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未唯への手紙

未唯への手紙

未唯宇宙目次 9.環境社会 9.1~9.4

2017年01月08日 | 3.社会
9,1 環境問題

 人口問題

  少子高齢化
   ①課題は何か
   ②個人と国家
   ③少子化問題
   ④高齢化問題

  社会格差
   ①自由と平等
   ②地域格差
   ③社会保障
   ④資本主義の限界

  多くの人がいる
   ①多いことが問題か
   ②所与の社会
   ③個人の能力
   ④幸せに生きる

  コンパクト
   ①共有意識
   ②凝集生活
   ③生活を変える
   ④生きる目的

 エネルギー問題

  原因と結果
   ①CO2増加で温暖化
   ②温暖化でCO2増加
   ③環境問題の本質
   ④有限であること

  自然エネルギー
   ①新たな課題
   ②クリーン
   ③食糧問題に転化
   ④暮らし方の問題

  資源の枯渇
   ①消費という意識
   ②レアメタル戦略
   ③都市鉱山
   ④お互い様の世界

  国の方針
   ①ドイツは石炭
   ②日本は原発固執
   ③EU指令
   ④米国はシェール

 循環しない

  廃棄物処理
   ①埋めるか、燃やす
   ②後進国に回す
   ③産廃業者の飯のタネ
   ④消費者は捨てる

  リサイクル
   ①循環していない
   ②分別は無意味
   ③シェア発想
   ④発生源に戻す

  静脈から心臓
   ①末端は消費者
   ②消費者からメーカー
   ③廃棄物の根絶
   ④生活者から循環

  高齢者処理
   ①老人を処理
   ②死んでいくだけ
   ③人生の静脈系
   ④循環するもの

 集中から分散

  原発は集中
   ①集中して分配
   ②リスクより効率
   ③政府は思考停止
   ④政府責任で稼働

  集中と分散
   ①集中は非効率
   ②向かう道
   ③生活は分散
   ④シェールは環境破壊

  地産地消
   ①地域で選択
   ②生活者に対応
   ③効率的な分散
   ④生活とエネルギー

  自律分散
   ①スマートセンサー
   ②コミュニティ
   ③融合
   ④シェアでコスト減
9,2 多様化

 国民国家

  自由と平等
   ①自由を保証
   ②多様な国民
   ③平等の脆弱性
   ④国民に均一要求

  国に依存
   ①与えられた独立
   ②民族幻想
   ③国民の統一感
   ④考えない態勢

  集中して分配
   ①集中は非効率
   ②分配は限界
   ③社会保障
   ④国は企業に依存

  地域は多様
   ①地域の自主性
   ②地域は自律分散
   ③複合的な国家
   ④新しい国つくり

 地域の活性化

  地方自治
   ①フライブルグ
   ②参加型コミューン
   ③公共図書館が先行
   ④重点項目を決定

  地域の活動
   ①ハメンリンナ
   ②環境学習設備
   ③エネルギー戦略
   ④丁度いい大きさ

  共有意識
   ①互いを知る
   ②私対私たち
   ③チームで分化
   ④地域インフラ

  変革の実験
   ①ゲームから活動
   ②公民学連携
   ③格差を克服
   ④コンパクトな施策

 市民の覚醒

  自ら求める
   ①分配の限界
   ②ガバナンス
   ③市民生活の破綻
   ④多様な動き

  市民の分化
   ①情報共有で多様化
   ②変革の伝播
   ③国民国家から離脱
   ④周縁から変化

  コミュニティ
   ①NPO再生
   ②新しい行政と協働
   ③人的資源を集中
   ④グリーン雇用

  多様な活動
   ①自律分散
   ②高度サービス
   ③マーケティング
   ④行政の開放

 市民から変わる

  全体を考える
   ①内なる世界
   ②全体を知る努力
   ③意見を述べる
   ④議論する環境

  先を見る
   ①役割を認識
   ②将来の姿を想定
   ③今やること
   ④ICTの活用

  政治に提案
   ①政治はサービス
   ②政策を抽出
   ③新しい常識
   ④社会の革新

  配置する
   ①チーム集合型
   ②配置と循環
   ③多様な意見
   ④複合政策を提案

9,3 グローバル化

 国を超える

  国境の意味
   ①移民の存在
   ②国境なきムスリム
   ③国民国家とEU
   ④アフリカの参画

  超国家と市民
   ①超国家で統合
   ②国は個別最適
   ③市民は自由と平等
   ④市民の覚醒が前提

  ポスト・アメリカ
   ①アメリカの時代
   ②新帝国主義
   ③超国家に移行
   ④国民は米国中心

  新経済理論
   ①グーグル・アマゾン
   ②ニューエコノミー
   ③地政学の限界
   ④北欧の実験国家

 ローカル日本

  経緯
   ①追いつき、追い越せ
   ②工業立国
   ③ローカル意識
   ④最後までローカル

  状況
   ①集団的浅慮
   ②ガラパコス
   ③企業任せ
   ④武器は平和なの

  EUは先行
   ①価値観の異なる国
   ②EU指令
   ③人口減少に移民
   ④女性の活用

  各国状況
   ①北欧は地域自立
   ②ロシアはエネルギー
   ③南欧はEU敵視
   ④東欧は民族問題

 選択肢

  考えていない
   ①思考停止状態
   ②共有意識の喪失
   ③国民の依存体質
   ④変化しないリスク

  このまま
   ①意思決定できない
   ②憲法改正で原爆所有
   ③少子高齢化が加速
   ④モノつくりの幻想

  アジアと共に
   ①適正な意思決定
   ②日本海同盟
   ③アジアを共有
   ④日中韓が核

  世界の盟主
   ①クルマ社会で実験
   ②環境社会を実現
   ③コミュニティ立国
   ④社会モデルを提示

 世界の情勢

  国家連合
   ①世界政府はムリ
   ②国を価値観でつなぐ
   ③独立性は維持
   ④超国家の役割

  EU・地中海
   ①EUは独仏中心
   ②中欧・東欧は対露
   ③トルコ中心の地中海
   ④ロシア中心の北極海

  インド洋・シナ海
   ①印・インドネシア
   ②アフリカは観光資源
   ③イスラエルは単独
   ④中国は分裂、再集結

  アメリカ大陸
   ①米国は大陸限定
   ②中米は米国に付随
   ③カリブはキューバ流
   ④ブラジルは独自
9,4 サファイア循環

 配置で循環

  地域から循環
   ①クライシス
   ②値域主体
   ③地域に希望
   ④内部から配置

  外部エネルギー
   ①国を超える働き掛け
   ②経済圏の統合
   ③大きな変化
   ④アジアと共存

  エントロピー
   ①根源から治癒
   ②エネルギー対応
   ③超国家に働きかけ
   ④地域コミュニティ

  循環へのキッカケ
   ①少子高齢化
   ②経済成長低下
   ③危機意識
   ④限界のアピール

 内なる思考

  生活者主体
   ①消費者から離脱
   ②ライフスタイル
   ③思考で行動を規定
   ④パラダイム変革

  多様な知恵
   ①環境意識
   ②様々な興味
   ③地域に適応
   ④地域政策を展開

  核となるもの
   ①ガバナンス
   ②町つくり
   ③市民協働
   ④公共空間

  コンパクトに
   ①行政依存から脱却
   ②地域インフラ
   ③交通体系の再生
   ④市民主体

 内なる行動

  内部エネルギー
   ①ソフト活用技術
   ②女性中心の経済
   ③技術のソフト化
   ④グーグル戦略

  高度サービス
   ①六次産業
   ②容易なインフラ
   ③寄り添うサービス
   ④周縁から中核

  配置から近傍
   ①地域インフラ
   ②企業の地域展開
   ③インフラ共有
   ④新しい公共

  思考をカタチに
   ①行動する場
   ②人工知能の活用
   ③スマートグリッド
   ④エンパワーメント

 全体企画

  配置構造
   ①市場バランスは破綻
   ②新自由主義の制御
   ③欲求と支援
   ④配置に転換

  分配から循環
   ①一律分配は不可能
   ②分配負担の限界
   ③端と先端をつなぐ
   ④先を見て、考える

  市民を配置
   ①やる気と希望
   ②民主主義を超える
   ③覚醒が前提
   ④内から外へ伝播

  市民を強くする
   ①先人の夢を実現
   ②知識と意識を拡大
   ③市民の思い
   ④絆という強みと弱み

疎外感から独我論に移行

2017年01月08日 | 1.私
サファイア循環

 第9章のメインはサファイア循環です。これは何を意味しているのか。

 サファイアは販売店システムのネットワークを構築する時に作られた概念です。何という名前にしようかと迷った時に、パートナーの誕生石を聞いた時に、9月生まれのサファイアであったことから命名した。サファイアという名前ができてから、後に解釈を考えた。

