悲しいときに悲しい歌。嬉しいときに嬉しい歌。この世に人のある限り、心は尽きず、歌は生まれる。歌は世につれ、世は歌につれ、つれなうものは人にして、人のこの世は歌の世で、歌は尽きない道理なり」と。

 短歌を思うに、第二芸術論には失礼ながら、日本人が日本語を用いている限り、質の問題はあるにしても、短歌は尽きることなく続けられて行くと思う。これは、俳句や川柳にも言えることで、同じような表現でも、時代により、人により、変化が生じる以上、違った歌がそこには生まれて来る。その例は、古歌の本歌取りによくうかがえる。つまり、人間の生にあっては、微妙に異なりながら似て非なる人生が時代を隔てて展開し、そこには心の呟きである短歌が存在し得るからである。

  短歌の五七五七七の韻律が日本語の特徴より生じていることは冒頭に触れたが、それを基盤として短歌がある以上、上述の理由と合わせ、短歌の存在する必然性がそこにはあるわけで、短歌は滅びず、短歌から発した俳句や川柳も滅びることはないと言えるのである。もし、これらが滅びるとするならば、それは日本人がいなくなって日本語が廃れてしまうときであろうことが言える。では、歌心(主に短歌)について詠んだ拙歌三十首を以下に記して、この「短歌の歴史的考察」を終えたいと思う。 写真はイメージで、上段は梅に雪。下段は満開の桃の花。  ~ おわり ~

               

        小米花こぼるる花にほの見ゆるもののありけり 追憶の歌     

      歳月の賚賜にありて短歌あり 岩間に水の滴る光  

      稲の穂がそよぎにありて育ちゐる 視野に点して詠み来し歌群

      歌ひとつ晩夏の海をともなへり 無垢純白の帆を張らしめて

      悲喜苦楽 昨日のゆゑと今日のゆゑ 何を詠へど玲瓏とこそ

      人馬鶏(じんばけい) 埴輪の硝子越しの眼に歌語を求めし晩秋の室

        若葉して微笑の像の傍らに一樹立つなり歌ごゑ聞こゆ

      緑なす雨に力のある季節 禁欲詩人の自負を思へよ

        降らば雨の彼方に燃ゆる杜若 歌は思ひの在処にぞ生る 

      至り得ぬゆゑの思ひのこの一歌 電車が走る岸辺が見ゆる 

      黒く塗りつぶせる文字は推敲の跡 なほ続く人生の旅

      人生の考察いまだ足らざれば歌も即ち足らざるところ

      いまもなほ空巣に霙降りゐるか 詩人詩をなせ我も歌へる

      忙殺の日々過ぎてまた歌心 白河までの距離を縮めむ

      大いなる心を人と分かつべし 歌は心の呟きとこそ

      歌人論あるは露けく聞き及ぶ よけれ心の中の往還

      詩歌とはあるひは闇に放つ矢のその穂の光 誰か汲むべし

      篝燃え 花の下なる人の影 管弦胸にたかなれば 歌       

      詩に私論わがダンデイ スムたとふれば楽の欄干凍蝶の夢   

      まだ多く未生の歌の籠らふを思へ この身のありけるところ

      軽ろやかにスキップしながら来るごとく口語短歌の若き一群

      川筋に日差しを受けし猫柳 一歌に賜ふほどの明るさ

      うつうつと鬱に向かひし日の歌よ数あるそれも 現代短歌

      モダンの目 前衛の耳 あれど歌は 夢のほかなき愛しき器    

      似て非なる日月日々の先端の生よ滅びよ 今日も歌もて

      昨日よりまるく見えゐる朧月 などありけるを反歌に思ふ

      歌はいかにあるべきものか 目瞑れば 春の小川がさらさら流れ

      短歌とは思ひて臨む そして また いまひとたびの青空の青

    歌人論読める灯りに虫一つもがきゐるなり 生き切ってゐる

      日月を追ふに齢のあるところ 歌は齢に位して生まるる