![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/5b/4d489f8895675bc8aa1d71fe9aa912c7.jpg)
どちらも岐阜産のお箸で、飛騨の春慶塗りです。上は金森宗和が考案したと言われる宗和箸。春慶塗りは、漆器の中でも特徴のある透明うるし。飛騨の匠の伝統工芸です。素材を木材の王者といわれる木曽ヒノキ(曲物はサワラ)に求め、生地に透き漆(すきうるし)をかけ、琥珀色に塗り上げ、天然の木目の美しさをそのまま生かしています。春慶塗は慶長12年(約400年前)、当時の高山城主重頼の長兄、金森重近公(号宗和)の時代、木匠高橋喜左エ門、塗師成田三右エ門によって蛤形の盆が作られ宗和公に献上されたのが創まりです。
微妙な光と影がおりなす艶、妖しいまでに美しい繊細な色調に魅せられた公は、茶道の名器“飛春慶”にあやかり春慶塗と命名したと伝えられています。
初期のものには、膳、盆の類が多く、江戸末期から明治初期に至って重箱など角ものや茶道の水指し、水つぎなどの曲物が出現し、線と円とで立体的な美しさを満喫させてくれる作品が生まれるようになりました。(飛騨高山春慶会館HPより)
お箸は中国から韓国を経由して日本に伝わりましたが、日本のお箸が最も使い易いです。中国製は象牙で造られ長すぎて重いし、韓国製は金属製で、冬冷たくて滑りやすいし・・・
軽さと使い心地のよさは、日本の利休箸にはかないません。宗和箸は、その形を踏襲し、一部を残して漆が塗ってあります。下は普通の春慶塗りのお箸。
なお、箸置きは、これも飛騨高山産の渋草焼。
微妙な光と影がおりなす艶、妖しいまでに美しい繊細な色調に魅せられた公は、茶道の名器“飛春慶”にあやかり春慶塗と命名したと伝えられています。
初期のものには、膳、盆の類が多く、江戸末期から明治初期に至って重箱など角ものや茶道の水指し、水つぎなどの曲物が出現し、線と円とで立体的な美しさを満喫させてくれる作品が生まれるようになりました。(飛騨高山春慶会館HPより)
お箸は中国から韓国を経由して日本に伝わりましたが、日本のお箸が最も使い易いです。中国製は象牙で造られ長すぎて重いし、韓国製は金属製で、冬冷たくて滑りやすいし・・・
軽さと使い心地のよさは、日本の利休箸にはかないません。宗和箸は、その形を踏襲し、一部を残して漆が塗ってあります。下は普通の春慶塗りのお箸。
なお、箸置きは、これも飛騨高山産の渋草焼。
少しばかり ご無沙汰致しておりました
素敵な お箸 2種類 拝見しました
日本人は お箸 ただ2本の木を 見事なまでに芸術品に仕上げてしまうのですね
漆器のことは よく知りませんが 日本人はいろんなところで これを使って 素晴らしいものに作り変えています 実は昨日 ある会合で 京都の南にある
石清水八幡宮の見学に参加させて頂き 本殿やその周りの 見事なまでの 漆加工を見せて頂きました
「平成の大修造」が ほぼ出来上がっていました
28~36工程にわたる漆塗りの 柱や桁など 3年間掛かっての大工事だったそうです 漆の底深い色調に魅せられていました
家では最近取り替えたんですよ
やはりまだなれないでいます
漆は英語でも「ジャパン」と言われるほど海外でも認められている工芸だと思います。
石清水八幡宮の昨日の見学部分は 撮影禁止でした
ので 折角カメラを持参したのに 1枚も撮れていません 外部の楼門や外拝殿はokだったのですが撮っていません またの機会にupさせて頂きますので
お待ち願います 悪しからずご容赦の程を
三勅祭(賀茂・石清水・春日)の特集が出来れば良いなあと思っていますが 何時になりますか
三勅祭(賀茂・石清水・春日)についても存じませんのでいつか特集される日を待っています。
以前お茶会で春慶塗の茶器(棗でも茶入れでもなく「大海」とよばれて棗より少し大きく、少し平べったかったと思います。)を拝見したことがあります。
吉野町窪垣内は和紙の里で今も手漉きの和紙を漉いておられ、「漆濾し濾紙」を漉いておられる工房を見学したことがありますが塗物の漆に不純物が混ざらないように濾すそうです。春慶塗にも吉野の和紙が使われているかも知れませんね。
菓子皿もいつかupしたいです。
その棗は平棗だと思います。茶会で使ったことがあります。
飛騨へ行くのにはここからはワイドビュー飛騨で2時間です。新幹線で名古屋から東京へも2時間ですから、飛騨より東京に出る方が多く、飛騨へは何年も行っていなくて春慶会館も20年くらいご無沙汰で、春慶の製作過程も忘れてしまいましたが、多分吉野和紙より地元の美濃和紙を使っていると思います。