 サファイアを分解して、サ:サスティナブル(持続可能性)、ファ:ファシリテーション(支援する)、イ:インタープリター(提案する)の三つを入れたかった。最後のアが思いつかなかった。当時の室長の正月休みの宿題にした。

 正月明けに出てきたのは、国際的な展開を考えて、カタカナから英語表記にする。その歳に宝石のサファイアは難しい綴りなので、Sa-fireの造語にする。発音は一緒とのこと。S、f、iは同じで、r:リアライゼーション(創り出す)、e:エンパワーメント(勇気づける)と当て込んだ。持続可能性を保証する4つのキータームが揃った。偶然とは思えなかった。

循環が何を意味しているのか。

 元々はLocalとGlobal、ThinkとActはEUの方針であるTGAL={Think Globally, Act Locally}を因数分解して得たモノです。

 それから、組み合わせた4つの空間を作り出し、それらを循環させた。その間に4つのファンクションを規定した。その一つのインタープリターが当てはまったのには、ビックリした。

 local ActからGlobal Thinkに行く機能がインタープリテーションです。それはEUのTGALの逆方向のALTGであった。これによって、4つの空間の間に循環ができると同時に、EUの方針の限界も見えてきた。

配置に循環を加わった

 頭の中心には、配置の考えがあった。これはトポロジーから出てきたモノです。デカルトのように座標から始まるのではなく、点から始まる世界です。

 「次元の呪い」から脱却するために、トポロジーができたように、ハイアラキーから配置の世界に移行させることを考えている。それらの全体図として、サファイアを規定します。個々の点が生きて、全体を生成する概念です。

 併せて、機能も作り上げた。サファイアネットワーク上に、ポータルとコラボレーションをシステム化して、サファイアシリーズとしました。

疎外感から独我論に移行

 同時に、その時点で阻害を感じました。自分が考えているレベルと皆がやっているモノがあまりにも違っていた。全く、全体像が理解されていない。分かったのは、皆が自分のことしか考えていないということ。これは名古屋全体に言えることだった。

 独我論に向かったのも、その感覚からです。どう考えても、この結論になるのに! 自分の枠から出てこない連中とは一緒に行けない。先に行くしかない。先に行って、自分にとって、明確な答を見つけ出そう。それは自分の答であって、皆の答は皆が考えればいい。その時点では取り返しが付かないでしょうけど。

リサイクルは循環していない

 第9章のテーマは循環していない社会を示すことです。だから、サファイアがメインテーマになっている。これは環境問題の一番最初に出てきます。廃棄物とかリサイクルという言葉を使っているけど、循環しさせるつもりもないみたいです。ていない社会です。

 循環というのは、一番下から一番上に上げることが必要です。上から下へは勝手に移動します。

 モノの流れでいうと、末端ユーザーからメーカーの企画に上げることが出来て始めて、循環します。一つ前の行程に戻すのはフィードバックです。フィードバックでは原因に届かない。結果が原因になってしまう。そこに、サファイアが生まれたことの意味があります。

OCR化した本の感想

 『この1冊でわかる世界経済の新常識2017』

  シェール革命がエネルギー価格下落のインパクトを引き起こした。どう見てもロシアを狙って行なった。その結果はプーチンの延命と中近東への侵出を招いた。

  大統領選で浮き彫りになった国民の不満がポピュリズムを招きつつある。自国の権利だけを見ることは国家では許されるかもしれないが、超国家では不可能。どういう結果になるかは今年中に判明する。その時点では遡ることはできないでしょう。

  ヨーロッパは様々な様相を示している。移民急増問題に揺れる北ヨーロッパ、EUの厳格な財政規律に反発する南ヨーロッパ、独自路線を模索する東ヨーロッパ、独仏が主導するEUに未来はあるか。何かつながっていますね。

 『暴露の世紀』

  暴露に対する正義。全体を考え、先を見て時の判断を優先したい。権力に甘えは許されない。配置されたモノがつながる世界を見てみたい。

 『新国富論』 これが都市と地方の役割分担? 何をなすのか?

  高齢者の地方移住を第一の目標とする方が地方創生に利するとする見方がある。地方の地代の安さにより、高齢者医療や介護サービスに関連するヘルスケア産業は地方が比較優位を持つ産業であると言われる。高齢者の地方への移住が進めば、ヘルスケア産業の需要者が増えるために、その需要を補うように働き手である若者への雇用が増加する。また、その賃金も増加する効果があるだろう。このような地方への高齢者移住は、ヘルスケア産業の活性化を通じて若者の移住誘因ともなりえることから、地方の人口を増加させる点、経済発展の観点からも地方創生の有効な手立てとして考えられている。

地方創生の持続可能性

2017年01月08日 | 5.その他
『新国富論』より 地方創生の持続可能性--新国富における健康資本の活性化

地方創生の持続可能性条件

 地方創生に向けて、出生率の改善を見越して若者の東京から地方への移住を促進する政策が始められている。しかし、若者が地方に移住したところで雇用機会が限られており、当初の目論見が達成される可能性は低い。つまり、地方移住への誘因がないことが問題なのである。一方で、八田(二〇一五)が指摘するように、高齢者の地方移住を第一の目標とする方が地方創生に利するとする見方がある。地方の地代の安さにより、高齢者医療や介護サービスに関連するヘルスケア産業は地方が比較優位を持つ産業であると言われる。少し詳しく説明すれば、ヘルスケア産業では介護・医療施設が必要であり、また高齢者の移住には当然、住居の取得が必要であり、土地が安いことがヘルスケア産業の生産性の高さに繋がるのである。さらに、高齢者の地方への移住が進めば、ヘルスケア産業の需要者が増えるために、その需要を補うように働き手である若者への雇用が増加する。また、その賃金も増加する効果があるだろう。このような地方への高齢者移住は、ヘルスケア産業の活性化を通じて若者の移住誘因ともなりえることから、地方の人口を増加させる点、経済発展の観点からも地方創生の有効な手立てとして考えられている。では、経済発展だけではなく、その持続可能性はこの政策で向上するのだろうか。

 新国富論の枠組みで、高齢者の地方への移住が新国富指標に与える影響と、それが持続可能となる条件を検討してみたい。地方の人口が増加するだけで、確かに人的資本の総額は増加するが、高齢者層が増大することで、平均的な一人当たりの健康資本ストックは低下するだろう。また、ヘルスケア産業の発展とともに若者の移住も同時に進んだとしても、高齢者と若者が等しく増加し、人口構成上で若年層の割合が増加しないのであれば、同じことである。そのため、一人当たりの健康資本額自体は現状から改善されるわけではない。ただし、ヘルスケア産業の発展により、長生きすることによる生産性の向上(健康資本のシャドウ・プライスの増加)が予測される。そのため、健康資本ストックの減少に対して、それを補うようにシャドウ・プライスを増加できれば、一人当たりの健康資本額も増加するだろう。

 新国富指標を用いた持続可能性の判定では、健康資本だけでなく、その他の資本の増減も合わせた包括的な成長率が用いられる。そのため、仮に健康資本額が増加しなくても、他にも人工資本、自然資本への影響を合わせて一人当たりの新国富指標ヘプラスの影響が出ればいいのである。そこで、人工資本と自然資本への影響を検討してみよう。地方に移住した高齢者のための病院や介護施設などの医療設備、住宅への投資により、それらの資本を内包する人工資本は増加する(ただし、それは中央政府などの地域外からの投資があった場合であり、地域内の財源で投資する場合、要は自治体自身で負担するときは、他の資本を現金化して、それを投資することになるため増加しないだろう。これは重要な問題であり、次項で検討するが、ここでは国が投資すると考えて読み進めてもらいたい)。一方で、その人工資本の増加に伴い、森林や農地の減少が起きるのであれば、その自然資本の減耗も発生するだろう。たとえば、人口増加率以上に人工資本が増加するように大きな投資を行い、また遊休地を有効利用するのであれば、人工資本と自然資本へのこの政策の影響はプラスとなるだろう。このように、新国富論の枠組みを用いることで、ヘルスケア産業の発展と、福祉施設向けの遊休地の有効利用を合わせて行うことが持続可能性の条件になることが統合的に理解できるのである。

