<1167> 米国と中国、そして、日本 (1)
国家とはある一定の思想また民意のうへに成り立ってゐる
このほど二十一カ国・地域が参加するアジア太平洋経済協力(APEC)の首脳会議が北京で開かれ、主催国の中国は習近平国家主席が各国首脳と個別の会談を行なうなど精力的な動きを示した。オバマ米国大統領を歓待して行なった夕食会を含む九時間に及ぶ会談は華々しく、世界に向けてアピールしたが、これとは対照的に、日本の安倍首相との会談は両国の国旗を掲げることもなく、わずか二十五分という極めて短い会談とも思えない会談で、握手の表情も硬く、テレビ映像等を見る限り、その落差はあまりにも酷く、唖然とさせられる印象があった。
「やらないよりはよかった」という意見が大半で、習国家主席のつれない表情は自国民に向けたものとの観察もなされているが、日本にとって、この会談は極めて後味の悪い結果に終わったと言わざるを得ない。けれども、日本は和を以って進むという理念の国において、ここは一歩身を引く大人の客人としての辛抱が必要なところなのであろうことが思われた。
この後味の悪さは、政治家の駆け引きを越えて国民感情的に尾を引くことが思われる。あの両首脳の握手の模様に両国民はより一層相手国に対する心証を悪くしたのではなかったか。また、あの握手の光景がほかの国にどのように映ったかということも気になるところである。あの場面は当分忘れられない光景として当事国の国民には残ったと思う。この件があったからでもないが、個別会談に九時間も費やした米中という大国について私たちは今少し勉強し、考えなくてはならないということが思われて来る。で、独りよがりと言われるかも知れないが、ここに少々私見を交え、両大国の考察をしてみたいと思う次第である。
米国と中国は極めて対照的な国で、一口に言えば、米国は求心的な国であり、中国は遠心的な国と言える。この相違は、国の生立ちからも、思想における国としてのものの考え方からしても言えることで、その両国陣営の接線上に位置する日本などはこの両大国の求心と遠心の間の剣の諸刃のような位置状況にあって、影響を顕著に受けていることがうかがえれるのである。
対照的なこの米中の違いについては徐々に触れたいと思うが、一点だけ最初にあげておいた方がわかりやすいので、まず、その違いに因を及ぼすところの概要を示しておきたいと思う。それは、両国のものの考え方に違いがあるということである。即ち、米国が国の歴史において、デカルトの近代哲学を基本にした理性主義的なものの考え方による合理主義的やり方をもって国並びに国民のあり方を示して来たこと。これに対し、中国はその歴史において、道教や儒教をはじめとする漢民族を中心に置く考え方、つまり、中華思想によって国を治めて来たことがある。この思想の違いが影響し、求心と遠心に現れているように思われる。 写真左は米国の星条旗、中は記者会見に臨むオバマ大統領と習国家主席(テレビの映像による)。右は中国の五星紅旗。 ~ 続く ~