大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年11月16日 | 写詩・写歌・写俳

<1168> 米国と中国、そして、日本 (2)

          国家とは個々の対極なるにあり 制度を纏ひ鎧ふにありて

  では、まず、最初に米国の求心ということについて見てみたいと思う。その前に、デカルトの理性主義の考え方について私の理解に及ぶ範囲において今少し解りやすく米国の立場に当てはめて述べてみたいと思う。理性主義は、自我を有する人間を一番と考え、神、あるいは自然を真理とする考えには与さず、人間の理性をもって真理とし、理性をもった人間が作り出す物質に価値を認め、理性の実証に働く科学及び科学技術に信を置いて、そこに私たちの営みを展開し、科学優先の物質文明を築き育んで行くことが人類の幸せに通じると考える。

  言わば、何ごとにおいても、人間の能力によって開かれる科学に解決を求める。この理性的人間が作り出す物質によって豊かな人間社会が展開して行き、その展開には止まることや行き詰まることのない永遠性が秘められていると考える。これが理性主義の示すところで、一つには死を忘却してかかる思想性にあると言われる。これが米国の採って来た考えであり、殊に理性に優れた欧米人をして優秀者と見なし、他の人種や民族とは違うという考えのもとに国を成り立たせて来た。

  このよい例が植民地による支配であり、奴隷制であったが、人間の理性を真理と見なすこの欧米の考えは、神を真理とするイスラム圏の国々とは相いれず、衝突するところとなり、現在においても敵対しているのである。これはキリストとマホメットによる宗教的な対立というよりも、デカルト的ものの考えとイスラム教のものの考えの哲学的対立と考える方が当たっているように思われる。

                         

  神と言えば、日本も神の国で、この欧米とイスラムの敵対現象は、第二次世界大戦で戦った日本に対し、「日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の中で、最も気心の知れない敵であった。大国を敵とする戦いで、これほどはなはだしく異なった行動と思想を考慮の中に置く必要に迫られたことは、今までにないことであった」(ルース・ベネディクト『菊と刀』)と米国に言わせた「天皇万歳」と叫んで死んで行った兵士らの行動を彷彿させるもので、「アラ―の神は永遠なり」と言って自爆するイスラム教の信者をデカルトの理性主義の立場に立つ欧米人、即ち、米国の理解出来ないところを示すものと言えるのである。

  このデカルトの理性主義に則る欧米諸国とアラ―の神を絶対とするイスラム教を信じる中東の国々がしっくり行かないのは当然と言ってよいわけであるが、しかし、誰でもそうであるように、同調する者には寛大で、米国にもこれは当てはまり、米国のものの考え方に協調する国や人に対し、米国はこれを受け入れ、協調せず、反発する国や人に対しては敵視をもって対応するということが通例になって今日に至っているのである。この米国の考え方は移民によって成り立っている国ということもあって、国の求心という特徴に働くことになるわけである。

  では、ここで米国が受け入れる求心的移民の国であることについて触れてみたいと思う。米国は一四九二年(室町時代)の帆船メイフラワー号によるコロンブスの新大陸発見をきっかけに生まれたどちらかと言えば新しい国である。その後、欧州各地からこの新天地のアメリカ大陸を目指して来た。この移住して来た移民が原住民を退ける形で植民地化を進め、その結果、一七七五年(江戸時代後期)、移住者による独立戦争の勝利によって一七八三年、英国から独立して米国は誕生した。

 以後も、この新大陸には夢を抱いて世界各地から人々がやって来ることになるが、その初期は欧州方面からの移民が相次ぎ、綿花の栽培を主とする労働力の確保のため、奴隷貿易によってアフリカ大陸から強制的に黒人を移住させ、原住民とともに人種差別による搾取を行なって国の繁栄を目指した。西部劇映画で馴染み深い西部開拓がまさにその時代を象徴している。

 で、国が掲げる自由、民主の精神と移民たちが標榜して来たフロンティア精神、あるいはアメリカンドリームといった言葉があるように米国は希望の国として飛躍を遂げて行くことになるわけである。この時点でも、先に触れたデカルトの理性主義の考え方が働きとなったことは確かで、米国における国の求心的な姿は常識のものになって行ったのである。 写真は米中の個別会談でオバマ大統領を迎える習国家主席(テレビ映像による)。 ~ 続く ~