地方創生への課題

 前述の地方創生に向けた高齢者の地方移住の持続可能性を担保する上で障害になりそうなのは、人工資本への大きな投資であり、その財源を地方が確保しなければいけない点である。現状、地方自治体が高齢者施設整備計画に合わせて積極的に医療設備を建設しているわけではない。その要因は、医療設備設置後の医療費負担が自治体に課せられていることにある。特に高齢者が加入する国民健康保険においては、自治体が医療費の七割を負担し、さらに低所得の75歳以上の高齢者に対しては九割を負担することになっている。このように自治体負担が増えるにもかかわらず、高齢者から見込まれる税収は限りがあるため、地方自治体は及び腰になるのである。この現状を打破するための制度修正として、財源を国保加入者数に応じて国が確保し、その額を超える分については自治体負担にするという「モデル給付型」国庫負担制度などが提案されている(詳しくは八田(二〇一五)、鈴木(二〇一五)を参照のこと)。この制度化では、高齢者の多い自治体の財務状態を改善させるほかにも、過剰な病床を確保している地方の適正化が見込めるなど、制度として優れているように思われる。制度の実際のあるべき姿に関しては本書の射程を超えるため立ち入らないが、このような抜本的な医療制度改革は地方創生の持続可能性の面でも重要であろう。

 他方で、このような制度改革には時間がかかることを考えれば、現状の人口構成と人口移動傾向が継続するとして、健康資本ストックを増加させる施策も必要であろう。その一つの方策として、人工知能の有用性を最後に指摘したい。ドローンが在宅介護や僻地への救急医療への手段として提案されているが、高齢者介護として利用されることで余命の延長効果が期待される。また、待機児童問題への対応にも同様に利用可能であり、物理的な児童向け施設の代わりに人工知能が活用されることで、出生率の向上が見込まれ、健康資本ストックが改善するだろう(平成二七年度版情報通信白書を見ると子育て支援ロボットには抵抗を感じる人が多いが、選択制ではどうだろうか)。もちろん、このような人工知能の開発への研究投資は国負担で行われるべきであり、また時間もかかるだろう。しかし、医療制度の整備に合わせて、人工知能の医療、介護、育児分野への応用も複合的に行っていくことが、地方創生のために重要なのである。

「正義」のための暴露

2017年01月08日 | 2.数学
『暴露の世紀』より 「暴露の世紀」とは何か

「つながりの世紀」の負の側面

 自らの電子メール問題で苦しめられたヒラリー・クリントンだが、国務長官を辞した後に出版した回顧録『困難な選択』ではインターネットを高く評価している。特に、長官在任中に起きたアラブの春に注目している。インターネット、わけてもソーシャルメディアのおかげで、市民や地域の組織は従来になかったほど、情報に触れ、声を上げることができるようになった。アラブの春で目にしたように、いまや独裁政権ですら市民の感情には留意しなければならなくなった。

 彼女のスタッフのひとりで、ヒラリー在任時に国務省の政策企画本部長を務めたアンーマリー・スローターは、「つながる者だけが生き残るだろう」と述べている。現代においてパワーを測る尺度は「接続性」に他ならず、その点で米国は明白かつ持続可能な競争力を持つ。戦争、外交、ビジネス、メディア、社会、宗教までもネットワーク化されているからである。しかしながら、本書の冒頭でも述べた通り、トランプ陣営に比してクリントン陣営は「つながり」を使い切れず、大統領選で敗れてしまった。

 つながらなければ生きられないとしたら、つながった世界でより良く生きる方法を考えるべきだろう。「暴露の世紀」は「つながりの世紀」でもある。つながったITはさまざまな情報を交換し、共有し、そしてネットワークの隅々まで情報を届ける能力がある。デジタル化された情報は複製しやすく、保存の場所もとらない。バラバラのパケットにしてネットワークに放り投げれば、到着したところでまた元の姿に戻る。

 この強力なツールを正義のために使う人たちが出てくるのは当然である。無論、正義はいろいろなところにあり、立場によって異なる。自己保身を優先させる人もいれば、組織を守ろうとする人も、国の大義に賭ける人もいるだろう。宗教的な信条に身を捧げる人もいれば家族を最優先にする人もいる。あるいは仕事に生きる人もいるだろう。それぞれの人にとって、その時々の正義は変わる。その正義のためにITが使われ、情報が暴露される。

 相手をおとしめるため、誰かの評判を傷つけるため、不正を暴くため、あるいは、本来の自分を取り戻すために計画的・意図的に情報は暴露される。あるいは、ミスや無意識の操作によって偶発的・事故的に暴露されることもある。あるいは敵のシステムを破壊したり、自分が優位に立ったりするために攻撃的・強奪的に暴露されることもある。いろいろなレペルで、多様なサイバーテロリズムが行われるようになるだろう。

 情報は権力の源泉である。知ることで自らの行動、相手の行動を変えることができる。暴露の脅迫は相手の選択を強制することができるだろう。あるいは、いつか暴露されるかもしれないという恐れは自らを律するということにもつながるかもしれない。

 ITは暴露を容易にしている。匿名で大量のデータを暴露できるようになったことで、我々の社会は変わり始めている。ますます秘密を隠しておくことが難しくなりつつある。それは、いずれは透明性の高い社会の形成へと貢献するかもしれない。しかし、それに至るまでの間にさまざまな暴露が行われる過程が続くことだろう。

 何よりも、人は秘密が好きである。そして、秘密を漏らすことも好きである。多くの人が秘密を守りきれない。噂はあっという間に駆け巡る。

自由と安全のジレンマ

 単なる噂話なら、人々の倫理の問題といえるかもしれない。しかし、国家安全保障の問題となると、ジレンマは深刻になる。

 国家安全保障に関わる問題が何もない世界ならば、プライバシーも自由も最大限尊重されるべきである。ところが、現代の世界はますます不安定で、危険に満ちあふれるようになっている。無論、冷戦時代には一触即発の核戦争の危機があった。その冷戦が終わった後、我々はつかの間の紛争の少ない時間を過ごした。しかし、それは遠い過去になりつつある。各地でテロ、内戦、国際紛争が続いている。東西両陣営が大きく対峙する世界ではなく、終わりの見えない争いが続き、サイバー戦争という新しい次元が加わりつつある。

 まだサイバー攻撃は人を殺していない。しかし、潜在的には可能であり、やり方次第では重要インフラストラクチャを破壊したり、環境を汚染したり、国家間の対立をあおったりすることも可能だろう。

 ますますコミュニケーションがデジタル化され、ネットワークを通るようになるにつれ、安全保障に関わる情報もそれを通るようになっている。テロリストたちはインターネットと携帯電話を駆使している。それが追跡されることを理解しながらも、それなしでは計画し、実行することはできない。

 安全という高価なサービスを提供しなければならない政府は、失敗すれば高い代償を払うことになる。なんとしても被害を出さないようにしようとすれば、必然的にネットワークの中に目と耳を持たなくてはならなくなる。ネットワークを悪用し、他者に危害を加えようとする者だけを簡単に選び出すことができれば良い。しかし、彼らは一般の人々の中に紛れ込んでいる。いつ、どこで姿を現すのか分からない。したがって、政府の目と耳は、結果的に無事の人々にも向けられることになる。

 誰もが目前に危機があれば、プライバシーを求めないだろう。戦場ではひとりで放っておかれるよりも仲間とともにいたいだろう。しかし、一見すると平時に見えるときに、人々がプライバシーや自由を求めることは無理からぬことである。いつ、どこで起きるか分からない危険に我々はどう対処したら良いのだろうか。

 そうした難しい業務に携わるのが各国政府のインテリジェンス機関である。しかし、スノーデンの告発にあるように、どうしてもプライバシーを侵害してしまう側面がある。独裁国家では、国家・国民を守るよりも先に独裁者を守るためにそうした機関が使われてしまう。

 民主主義国家において自由と安全のバランスはどうやってとるべきなのだろうか。「バランスをとる」と言うのは簡単だが、実行するのはきわめて難しい。人命に関わる事態が突発的に起きてしまえば、それがインテリジェンスの失敗なのは明らかだ。しかし、そうした事態がずっと起きないまま平和が維持されているとき、我々はインテリジェンス機関や警察、軍が成功裏に働いていると評価できるだろうか。彼らが我々の通信を覗いていることに耐えられるだろうか。

