つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

古文書の先生から

2021-08-16 | 岐阜県

 人を介して頼んでいた室町時代の古文書を解読して下さった西村先生から、このほど「素描集」を頂きました。これに関しては昨年1/21にも書いています。岐阜新聞に書かれていたコラムを纏めたものです。バックナンバーには、渡辺元岐阜県総合医療センター長の記事もあり、本人から頂いています。岐阜新聞は、100年以上の歴史があり、かつては岐阜日日新聞と言う名称でした。渡辺家から頼まれていた当町の足利氏からの文の解読を、ようやく形に出来て感謝でした。先生は岐阜市博物館古文書講座で指導されています。

 二ヶ月ずつ纏めてあり、これは最新のものに近く2020年9-10月の第259集。渡辺先生は第190集。故人となられた元岐阜県歌人クラブ会長の小瀬洋喜先生は、第83集です。題字は古田肇県知事によるもの。

 西村先生の記事の中でも興味深いのは、明智光秀生存説。これは他の人からも聞いていることですが、信長を討ち取った後、豊臣軍に誅殺されたと表向きには、伝えられていますが、実は殺されたのは影武者。岐阜の山県市に戻り名前を荒深小五郎と変えて、関ヶ原の戦いまで生き延び、関ヶ原合戦に行く途中で亡くなったという説です。東軍の家康側につき、参戦するとき、増水の川で水死。その中洞という地に葬られ、桔梗塚と呼ばれる塚が建立されました。光秀生存説は、尾張藩主が1703年ころ書いた、「塩尻」という随筆集にも書かれているという。


 ところで昨日、高校野球岐阜代表の県立岐阜商業は、善戦空しく、一回戦で敗退しました。対戦相手は高知の明徳義塾。どちらも好投手で、接戦。息詰まるゲームでした。8回に2:2の同点になりましたが、9回裏に得点されて、3x対2。サヨナラ負けで、本当に惜しかったです。野崎投手はお家の方を少し知っているので応援していました。3日間も雨で伸びたのが悪かったのかしら・・・

 今朝5時過ぎと、8時ころに地震がありました。先のものは震度3。震源地が揖斐川町。そこに住む友人の話によれば、ドーンと大きな音がしたそうです。

 

 

コメント (2)
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