つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

岐阜空襲

2005-07-09 | 岐阜県
 昭和20年7月9日は岐阜市が空襲に見舞われた日です。800余の人が亡くなられました。市内が中心でしたが、中心から外れた各務原市も爆撃を受けました。夫の恩師M先生が軍の仕事をされていたK重工にも落ちたそうです。先生の間近に着弾し、物凄い風圧で、耳と目を抑えていなければ、鼓膜は破れ、眼球は飛び出していたかもしれないほどだったようです。
 不運なことに、誤爆で落ちた焼夷弾で隣町の笠松町の少年が直撃を受け、無残な死に方をされた例もあります。7/12は愛知県一宮市を爆撃する予定だったのに、空が曇っていて下が見えず誤って岐阜県に少し落としてしまったようです。 合掌
(2006.5.14に追記 写真はヒメリュウキンカ)

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2 コメント

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Unknown (agunesu)
2005-07-09 21:52:05
20年7月9日 私は滋賀県に疎開してました。学校も閉鎖され、不安な時が流れていました。父も徴用で軍需工場に毎日通っていました。あちこちで悲劇が起こっていたのですね。その犠牲のもとに現在の自分たちがあることを思うときその方々の無念さを無駄にしてはならないとの思いが胸に広がります。
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はるかな記憶 (matsubara)
2005-07-09 22:13:13
agunesuさん、コメントありがとうございます。

疎開先が岐阜でなくて、お隣の滋賀県でよかったですね。

私は3歳でしたが、4キロ離れた岐阜市の空が真赤であったことを記憶しています。怖くて外に出られず、窓から見ていました。

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