 人に危害を加えようとする人たちは、ますます自己暴露に慎重になり、姿を隠そうとするだろう。普通の人たちの秘密を守り、普通の人たちの間に隠れる危険な人たちの存在をいかに暴くかが、政府を悩ます情報社会の深刻な課題である。

暴露の世紀を生き抜くために

 かつての冷戦時代のスパイの世界では「ニード・トゥー・ノー」という言葉がよく使われた。知る必要性のある人だけが知っていれば良いという意味で、情報にアクセスする権限がない人はそうしてはいけないという意味にもなった。スパイの世界には秘密がたくさんあり、知る必要性のない人が知って漏れてしまうことを東西両陣営の政府は恐れていた。

 しかし、今は、「ニード・トゥー・シェア」が重要だという指摘が多い。シンガポールのIGCIの中谷総局長もそのひとりである。ニードートゥー・ノーはどうしても縦割りになり、誰が何を知っているのかも外部からは分かりにくい。その結果、必要な情報の共有が行われなくなる。米国の9・Uァロの際にもCIAとFBIとの間で情報共有が行われていないと糾弾された。今ではいかにして必要な時に情報共有ができるかという課題がインテリジェンス・コミュニティでは理解されている。

 ところが、さまざまな暴露で出てきた情報は、「ニード・トゥー・ノー」でも「ニード・トゥー・シェァ」でもない場合が多い。そもそも「ニード」とは関係ないことが多い。むしろ、本来なら知らないほうが幸せだったと思えるような情報も多い。知る必要も、共有する必要もなかった情報が出てきて、さらされてしまう。

 いわば「ライク・トゥー・シェア」とでも呼べる一種の規範がソーシャルメディアを通じて形成されつつある。共有したいから発信する情報が出てきている。これまでなら、今どこに誰といて何を食べているかという情報をリアルタイムで共有する手段がなかった。誰と会って食事をしたかという情報は、口伝てや手紙で伝えられた。しかし、今では、芸能人がレストランに現れると写真がすぐに撮られ、ソーシャルメディアで拡散してしまう。ファンが現場に飛んでくるということにもなりかねない。

 そうした情報には「ニード」はない。それを知らなくてはならない、あるいは共有しなくてはならない必要性はない。しかし、芸能人の写真を撮った人たちはそれを共有したくて仕方がない。自分がその場にいてその芸能人に会ったことをアピールしたい人たちが多い。さらには自分が何を食べ、誰といるかということを毎食ごとにさらさないと気が済まない。

 それはある意味では自分の幸福感のアピールであり、共有に対する欲求でもある。ツイッターでのリツイート(ツイートを転送されること)やファボ(ッイートに「お気に入り」マークが付けられること)は承認欲求を満たしてくれるものでもあり、フェイスブックのライク(「いいね!」というマークを付けてもらうこと)の数を競うことが日常になっている人も少なくない。

 いつの時代もさまざまな形の競争がある。武力を競うことが主だった時代、財力を競うことが主だった時代があった。今は影響力や魅力を競う時代なのかもしれない。かつては、影響力や魅力を測ることが難しかった。今はそれができるようになりつつある。

 いつの時代にもオピニオン・リーダーは存在する。しかし、それはごく少数の人に独占されていた。マスコミはその大部分を握ることができた。インターネットやソーシャルメディアはそのヒエラルキーをゆるやかなものに変えつつある。ブログやツイッターで影響力の大きいアルファブロガーやアルファツイッタラーの影響力は無視できなくなっている。

 しかし、たいていの場合は、ニュースヘのいち早いアクセスや暴露情報を競っている。マスコミがスクープを競っていた構造とそれほど変わらない。暴露情報を求めるのは、どこか人間の本質につながるのかもしれない。退屈な日常のスパイスとなるのがニュースであり、暴露情報である。新聞だろうとテレビだろうと、ツイッターだろうとフェイスブックだろうと、多くの人が毎日の習慣として何らかの情報を求めている。

 大規模かつショッキングな暴露は滅多に起きない。しかし、これからも起きるだろう。きっかけは何だとしても、秘密の暴露は他者を魅了することが多い。小さな暴露は日常的に起きることになるだろう。

 暴露によって傷つく人がいることも忘れてはならない。だからこそEUでは「忘れられる権利」が主張されるようにもなった。インターネットで暴露された情報はいつまでも検索エンジンの中をウロウロし、過去の暴露情報に悩まされる人も多くなっている。ましてそれが真実でなければ、過去にずっと傷つけられることになる。それは人の尊厳を傷つけることになる。

 現代における情報の暴露と拡散は、暴力と同じくらいに他者を傷つけ、精神的に追い込み、財力と同じくらい他者の行動を操作できるという点では、ひとつの権力にもなっている。暴露の脅迫は組織や人の選択を変えてしまうだろう。

 何も隠すことがない、恥じるところのない聖人にとっては何も問題ない。しかし、そうではない凡人は、自分の情報を積極的に管理し、守らなければ、暴露の世紀を生き抜くのは難しくなるだろう。

世界経済の新常識 独自路線を模索する東ヨーロッパ

2017年01月08日 | 4.歴史
『この1冊でわかる世界経済の新常識2017』より

結束する東ヨーロッパ

 もともと存在していたEUの南北という対立軸に、「東」という勢力が加わろうとしている。東ヨーロッパ諸国は旧ソ連の勢力下に置かれた社会主義国という共通の過去があり、ほぼ同時期に市場経済への移行を経験し、2004年以降にEU加盟国となった。当然ながら、EUの中では所得水準が低い国々という位置付けとなり、そのためEUの構造調整基金などの主たる受給者となっている。ただし、例えばユーロ導入という問題に関しては、束ヨーロッパ諸国の対応には温度差がある。スロベニア、スロバキア、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)がすでにユーロ圏の一員であるのに対し、ポーランド、ハンガリー、チェコなどはユーロ導入を急がない方針だ。

 その東ヨーロッパ諸国が、難民受け入れ問題を大きなきっかけとして、結束する動きが目立ってきている。まず、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキアの4カ国が共同歩調をとっている。この国々は1991年以降の地域協力の枠組みを踏まえて「ヴィシェグラード4カ国(V4)」と呼ばれているが、EUの難民受け入れ分担の方針に特に強硬に反対している。このうち、ハンガリーとスロバキアは2015年12月にEUによる難民割り当てを無効として欧州司法裁判所に提訴した。また、ハンガリーでは16年10月2日に難民割り当て制度を受け入れるか否かに関する国民投票が行われた。国民投票は投票率が50%に達しなかったため無効となったが、難民割り当てへの反対票は98%を超えた。

 なお、8月30日にはポーランド議会の呼びかけで、EUに加盟申請をしている国々や、今後の申請を検討している国々による国会議長の会談「ワルシャワ会議」が行われた。参加したのはアゼルバイジャン、アルメニア、ベラルーシ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、ジョージア、マケドニア、セルビア、モルドバ、ウクライナ、トルコとポ圭フンドの12カ国である。この会議の議題となったのは、これらEU域外の国々の議会とEU加盟国の議会との相互の協力強化と、そのために必要なEUの改革についてである。ポーランドの国会議長は、EUはかつてない危機的な状況にあり、早急に打開策を見つけて改めて連帯を強化する必要があるとして、会議に出席した諸国がEUに加盟することを支援すると約束した。

 これはEUがベルリンの壁の崩壊以降、推進してきた「東方拡大」をさらに推進する宣言とも読めるが、Brexitが選択された原因の一端は、EUが拡大を急ぎすぎたことにあるという指摘もある。04年から13年にかけて計13カ国が新たにEUに加盟したが、EU域内の移民の急増、EU基金で支援対象となる国々の急増などさまざまなひずみが生じている。さらにシェンゲン圏の急拡大で域内の物流は活発になったものの、域外との国境管理の困難さも増している。このため、Brexitという新しい問題への対処を優先させ、EU拡大はしばらく先送りするべきとの意見も出てきている。

リーダーはハンガリーとポーランド

 東ヨーロッパの中でも、ハンガリーのフィデスの党首でもあるオルバン首相は10年の就任以来、なにかとEUの方針に異議を唱える傾向が目立っていた。ここに巧年10月の総選挙で政権奪回に成功したポーランドの法と正義(カチンスキ党首)が加わって、東ョーロッパの存在感が大きく増した。法と正義はEUの難民割り当てに対する国民の不満が高まったことを追い風に単独過半数の議席を獲得し、8年ぶりに政権の座に返り咲いた。同党は05年から07年にかけて与党だった時にもEUとの対立が目立った。15年12月以降はメディアに対する締め付け強化や司法に対する介入強化などでEUから批判を浴びているが、意に介していない。

