大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年11月24日 | 写詩・写歌・写俳

<1176> 道  (1)

       幾人が往きしか知らず 遠代より今に及べる山の辺の道

 小春日和の続く今日は山の辺の道の檜原神社から大神神社を往復し、心地よい汗を搔いた。休日とあって歩く人が多く、大神神社では七五三を祝う晴れ着の子供たちも見られた。歩きながら道について考えを巡らせることになった。道(みち)は路、径、途とも言う。岩波『国語辞典』によると、人や車などが通る所。通路、道路、往来の意。みちのり、道程の意。途中を表わす意。また、人が踏み行なうべきこと。道徳、道理。そして、その人が手がけている方面のことなどという説明がある。

 所謂、道は、歩くという言葉や走るという言葉とともにイメージされて用いられることが思われる。『奥の細道』は松尾芭蕉が行脚によって辿った東北(みちのく)から北陸方面を巡った際の俳句を交えた紀行文である。乗り物がなかった昔の人は現代人よりもよく歩いたと言ってよい。現代でも乗り物が使えない山道などでは歩く。私も山歩きをするので、よく歩く方かも知れない。

  考えてみると、職業にもよるが、通常の生活で言えば、概して若いときよりも、老年の域に達してからの方がよく歩くような気がする。殊に、私の場合は定年になってから山歩きを始めたので、この例にあてはまる。とにかく、昔の人の方が今の人よりも相対的によく歩いたと思われる。で、芭蕉ほどよく歩いた人はいないのではないという気がする。

                  

 ところで、大和には日本最古の道として知られる山の辺の道がある。奈良盆地の東の山々に沿って桜井市から奈良市にかけて南北に続く自然歩道になっている古道がある。これが山の辺の道で、天理市の石上神宮より南方面がよく整備され、歩く人も多い。「すべての道はローマに続く」と言われるが、これは、どの道を選んでも行き着くところはローマであるという意で、「真理は一つ」という意にも用いられているが、この道も古い道と言える。もちろん、現存するかどうかは知らないが。

 また、大和には標高一三〇〇メートルから一九〇〇メートルの大峰山脈の尾根筋に見られる険しい山岳の修験道の行場の道で知られる大峯奥駈道がある。この修行の道は「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして平成十六年(二〇〇四年)、ユネスコの世界文化遺産に登録されている特異な道で、全長約百七十キロに及ぶ遥かな天空の道である、

 それにしても、日本ほど固執して道を造って来た国はないのではなかろうか。人口減少にあり、もうこれ以上新しい道路など必要なかろうという意見もそこここに言われているが、止める気配はない。造れば造るほど維持費が嵩む。そういうことも計算に入れなくてはならないが、それよりも、現状に沿うことの方が政治には大切なのだろう。道一つを概観しても、この国の計は甚だ覚束ないことが感じられる次第である。 

 なお、路は主に太い道を繋ぐ横道のことで、広く道全般を指す。径は回り道をしない真っ直ぐな道のことで、概ね小道を言う。途は長く平らに延びた道で、みちのりをいう。写真は日本最古の道とされる山の辺の道とイチョウ並木が美しい彩を見せる国道二十五号(天理市内で)。