つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

島原の子守歌

2009-05-14 | 国内旅行
 森秀男先生の版画展の後期展示(前期は4/15にup)を見に行きました。前回は余部鉄橋の版画を頂きましたが、今回は島原駅の前に立つ子守歌の像をお願いしました。この作品はある展覧会で入賞されたもので、先生も子供のころおんぶされた思い出があり、お好きらしいです。島原の子守歌のことを少し調べました。(作品展は5/31まで)

 おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の
 梨の木 育ちよ
 何の梨やら 何の梨やら
 色気なしばよ しょうかいな
 はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ
 鬼(おん)の池ん 久助(きゅうすけ)どんの 連れんこらるばい

(戦時中下のように一時改作されてしまったことがありました。 
  征くときゃ 兵隊さんで 征くときゃ 兵隊さんで  
  帰りは 仏よ
  諫早 トンネル越しゃ 諫早 トンネル越しゃ
  桐の 箱ばよ しょうかいな
  泣けよ 泣け 泣け 泣けよ 泣け 泣け)

 この子守歌は、邪馬台国研究の著作もある宮崎康平という人が戦後に作詞した民謡。早く寝ないと、天草の鬼ノ池の久助に連れて行かれて、「からゆき(唐行き)さん」として売られてしまうぞ、と歌っています。からゆきさんとは、明治のころ長崎県や天草地方ほか各地から東南アジア方面などへ出稼ぎに渡った娘たちのことで、多くは娼婦となったらしいです。子守歌ではありますが,「からゆきさん」へのレクイエムとも受け取れます。
 貧しい家の娘が必死で生活しながら子供をあやすけなげさ・・・
色気が無いから,私は外国に売られる心配はいらないと安心していたのでしょうか・・・  
コメント (4)
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