 もっとも、ポーランドにしてもハンガリーにしても、EU離脱を目論んでいるわけではない。両国にとってEUの一員であることは、EUの構造調整基金などから補助金を得られ、また巨大なEU市場に自由にアクセスすることができ、EU域内であればどこででも就業できるなど経済的なメリットが大きい。

 それ以上に重要なのは、ロシアという脅威に対抗する盾としてのEUの存在である。ロシアに対抗する軍事同盟としては北大西洋条約機構(NATO)が重要だが、そのNATOおよびEUのメンバーであることが、東ヨーロッパ諸国にとってロシアの支配下に再び戻ることはない保証となっている。難民問題ではEUとの対立の激しさが目立つV4だが、そのメンバーであるハンガリーとチェコは9月にスロバキアの首都のブラチスラバで開催されたEU首脳会議(Brexitへの対応が議題であるため、英国は不参加)で、EUの共通安全保障政策の強化を議題にし、各国の国防軍の協力強化、および将来的にはEU軍の創設を提案している。

EUは低成長で求心力が低下

 欧州各国でアンチ・エスタブリッシュメント政党が台頭している背景には、ここまで見てきたようにEUの難民政策、緊縮財政政策に対する不満や不信感が存在する(なお、当然ながら、北ヨーロッパでEUの緊縮財政政策を批判する人々もいれば、南ヨーロッパでEUの難民政策に反発する人々もいる)。自国政府ではなくEU官僚が物事を決めていること、あるいはEUでは大国主導ですべてが決定されていることに対する不満もあるだろう。

 より根本的な問題として、「欧州統合の推進」というEUの基本理念に対する不信感が高まってきていることが、各国でEU懐疑派の台頭につながっている。欧州統合を進めることで経済成長が促進され、雇用が創出されて、誰もが幸せになるというシナリオは説得力を失っている。このシナリオは関税同盟を完成させた1960年代までは非常に有効であった。70年代には欧州統合の気運は停滞したが、85年以降の欧州単一市場構築の取り組みによって再び盛り上がりを見せた。現在は金融危機・ユーロ圏債務危機の克服に手間取る中で、欧州統合を推進する新たな起爆剤が求められているが、それを見つけることはまだできていない。

 例えばEUは米国との自由貿易協定(FTA)である環大西洋貿易投資協定(TTIP)を起爆剤とすべく交渉を進めているが、貿易立国であるはずのドイツですらTTIPに反対するデモが拡大しており、EUの政策に対する不信感の高まりを示唆している。

 共有されている危機感と共有されていない解決策

 EU加盟国間でEUという組織が危機に直面しており、改革が必要という認識は共有されている。ただし、EUの問題点がどこにあるか、どのように解決するべきかに関してはコンセンサスができていない。難民問題にどう取り組むのか、財政健全化と経済成長をどう両立させるのか、EUの拡大と深化のバランスをどうとるのかなど対立軸はさまざまである。加えて、難民問題ではEUの方針に反対する東ヨーロッパ諸国が、安全保障問題になるとEU軍の創設を提案してEUとしての共同歩調を主張するなど、各国とEUとの関係も複雑である。

 70年あまりの統合の歴史を振り返ると、東西冷戦、オイルショック、アジア諸国の台頭などさまざまな危機に直面したときに、欧州はより統合を深めることで危機を乗り越えてきた。現在の危機をチャンスに変えるために、さらなる統合深化を目指すべきとの主張が出てくる可能性が高い。その過程で最も重視するべきなのは、EUの求心力を高めることである。例えばEU予算を拡充し、特に失業率の高い南ヨーロッパ諸国の雇用創出に役立てるなど、格差是正を目指す政策が考えられるが、実現には財政負担の増加に反対するドイツなど、北ヨーロッパ諸国を説得できるかがカギとなる。

 また、離脱を決めた英国とEUが、どのような関係を構築するかも重要となる。現在、英国とEUとの離脱に関する交渉がいつ始まり、どのような内容になるのかまったくわからない。英国はEU単一市場への自由なアクセスを維持しつつ、EUからの移民の流入に関しては制限したいと考えているようだが、EUはこの両者は不可分との立場である。EU側には各国のEU懐疑派を勢いづかせないために英国と強面で交渉しなければならないとの意見も散見されるが、英国とEUは相互に重要な貿易相手である。共倒れを招くような対立関係を長引かせるのではなく、新しいパートナー関係を築くべきであり、またその過程でEUのメリットをEU市民に大いに売り込むべきである。それが各国のEU懐疑派の勢力を弱めることにつながるだろう。

フランス史中世 十字軍の開始

2017年01月07日 | 4.歴史
『フランス史【中世】Ⅱ』より 十字軍の開始(一〇九五~一○九九年)

ヨーロッパとアジア、キリスト教とイスラム教という二人の姉妹は、当時の世界を二分しつつも、互いに相接することはなかった。それが、十字軍によってはじめて直接向き合い、互いを見つめ合うこととなった。最初の一瞥は恐怖のそれであった。彼女たちが互いを認識し、同じ人間であることを認め合うには、なにがしかの時間が必要であった。このとき、彼女たちがどのようであったかを評定し、その宗教としての年齢は何歳になっていたかを確定してみよう。

この両者では、イスラム教のほうが六百年も遅れて誕生したのに、すでに衰退期に入り、十字軍の時代をもってその一生を終えた。いまわたしたちが見ているイスラム教は、生命が去ったあとの抜け殻であり、影にすぎず、アラブの野蛮な相続人たちは、よく調べもしないで、それにしがみついているのである。

イスラム教はアジアの諸宗教のなかでも最も新しく、オリエントにのしかかっていた物質主義を免れるために最後の空しい努力をした。かつては、ベルシアも《光の王国》を《闇の王国》に英雄的に対峙させようとした(それがトルコ系諸族トゥランに対するイランの対決であった)が、充分ではなかった。ユダヤ教も、抽象的な神の単一性のなかに閉じこもって自己の内側に凝固してしまい、物質主義からの解放はこれまた不充分で、いずれも、アジアに救済をもたらすことはできなかった。マホメット(ムハンマド)は、このユダヤ教の神を採り入れ、「選ばれた民」から引き出して全ての人類に押しつけようとしたのであって、何かを生み出すことはできるはずもなかった。イスマイルが兄のイスラエルを超えることができたであろうか?・ アラビアの砂漠はペルシアやユダヤの地より肥沃になれただろうか?

〔訳注・旧約聖書において、イスマイルは、アブラ(ムが妻のサラに子ができなかったので、召使い女のアガルに生ませた子。その後、サラが身寵もって生んだのがイサク。イサクはイスラエルの民の祖であり、イスマイルは母アガルとともに砂漠に逐われてアラブ人の祖となったとされる。〕

「神は神なり」--これがイスラムの教えである。これは単一神の宗教であり、そこでは人間は消え失せ、肉は隠れてしまう。像に描かれることもなく、芸術もない。この恐るべき神は、自身の象徴に対してすら嫉妬深い。人間とも一対一であろうとする。人間は、この神によって満たされ充足していなければならない。肉親も家族も部族も、アジアの古くからの絆のすべてが断ち切られる。女性はハーレムに隠され、男は妻を四人、しかし、妾は無数にもつことが許される。兄弟間のつながりも両親との関係も無きに等しい。「イスラム教徒ヨロ色目S」の名前が、これらすべてに取って代わるのである。

家族のメンバーは、共通の名前も、固有の印も、永続性もなく、世代ごとに一新されるようにみえる。各人が自身の家を建て、当人が死ぬと家も死ぬ。人間は、人にも土地にも依存しないし愛着もしない。彼らは、孤立し、痕跡も遺さず、埃のように砂漠のなかに飛び散っていく。平等主義的でいかなるヒエラルキーも望まない神の眼からすると、彼らは、砂粒と変わるところがない。

そこでは、キリストのような《神人》という仲介者も全く不要である。キリスト教が天から投げ下ろしてくれた梯子、聖人たちや聖母、天使、イエスが神に向かって登っていったこの梯子を、マホメットは排除する。一切のヒエラルキーは消滅し、神のものと人間のものの区別もない。神は天の無限の奥に退くか、さもなければ地上にのしかかって自らの重みで押し潰す。わたしたちは無に等しい惨めな原子として乾いた平野に横たわる。

