大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年11月18日 | 写詩・写歌・写俳

<1170> 米国と中国、そして、日本 (4)

       国家とは国民個々を由らしむる意識のうちの御旗のやうに

 では、次に中国という国の遠心ということについて触れてみたいと思う。中国の遠心には前述した中華思想が大きく関わっていることが考えられる。そこで、まず、この中華思想について見てみたいと思う。この中華思想には日本にも影響を及ぼしている重要性を含んでいることがうかがえる。現在の中国人に中華思想はなく、この思想が反映されている状況などないという見解もうかがわれるが、私には、日本の神仏と同じく、一見国民の普段の生活には反映されていないように思われるが、それはそうではなく、中国人の根底に今も中華思想は精神的土壌として存在し、何かのきっかけをもってこの中国人にとって誇り高い思想は現れ出て影響を及ぼすように思われる。

 中華は中原とも言われ、国名の中国にも通じる言葉で、これは中国の春秋戦国時代、華夏族(漢民族・以後漢民族と表記)が黄河流域の穀倉地帯に定住し、その一帯を中心に一族の周が王朝を築き、都を置いたことによると言われる。その後、春秋戦国時代を経て、紀元前二二一年に秦の始皇帝が全土を統一し、その次の漢の時代に、漢字の発明などによる高度な文明がもたらされるに至り、他の民族も加えた漢民族の支配するところとなって国の繁栄を見、世界はこの中原(中国)を中心にあると見なすようになった。これが、所謂、中華思想である。

 以後、中国は南北朝、随、唐、宋、元、明、清、中華民国等を経て、現在の中華人民共和国に至るわけであるが、周の時代に現れた思想家孔子(紀元前五五一年から紀元前四七九年)が教えるところの「仁」を最高の徳とし、その徳の持ち主たる君子の為政をして理想の国とした。この教えによって治める天子(帝)の為政の国を世界の中心とする考えが生まれ、黄河流域に当たる中原(中国)を中心に世界は存在するという考えが行き渡るようになった。この考え方は、道教や仏教とともにそこに定住する漢民族に迎えられ、文明の発達を見る漢の時代以降、大いに称賛され、中国の国づくりに影響するところとなった。で、孔子の教えである儒教は評価を得、以後、中国では国教のごとく崇められ、道教や仏教と補完関係を保ちながら中華思想の遠心的特徴の支えとなって行ったのである。

 こうして道教や仏教の思想と補完し合う孔子の教えに影響された中華思想は中国の為政における考えとなり、この中原(中国)を中心とする世界(宇宙)の構図の中で、中央ほど優れ、周辺に向かうほど劣るという見方によって四辺の辺境の地を東夷、西戎、南蛮、北狄と呼び、その地の輩はみな野蛮な未開人と見なし、位階(差別)をもって位置付けたのであった。日本は日出る国とは言われたものの、この思想による中国では東夷の位置づけにある国で、未開、即ち、低級な種族という見方があった。

     

 中国というのは王朝が変わる度に、その勢力が微妙に変化し、四辺の辺境地はあまり問題にされず、曖昧であった。だが、その辺境の地はすべて中国に属するものという考えがあり、海洋においてはどこまでも中国のものとする認識がまかり通っていたことが想像される。中国最後の王朝である清は二度のアヘン戦争によって英国に敗れ、衰退の一途を辿ることになるが、清はこの憂慮すべき敗戦にも中華思想の考えによって敗れたのは辺境の南蛮であって、北京を中心とする王朝には影響しないと考えた。この経緯は王朝時代の中国における中華思想によるものの考え方をよく示す例としてあげることが出来る。

 その清王朝自身はと言えば、中央に位置するものながら、主流ではない満州族による王朝であるという皮肉な存在にあり、中華思想を掲げながらも国の安定性に欠けるところがあったと見られる。言わば、中華思想の認識はあったものの、こうした王朝の弱点は辺境の地から中央へと露呈して行き、王朝の崩壊に繋がった。清王朝の次に近代国家体制の萌芽として、辛亥革命の後、中華民国が生まれたのであったが、まとまることが出来ず、世界の大きな情勢のうねりに巻き込まれ、中国は第二次世界大戦の戦場と化し、混乱を来たすことになった。この大戦は近代化に向かう中国の難産とも言え、結果、毛沢東の率いる共産主義勢力による統一がなされ、現在の中華人民共和国が建国された。

 これよって、孔子の教えも中華思想も影を潜めるところとなったかに思われるが、中国の誇りを自認する孔子の教えをはじめとする道教や仏教は中華思想とともに変わることなく、共産主義体制においても、中国人の意識の中に受け継がれ、底流として現在も隠然とその精神は汲み取られ、影響していることが言える。日本を悩ませている尖閣諸島の問題にしても、中華思想における辺境の地、つまり、国境線を定かにしない領有の認識が中国にあるのがわかる。そこの心理を日本が国有化という手段によって刺激したため、中国は反発に出たのである。

 中国の反発は、まさに中華思想による遠心の現れで、辺境人の勝手は許さないとするものの考え方、つまり、中華思想の顕現と見なせる。現代における国際的常識における法やものの捉え方に依ろうが、依るまいが、この中華思想に照らしてこの尖閣諸島領有の中国の主張はなされているわけで、この点を日本が如何に理不尽この上もない主張だと怒っても、中国の言い分は変わることがないと言わざるを得ない。中国が国力を増すほどに、また、あの一帯が中国にとって有効なところと見なす評価がなされればなされるほど尖閣諸島における中国の国境に対する主張は強固なものになることが思われる。

 この中国における辺境の地のトラブルは、遠い昔から日本のみでなく、中国に接する四辺の国々で起きていることである。中島敦の漢の時代の武将を描いた小説『李陵』の物語もその一つであり、現在も南沙諸島のフィリピンや西沙諸島のベトナムなどとも領有権争いのトラブルが起きている。中国におけるこれら辺境の地、国境の問題は、周辺諸国には難儀な問題であるが、この中華思想からなる遠心の作用と見なせる。

  こうした中国の国境の状況は、メキシコから密入国して来るヒスパニック系の移住者とのトラブルを抱える米国とは対照的で、両国の求心と遠心の違いが如実に現れていることを示す。求心と遠心がわかり難いならば、吸引、吐出と言ってみてもよいかも知れない。米国も中国もともに共和国(合衆国)を標榜する多民族国家であるが、この求心と遠心からみると、国の成り立ちに根本的な違いがあるのに気づく。

 写真はイメージで、左は国境を定かにしない中華思想から来る考え方を写真で表現したもの。左は握手している首脳会談時の安倍首相と習国家主席(この握手の感触は二人以外には誰にもわからないところがある。テレビ映像による)。  ~ 続く ~