大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年04月04日 | 創作

<944> 短歌の歴史的考察  (17)        ~ <941>よりの続き ~

        短歌とはあるは心の呟きにほかならぬ言はば命の発露

 戦後になって短歌を否定するような論が登場した。これは一つの衝撃であったと思われる。この論は俳句に向けてまず発せられたもので、要は伝統的定型短詩が俎上に上げられたわけである。五七五七七や五七五の型にはまった韻律の様式は制限されたもので、この制限においては現代のような複雑な精神世界は汲み取れず、言い表せないというのが趣旨であった。そして、定型短詩の短歌や俳句は芸術たり得ず、「第二芸術」と呼ぶのがよいと言われたのであった。

 これは、戦後間もない昭和二十一年(一九四六年)に仏文学者の桑原武夫が発表したもので、賛同する詩人や学者も現われた。だが、当然のこと歌人や俳人からは強い反発の声が上がり、論が巻き起こったと言われる。私は短歌の「た」の字も知らないころのことで、この経緯についてはよく承知していないが、桑原武夫が発表した「第二芸術」と「短歌の運命」は講談社学術文庫版で読んだ。

 それによると、伝統的定型短詩には複雑な近代精神は入り切らず表現出来ないから、この定型短詩は現代には適さず、滅びざるを得ないと言う。そして、その滅びは異質的で対立的なものが忍び込んで来るとき、それをきっかけに起きると言っている。その上、学校で子供たちに学ばせる必要などないということまで言っている。

  まさに、敗戦に際し、欧米文化が入って来る状況下における見通しをして論を展開しているところがあり、時局をもって言われているのが感じられる。もちろん、仏文学者という立場によったこともあろう。だが、「第二芸術」や「短歌の運命」を読み返してみると、どうもこの論には短歌や俳句への理解に欠け、認識に乏しいことが言えるところがある。

                                       

 確かに短歌や俳句は一首または一句で複雑な全的精神を盛り込むには難しいところがある。なかには象徴手法によって一首であっても短い言葉を駆使して物語よりも深い内容の作品を目指す歌人も見えるし、また、言外に意味や情感を込めるといった手法も取られる。で、「けり」とか「かも」といった助動詞や助詞の活用によって詠嘆の表現をする方法が短歌や俳句には用いられて来た。以下の短歌はその象徴手法による歌と詠嘆の「けり」、「かも」の見られる歌で、それがよくわかる。

     日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも                     塚本邦雄

   死に死に死に死にてをはりの明るまむ青鱚の胎てのひらに透く                       同

   めん鶏ら砂あび居たれひっそりと剃刀研人は過ぎ行きにけり                   斎藤茂吉

   さ夜ふかく母を葬りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも                     同

  邦雄の一首目「皇帝ペンギン」は何を象徴し、歌は何を言わんとしているのか。わかるようでわからない意味深長な歌で、想像が働いて来る。これはまさしく象徴主義の思惑で、アイロニーの勝った人間関係が根っこにあるのがこの歌には感じられる。これは好き嫌いの分かれるところであろうが、そこが狙いの一首でもあるように思われる。鑑賞者は自由に鑑賞出来るけれども、鑑賞者はその鑑賞能力を試されるということにもなる。この手法は前衛短歌と呼ばれる一群に見られ、まずあげられるのが寺山修司であり、岡井隆、春日井建などであったが、彼らの勢いは第二芸術論への実践者の戦いと言ってよかった。これも自由にものが言える世の中になったことによることを忘れてはならないだろうことが言える。

  二首目の「死に死に死に」の歌は、「三界の狂人は狂せることを知らず。四生の盲者は盲なることを識らず。生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」という空海の『秘蔵宝鑰』の本歌取りであろうが、この空海の言葉を逆手に取って一首をまとめ上げている。思えば、逆説的視線の内容であるが、これも人生を生きる者からすれば、真実であろう。それがうかがえる。二首とも心の呟きに違いないが、呟き以上のものを感じさせるところがある。

  茂吉の一首目「めん鶏」の歌の光景は今や見られない懐かしさの感じられるものであるが、歌の最後に用いられている詠嘆の「けり」という助動詞はどんな言葉を駆使しても言い表せない情感を滲ませてある文字で、歌の内容を深くする不思議な力をもっている。この歌にもそれがうかがえる次第である。これは伝統に裏付けられているもので、やさしくも美しい日本語の特徴の一つと思われる。次の歌の「かも」という助詞にも言えることであるが、これらの用字は抒情歌である定型短詩の短歌に生まれ育ったものであると言ってよい。この「かも」も、やはり、ほかの言葉に置き換えられない言外の情感を表わしているのがわかる。

  「第二芸術」の論では定型短詩の短歌や俳句を言葉の制限と言っているが、短歌や俳句の実践者は言葉の抑止と認識している。言い方が違うだけで、同じことではないかと思われるが、制限と抑止とは違う。抑止は言葉の吟味が重視され、実践者はこの言葉の吟味において常に悩む。私は日本人の奥ゆかしさは短歌的抑止の働きだろうと思っている。言いかえれば、婉曲的であり、抑止における短歌をして、婉曲の文学とは言われるところであって、この認識が、短歌や俳句を理解するには望まれるのである。また、それゆえに、用いられた一つの言葉から見解が分かれることもあるが、意味が広がり、豊かにもなるのである。

  だが、このような事例の歌を考えに入れなくても、短歌や俳句が心の呟きである以上、全的精神が盛り込めないにしても、また、いくら異質の文化が入り込んで来て表現に混乱を生じるとしても、これによって短歌や俳句が廃れるようなことはないということが私には思われる。

 で、短歌や俳句を大上段に振りかざした芸術論の中で論じること自体が無謀であると、私には思える。どれほどの実践者が自分の短歌や俳句に芸術性を思っているだろうか。これを考えても自ずと答えは出て来るはずである。しかし、その詠まれた作品が芸術の高みにあらざるものにしても、この心の呟き(感性の呟きと言ってもよい)は私たちにとって大切なものであり、高尚な芸術にも劣らない表現としてあることが言える。これは今も昔も同じことで、私たちはここのところを認識しておかなくてはならない。この短歌や俳句の呟きの連なり合うところが、即ち、芸術にも通じるのである。

 だから、短歌で言えば、『万葉集』に始まる詞華集が昔から編まれて来たわけである。言われるように、一首では全的精神を盛ることは出来ないかも知れない。だが、百首、二百首となれば、その精神も語れるし、時代を負うことも可能になる。純然かどうかはさておき、庶民の呟きの歌をも収載している『万葉集』の価値は高く、『古今和歌集』の真似歌という評も第二芸術論からは聞かれそうな『新古今和歌集』も、衰えゆく貴族の執念のような精神が展開され、中世という時代の精神性が見て取れるという点において、芸術に劣らない価値があると思えるのである。 写真はイメージで、山並。