この宗教は、まさにアラビアそのものである。天と地があるだけで、その中間には何もない。天に近づかせてくれる山もなければ、距離を見誤らせる錫もない。焼けっく鋼鉄の兜のように、蒼暗いタイルの張り詰められた寫瀋が聳えているだけである。

だが、布教を目的として生まれたイスラム教は、この不毛の孤高のなかにとどまっているわけにはいかなかった。自らが変質する危険性と引き替えに、世界を駆け巡らなければならなかった。マホメットがモーゼから盗んだこの神は、ユダヤの山とかアラビアの砂漠では抽象的で純粋、畏怖的でありつづけることができたが、その神も、預言者の騎士たちによってバグダッドからコルドヴァまで、ダマスクスからスラット〔訳注・インド北西部〕にまで連れ歩かれるうちに、督月刀の回転によっても、彼らの本来の野性的熱情に火を付けることができなくなり、人間化していく。

わたしは、バラが咲き乱れ噴水に囲まれた楽園さながらのアルハンブラのハーレムは、イスラム教の峻厳さを根底から崩すものだと考える。この尊大な宗教は厳しく肉を呪誼したが、その肉が執拗に権利を要求しているのだ。追放された物質が形を変えて戻ってきて、あたかも主人として帰ってきた亡命者のように暴力をもって復讐するのだ。

彼らは女性を後宮に閉じ込めたが、彼らもその女性によっていっしょに閉じ込められるのである。ファーティマ〔訳注・ムハンマドの娘〕のために戦う彼らには《聖母》は要らなかった。彼らは《神人》を排除し、《受肉》をキリストヘの憎しみから排除したが、そのくせ、アリ〔訳注・ファーティマの夫〕の受肉を主張している。また、ゾロアスター教の「光の支配」の教義(マギ教)を非難しつつ、マホメットこそ「受肉せる光」であると教える。他の人々によると、アリがこの光であり、アリの末裔にして後継者であるイマーン(導師たち)は、その光線の受肉にほかならない。そのイマーンの最後の伝灯者イスマイルも、いまやこの地上から消え去ったが、彼の家系は知られざる形でいまも続いており、それを探し出すのが自分たちの義務なのだという。

エジプトのファーティマ朝カリフたちは、白分たちこそアリとファーティマの家系の目に見える相続人であるという。以前は、これらの教義は古代ペルシア帝国の東部山地で栄えていたが、そこでは、マギ教を窒息させることはできなかった。それが、八世紀から九世紀にかけて、イスマイル派と名乗る熱狂的な連中(カルマート宗徒)が剣を手に「見えざるイマーン」を求めアジアに広がりはじめた。このイスマイル派に対し、アッバース朝カリフたちは厳しい弾圧を加え、何十万人も虐殺した。そこで、エジプトヘ逃れた人々が、アッバース朝を打倒するために打ち立てたのがファーティマ朝だというのである。

神秘的なエジプトは、その古い秘伝の伝授を甦らせ、その秘密集会所《智恵の家》がファーティマ朝カリフたちによってカイロに建てられた。これは、狂信と学問、宗教と無神論の巨大で陰気な作業場である。このイスラム教の異端児たちの唯一確かな教義は、純粋無垢の服従であった。信者は、ただ導かれるままに自らを委ねることによって、九つの段階を経て宗教から神秘主義へ、神秘主義から哲学へ、そして、疑いと、さらには絶対的無関心へと進む。

その布教師たちは全アジアに広がり、バグダッドの宮殿にさえも浸透して、その破壊的な溶剤でアッバース朝カリフを浸した。ペルシアはずっと以前から、これを受け入れる用意をしていた。カルマートより以前、さらにはマホメットより前から、ササン朝〔訳注・西暦二二六~六五一年〕の最後の王たちのもとで、信徒たちに財産と女たちの共有、正義と不正義の対立の超越を教える宗派があった。

この教義が全き成果を生み出したのは、古いペルシアのカズビン(Qazinあたりの山地〔訳注・エルブールズ山の南斜面〕にその本拠を移してからであった。ここは、有名な皮の前掛けをした鍛冶屋カーウェや梶棒の一撃で水牛を倒した英雄フェリダンといった古代の解放者たちを輩出した地である。マホメット教におけるこのプロテスタンティズムは、こうした勇敢な人々の地に持ち込まれることによって、そこで民族的抵抗精神と結合し、彼らに《暗殺》という忌まわしいヒロイズムを吹き込んだ。

江戸の風俗 犯罪と刑罰

2017年01月07日 | 7.生活
『江戸の風俗事典』より 犯罪と刑罰

窃盗の罪

 落語の世界も、現実と同様に窃盗が多かった。窃盗とは、空巣、万引き、スリなど、他人の財物を窃取することである。「御定書」五六条には(手元にある他人の金を盗んだ場合は)「金子は十両以上、雑物は代金に積り十両以上は 死罪」とあり、一〇両以下は「入墨敲」の刑である。なお、「家内へ忍び入り、或いは土蔵破り候類金高雑物之多少に依らず 死罪」が科せられた。

  万年も年齢を保つ亀五郎

  たった十両で首がすっぽん

 一〇両盗んで打ち首になったという、江戸は霊岸島の長屋の左官、亀五郎の辞世という。

  ○戸明きの盗 「無人の盗」ともいう。

  これは五六条の規定に、後に但書として付記されたもので、「昼夜に限らず、戸明きこれ有る所、又は家内に人これ無き故、手元にこれ有る軽き品を盗取類 入墨之上重敲」と記された。

  これは泥棒が意図的に企んだ犯行ではなく、たまたま戸が開いていたために、つい出来心で犯行に及んでしまったという情状を酌んでの措置である。[締め込み]の泥棒もこれによって少しは罪が軽くなり、また無人にした夫婦のほうも罰せられた。なお、長屋での戸締まりは、表の戸にIびぐらいの心張棒をするだけで、錠前は使わなかった。

  ○小盗のこと 小盗とは、五六条に「腰銭、挟銭を抜き取る者」のこととあり、ほかに万引、履物泥棒なども含まれる。「スリ」の語は、はやくに文禄三年(一五九四)の『言継卿記』八月二四日の記事に見られる。「巾着切り」ということばも使われたが、江戸では、身体をすりつけるので「スリ」、上方では刃物で切り取るので「チボ」という。

  また、小盗の類犯に湯屋の「板の開稼ぎ」があるが、こちらは四六条に「湯屋之客、衣類着替候もの 敲」と記されている。

強盗の罪

 強盗とは、暴行または脅迫を用いて他人の財物を強取することである。「御定書」には強盗の罪に対する言及はないが、なにしろ家蔵に忍び込めば死罪なので、改めて規定するまでもなかったのだろう。なお、七一条には盗みに入って人を殺した者は引き廻しのうえ獄門、刃物で人を疵付けた者は獄門、刃物以外のもので疵付けた者は死罪との記述がある。

  ○正当防衛・過剰防衛 人に傷害を与えた者は中追放とし、傷害の大きなものは遠島、小さな傷害は治療代を支払うという刑罰であったが、家屋への忍び入りの盗賊に対しては、殺しても差支えはなかった。[薙刀傷]の噺がある。

  ○事後強盗(準強盗) 窃盗目的で家屋に浸入したが、家人に見咎められたために、居直って強盗になるというもの。落語には[夏どろ][転宅]があるが、いずれも最初から家人を脅しているので、はたして準強盗といえるか微妙なところである。

  また、[にかわ泥](仏師屋盗人)は、夜中に仏師屋に忍び込んだ男が、見咎められたので二尺八寸の段平物を突き付けて脅すというもの。

追剥・追落の罪

 路上で通行人を脅して、衣類や金品を強奪することを「追剥」といい、凶悪な犯行ということで獄門の罪に、また、通行人の油断を見すまし、持ち物や懐中物、唇などを奪って逃げることを「追落」といい、こちらは死罪になっている。

 「追落」という用語は、すでに鎌倉時代からあったが、「御定書」で成文化されたものである。源信綱『大江戸春秋』の寛保三年(一七四三)閏四月の記事に「追落といふ盗賊はやる、昔は追はぎといひし」とあり、また宝暦二年(一七五こにも「追落はやる、両町奉行所より同心五人ツこ伐廻り」とある。

 [双蝶々]の小僧の長吉は、手癖が悪く、近所の不良仲間と「追落」をしている。その夜も、芝居帰りの女が二人肩を並べて歩いてきたので、いきなり突き当たって女の前のところに手を当てる。「あれっ!」と女が前を押さえた隙に頭の唇を抜き取って逃げるというもの。長吉は後に小雀長吉という盗賊になる。

詐欺の罪

 人を編し、錯誤に陥らせて、財物を奪い取る行為が詐欺罪である。偏す手段は、ことば、身振り、作為、不作為を問わない。不作為というのは、五〇〇〇円札で買い物をして釣銭を貰う時、店員が一万円札と思って、目の前で釣銭を数えて差し出した。その時、店員の錯誤を知りながら、黙ってその釣銭を受け取ってしまう行為をいう。

  ○取り込み詐欺 詐欺という行為は、相手を錯誤に陥らせて、相手の納得のうえで財物を詐取することである。「御定書」には「巧事、偏り事、重ねたり事致し候者 御仕置の事」として死罪から中追放の刑になる。「重ねたり事」は、執拗に強請すること。落語には[時そば][壷算][牛の丸薬]のように単純なものから、[樟脳玉][片袖]「人参かたり」[猫の皿]など手の込んだものまである。

無銭飲食

 料理屋や飲食店などの料理は財物である。店では、代価として金を払って貰えると思って提供したのだから、それを受け取った段階で「財物を交付させたる者」ということになる。因みに現行の刑法二四六条の第一項に該当するので、これを「一項詐欺」という。

 落語のほうでは[王子の狐]があるが、[居残り佐平次][付き馬][突落し]などは無銭飲食のほかに宿泊をし、娼妓のサービスなどの無形の利益を得ているので、さらに第二項「財産上不法の利益」を得たる者にも該当する。

恐喝の罪

 人を煽して財物を交付させる詐欺罪に対して、人を脅して、財物や財産上の利益を得る行為を「恐喝罪」という。この場合の「脅し」は、相手が恐怖心を生じる「害悪を告知」することで、その手段は、口頭、文書、動作、態度などによって、相手方の反抗を抑圧しない程度の暴行、脅迫を加えることで、[らくだ一[姫かたり]などが該当する。なお、相手方の反抗を抑圧する程度の暴行、脅迫を加えた場合には「強盗罪」になる。

  ○脅迫罪と強要罪 害悪の告知だけで、財物の取得を目的としない場合は「脅迫罪」となる。なお、脅迫または暴行を用いて相手方に「義務のないことを行わせ、または権利の行使を妨害」することは「強要罪」である。

情報化社会における集団の変貌

2017年01月07日 | 3.社会
『現代日本の地域格差』より 現代日本社会論ノート

現代日本社会の重要な特質の一つが高度情報化社会であるということは、これまでにもふれてきたところである。情報化社会という指摘は、すでに以前からなされていたが、一昔前までは、そのイメージはマスコミ特にテレビの急速な発達と普及に注目するものであった。大衆社会化とか、1億総白痴化といわれて、その弊害がむしろ強調されていた。それは大企業であるマスコミ企業が単純化された情報を画一的に流布し大衆の志向を制御するものとして懸念されていた。

それに対して今日の高度情報化社会はかなり異なった様相と問題点を内包している。もちろん、マスコミは今日ますます旺盛な活動を繰り広げているが、今日むしろ注目されるのは、コンピュータ、携帯、スマホ等、多様な情報機器の目覚しい進化と広範な普及である。一昔前は、電車の中では、男性はスポーツ新聞、女性は週刊誌か文庫本を広げていたのであるが、今日では、男性も女性も携帯の画面を見つめ忙しく指を動かしている。かつての情報化社会においては、庶民はもっぱらマスコミ企業の発信する情報を受け取る受け手であったが、今日では受け手であると同時に、親しい近親・友人間であるか、より広い空間宛であるかはともかく、庶民の多くが情報を発信する送り手にもなっている。マスコミが頼りであった時代には、受け手である庶民は、得られる情報の種類としてはどのチャンネルを選ぶかという程度の選択しかできなかったが、今日ではマスコミ以外に多様な情報源に接することができるようになった。そのなかには、いかがわしい情報や偏った意見ももちろん含まれるわけであり、溢れる情報の中から必要なものを選び出す情報リテラシーの重要性が繰り返し強調される。

インターネットは、個人でも広く大勢の対象に、情報や意見を伝えることができる優れた発信力を持っている。それを個々人が手に入れたことで、情報化社会は全く異なった様相を呈することになった。膨大な情報が時々刻々にインターネットやメールの空間を飛び交う。その中には日常的なつながりのある人々相互の身元の確かな情報もあれば、発信者の特定さえできない無責任な内容のものも含まれる。それらの全体を見通し、コントロールすることはもはや困難になっているとさえ思われる。さまざまな悪質なウイルスやハッカーの被害などには、対応の困難なものさえ含まれる。高度情報化社会は、もはや過度に発展してしまった結果、制御不能になってしまっているとさえ思われる。

機器を通じ、コンピュータや携帯の画面を通じた、いわゆるバーチャルな結びつきが広がった反面、家族や近隣などの基礎的な集団が脆弱化し、リアルな結びつきが希薄になっていく。もっともこれらの場面での差引勘定は単純ではない。共働きが広がり長時間労働が改善されないことや、塾や習い事を含めて子供が家にいる時間が短くなったことなど、家族がともに過ごす時間は少なくなった。その一方で、夫婦や親子の間でも、携帯を介した会話が頻繁に行われるようになった。バーチャルな結びつきがリアルな結びつきを補完代位している部分も見出せる。

同じことは、広い意味での地域のつながりについても当てはまる。旧来からの近隣や村落などの機能は低下し、そのまとまりは脆弱化した。しかし、その結果個々人がばらばらに分散したというわけではない。弱体化したとはいえ、これまでの近隣や村落のむすびつきもそれなりに持続しているだけでなく、家族の場合と同じように、従来は直接顔を合わせて話し合っていたことを携帯を使って間接的に交流するという状況もある。それ以上に大きく変化したのは、近隣や村落などの限られた地域空間にこだわりなく、さまざまな機縁によって濃淡のあるネットワークが築かれてきていることであろう。行動範囲も広がっているだけに、直接的なネットワークも広がりを見せているが、機器を介した間接的なネットワークは、空間的制約なしに結びつきを作っている。かつては都市住民の行動範囲は広くその社会的交流の広がりもかなり広い地域に広がっていたのに対して、農村地域の場合には交通手段に恵まれず行動範囲も、社会的交流の空間的広がりも、狭い範囲にとどまるとされていたが、バーチャルな結びつきの比重が大きくなるにつれて、社会的交流における都市と農村の差異を大きく減らすことにもなっている。僻村からでも世界に向けた情報発信や交流が可能になっているのである。

しかしながら、この結果問題になるのは、一つは、広がりを見せる機器を介した間接的ネットワークは、機器の活用のいかんによってきわめて多くのネットワークに結びつく者と、機器の活用が少ないために貧しいネットワークしか組みえていない者との格差を広げていくことである。国境をこえて広いネットワークを築き、日常的に社会的・経済的活動を展開している者もあれば、他方には、極端な場合、一人暮らしの不器用な高齢者が、家族や地域との直接的結びっきも薄くなり、機器の扱いに不慣れで間接的なネットワークも組めないという、孤立状態に陥る危険性もある。それらの中間に、行動範囲の拡大や機器の活用のあり方などに基づいて、いくつものグラデーションを描くことができよう。

もう一つの問題は、直接的な結びつきにせよ、間接的な結びつきにせよ、いずれもそれぞれにきわめて濃密なものから、ごく淡い接点に過ぎないものまで、多様なものが含まれているということであり、単純に直接的な結びつきが濃密で、間接的な結びつきが淡白であるということはできない。このように直接的な結びつきと間接的な結びつきが共存する中で、今日の社会生活が営まれている。

こうした社会生活において、重要性を増していくのは、旧来の限られた地域空間の区切られた社会的交流ではなく、地域空間の制約を離れたさまざまな契機に基づいて生み出されるネットワークであろう。そのなかには、生産活動、消費活動のそれぞれにかかわる経済的なネットワークもあれば、政治的志向を持ったネットワークもあり、また文化的な契機や趣味などによって形成されるネットワークもある。もちろん、経済領域にも、政治領域にも、また文化的な領域にも、中央集権的な色彩の強いわが国の場合には、中央権力による体制的な枠組みが整備されている。経済領域は国家権力と結びついた巨大資本を中心にした資本主義的経済機構が聳え立っている。政治領域には、官僚機構に支えられた政権政党による運営が行われている。文化領域においては、それぞれの領域で伝統的な秩序が維持されている。こうした広い意味での支配層によって構築されている体制に対して、市民が社会生活の場において形成するネットワークが、新たな方向性を作り出すことができるか否かが、重要な問題である。支配層によって構築された体制に取り込まれ、その末端として機能することが少なくなかった旧来の村落などの地域社会が脆弱化し、代わって新たに生まれてきた集団やネットワークのうちには、すでに権力的な体制に取り込まれたり、その末端として活動するようになったものも少なくない。しかし、多くの市民が自らネットワークを組み立てることが可能になっているだけに、中央集権的な体制に対して距離をもち、新たな方向を志向する活動を繰り広げているものも数多い。

グローバリゼーションにともなう資本主義の変容

2017年01月07日 | 4.歴史
『現代日本の地域格差』より 現代日本社会論ノート 高度にあるいは過度に発達した資本主義

国家独占資本主義という概念が影が薄くなった理由はもう一つあるように思われる。それはグローバリゼーションの進展である。グローバリゼーションという概念は、今日の経済・社会を語る場合に欠かせない枕言葉となっている感があるが、ヒト、モノ、カネそれに情報が世界各地をめまぐるしく行き交う今日の世界は、これまでになかった多くの問題を生み出しており、今日の経済・社会を規定する重要な要因となっている。もっともこれもきわめて高度に発達した科学技術とそれを基盤とする資本主義の高度な発展が生み出した所産であることは当然のことである。第二次大戦とその後の経済成長にともない輸送手段の目覚しい発達と普及とにも支えられて、ヒトとモノの世界的な交流が目覚しく進展したことはあらためていうまでもない。その影響が多くの領域に見られることもまたいうまでもないことである。

ここでとりわけふれておく必要があるのは、カネと情報の交流である。モノの交流の問題ではあるが、グローバリゼーションの一つの現われとされるのが、多国籍企業の展開や、生産拠点の海外進出など、企業活動が一つの国家の内部で行われるだけでなしに、国境を越えて展開するようになることがある。モノの交流がきわめて活発になり、貿易の比重がきわめて大きくなることは今日広く見られるところであるが、交流はさらに深化し、単に原料の輸入や製品の輸出にとどまらず、企業の経営や生産活動それ自体が、国家の枠を超えていくことになる。海外投資が活発化し、資本の海外進出が広がる。こうなると国家をまたいでの資金の流れが活発化せざるを得ない。カネの交流すなわち国際的な為替が経済活動において重要な位置を占めざるを得ないことになる。

わが国では、第二次大戦後1970年まで1ドル360円という固定レートで為替交換がされていたが、その後の改訂を経て80年から変動相場制に移行した。多くの先進諸国は変動相場制をとり、為替市場が国家相互に影響しあいながら為替相場を形成するようになる。日々、時々刻々に為替レートが微妙に変化する制度に先進諸国は組み込まれることになった。こうした流動性の高い為替相場が機能するには、グローバリゼーションのもう一つの現れである情報の交流が重要な前提条件となる。電気通信技術とさまざまな情報機器の目覚しい発達と普及によって、世界の隅々まで瞬時に情報交換が行える技術的条件が得られている。さまざまな経済的・社会的・政治的な情報が、瞬時に世界を駆けめぐり、それに反応して為替相場がめまぐるしく変動する。一つの国で生じた相場の変動は、たちまちのうちに世界各国の為替レートを変動させる。電気通信技術の発達が見られず、情報の交流に多くの時間が必要な時代には、今日のような変動相場制をとることは難しく、それぞれの国家が固定的な交換レートで相互に貿易を行っていたものと思われる。高度情報化(情報のグローバルな交流)の恩恵を為替制度は享受しているのである。

ところで、このような変動相場制の広がりは何をもたらすのであろうか。先に国家独占資本主義において、金本位制を廃止して管理通貨制度に移行することによって、国家(中央銀行)は自由に紙幣を発行し多様な経済・社会政策を展開することができるようになり、景気調整・恐慌防止を図ることができるようになったという指摘を紹介した。管理通貨制度によって流通する紙幣の量をコントロールすることができるようになったことが国家独占資本主義の重要な特質とされていたのである。

ところがグローバリゼーションが進むと、紙幣の価値が時々刻々に変化することになる。国家が管理した貨幣量が、実質的には為替市場において変動してしまうことになる。国家独占資本主義においては、国家が間接的にではあれ市場を管理し、国家の経済政策などを介して国家・政府の関与の下に資本活動が行われるものと想定されていた。それによって資本主義の特質ないし欠点である生産の無政府性をコントロールし、恐慌の回避や予防が図られるものとされていた。グローバリゼーションはこうした国家独占資本主義の特質を弱体化し、市場の優越を作り出すことになる。すなわち、せっかく国家(中央銀行)が貨幣量を調節しても、それが機能する実質的価値は、為替レートの変動によって規定されることになる。国際的な為替市場が国家の決定を事実上変化させてしまうことになる。国際的な為替市場は、膨大な取引に基づく需要と供給のバランスによって定まるものであり、いずれの国の政府もこれを完全にコントロールすることはできない。

株式会社を基盤とする独占資本主義において、株式市場が重要な役割を果たすことは、いうまでもないが、株式市場もまた、グローバリゼーションの時代には、国家のコントロールは限定的なものとならざるを得ない。国家独占資本主義において、国家は株式会社のあり方について、株式取引について、株式市場について、それぞれ詳細な法制度を整えて、緻密なコントロールを行っている。しかしながら、グローバリゼーションの下では、それらはある意味で「ザル法」にならざるを得ない。国内の会社のうちで、海外に拠点を移すものは少なくない。それらには国内の制度は部分的にしか適用できない。海外に拠点を作るものの多くは、原材料や労働力あるいは製品の市場といった経営上の有利さを求めて進出するわけであるが、中には国の規制逃れという場合も見られる。また株式市場には多くの海外投資家も加わり、政府の意向とは無関係に投資行動を展開する。株式相場は、国内の要因だけでなく、海外の多様な要因によって激しく変動する。国家の整備する法制度がカバーできない部分が次第に大きくなっていく。

企業活動に対する課税においてさえ、グローバリゼーションは困難な問題を広げていく。課税については当然政府の定める制度があり、それに基づいて国や地方自治体に納税するわけであるが、企業のうちにはより有利な制度の国に資本移転を行うものも現れる。なかにはタックスヘーブンと呼ばれる課税を免れられる地域に移転するものも生じ、国内資産家の中には資産がどれほどあるのかすら把握できない者も生まれてきているといわれる。

資本主義の高度な発展は、グローバリゼーションをもたらした。その結果、1930年代から数十年間にわたって、国が資本をコントロールするという国家独占資本主義が指摘されたのであるが、世界規模で結びっいた巨大な資本主義の展開にともなって、国のコントロールは部分的なものにとどまるようになり、国のコントロールを超えて世界規模での資本の激しい競争が繰り広げられるようになった。いわば資本主義は再びコントロールの効かない状態に陥ってしまったように思われる。

このことは歴史上しばしば見出される経済分野と政治分野あるいは社会分野との進展のアンバランスの一つの現れということができる。経済分野でのグローバリゼーションの進行に対して、政治分野でのグローバリゼーションの進展が遅れていると見ることができる。政治分野では従来の国民国家としての統治が支配的であり、グローバルな経済活動に対応したグローバルな政治はいまだ未成熟な状況にある。国連をはじめとする国際機関の活動は見られるものの、世界政府とでもいうべき強力な制度はいまだ現実性を持たない。さまざまな分野で国内産業の保護を目的とした関税などによる防壁が作られ、経済・社会の多くの制度が国によって異なっている。それらを調整し統一を図ろうとする動きはあるにしても、なお部分的なものにとどまっている。多国籍化する企業に対する課税は単純ではないし、極端な場合にはタックスヘーブンといわれる地域も存在している。国家的な権力による管理の枠をこえた経済活動の展開によって、ある種歪んだグローバリゼーションが進行しているのである。

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2017年01月07日 | 6.本
『哲学中辞典』

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