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グローバリゼーションにともなう資本主義の変容

『現代日本の地域格差』より 現代日本社会論ノート 高度にあるいは過度に発達した資本主義

国家独占資本主義という概念が影が薄くなった理由はもう一つあるように思われる。それはグローバリゼーションの進展である。グローバリゼーションという概念は、今日の経済・社会を語る場合に欠かせない枕言葉となっている感があるが、ヒト、モノ、カネそれに情報が世界各地をめまぐるしく行き交う今日の世界は、これまでになかった多くの問題を生み出しており、今日の経済・社会を規定する重要な要因となっている。もっともこれもきわめて高度に発達した科学技術とそれを基盤とする資本主義の高度な発展が生み出した所産であることは当然のことである。第二次大戦とその後の経済成長にともない輸送手段の目覚しい発達と普及とにも支えられて、ヒトとモノの世界的な交流が目覚しく進展したことはあらためていうまでもない。その影響が多くの領域に見られることもまたいうまでもないことである。

ここでとりわけふれておく必要があるのは、カネと情報の交流である。モノの交流の問題ではあるが、グローバリゼーションの一つの現われとされるのが、多国籍企業の展開や、生産拠点の海外進出など、企業活動が一つの国家の内部で行われるだけでなしに、国境を越えて展開するようになることがある。モノの交流がきわめて活発になり、貿易の比重がきわめて大きくなることは今日広く見られるところであるが、交流はさらに深化し、単に原料の輸入や製品の輸出にとどまらず、企業の経営や生産活動それ自体が、国家の枠を超えていくことになる。海外投資が活発化し、資本の海外進出が広がる。こうなると国家をまたいでの資金の流れが活発化せざるを得ない。カネの交流すなわち国際的な為替が経済活動において重要な位置を占めざるを得ないことになる。

わが国では、第二次大戦後1970年まで1ドル360円という固定レートで為替交換がされていたが、その後の改訂を経て80年から変動相場制に移行した。多くの先進諸国は変動相場制をとり、為替市場が国家相互に影響しあいながら為替相場を形成するようになる。日々、時々刻々に為替レートが微妙に変化する制度に先進諸国は組み込まれることになった。こうした流動性の高い為替相場が機能するには、グローバリゼーションのもう一つの現れである情報の交流が重要な前提条件となる。電気通信技術とさまざまな情報機器の目覚しい発達と普及によって、世界の隅々まで瞬時に情報交換が行える技術的条件が得られている。さまざまな経済的・社会的・政治的な情報が、瞬時に世界を駆けめぐり、それに反応して為替相場がめまぐるしく変動する。一つの国で生じた相場の変動は、たちまちのうちに世界各国の為替レートを変動させる。電気通信技術の発達が見られず、情報の交流に多くの時間が必要な時代には、今日のような変動相場制をとることは難しく、それぞれの国家が固定的な交換レートで相互に貿易を行っていたものと思われる。高度情報化(情報のグローバルな交流)の恩恵を為替制度は享受しているのである。

ところで、このような変動相場制の広がりは何をもたらすのであろうか。先に国家独占資本主義において、金本位制を廃止して管理通貨制度に移行することによって、国家(中央銀行)は自由に紙幣を発行し多様な経済・社会政策を展開することができるようになり、景気調整・恐慌防止を図ることができるようになったという指摘を紹介した。管理通貨制度によって流通する紙幣の量をコントロールすることができるようになったことが国家独占資本主義の重要な特質とされていたのである。

ところがグローバリゼーションが進むと、紙幣の価値が時々刻々に変化することになる。国家が管理した貨幣量が、実質的には為替市場において変動してしまうことになる。国家独占資本主義においては、国家が間接的にではあれ市場を管理し、国家の経済政策などを介して国家・政府の関与の下に資本活動が行われるものと想定されていた。それによって資本主義の特質ないし欠点である生産の無政府性をコントロールし、恐慌の回避や予防が図られるものとされていた。グローバリゼーションはこうした国家独占資本主義の特質を弱体化し、市場の優越を作り出すことになる。すなわち、せっかく国家(中央銀行)が貨幣量を調節しても、それが機能する実質的価値は、為替レートの変動によって規定されることになる。国際的な為替市場が国家の決定を事実上変化させてしまうことになる。国際的な為替市場は、膨大な取引に基づく需要と供給のバランスによって定まるものであり、いずれの国の政府もこれを完全にコントロールすることはできない。

株式会社を基盤とする独占資本主義において、株式市場が重要な役割を果たすことは、いうまでもないが、株式市場もまた、グローバリゼーションの時代には、国家のコントロールは限定的なものとならざるを得ない。国家独占資本主義において、国家は株式会社のあり方について、株式取引について、株式市場について、それぞれ詳細な法制度を整えて、緻密なコントロールを行っている。しかしながら、グローバリゼーションの下では、それらはある意味で「ザル法」にならざるを得ない。国内の会社のうちで、海外に拠点を移すものは少なくない。それらには国内の制度は部分的にしか適用できない。海外に拠点を作るものの多くは、原材料や労働力あるいは製品の市場といった経営上の有利さを求めて進出するわけであるが、中には国の規制逃れという場合も見られる。また株式市場には多くの海外投資家も加わり、政府の意向とは無関係に投資行動を展開する。株式相場は、国内の要因だけでなく、海外の多様な要因によって激しく変動する。国家の整備する法制度がカバーできない部分が次第に大きくなっていく。

企業活動に対する課税においてさえ、グローバリゼーションは困難な問題を広げていく。課税については当然政府の定める制度があり、それに基づいて国や地方自治体に納税するわけであるが、企業のうちにはより有利な制度の国に資本移転を行うものも現れる。なかにはタックスヘーブンと呼ばれる課税を免れられる地域に移転するものも生じ、国内資産家の中には資産がどれほどあるのかすら把握できない者も生まれてきているといわれる。

資本主義の高度な発展は、グローバリゼーションをもたらした。その結果、1930年代から数十年間にわたって、国が資本をコントロールするという国家独占資本主義が指摘されたのであるが、世界規模で結びっいた巨大な資本主義の展開にともなって、国のコントロールは部分的なものにとどまるようになり、国のコントロールを超えて世界規模での資本の激しい競争が繰り広げられるようになった。いわば資本主義は再びコントロールの効かない状態に陥ってしまったように思われる。

このことは歴史上しばしば見出される経済分野と政治分野あるいは社会分野との進展のアンバランスの一つの現れということができる。経済分野でのグローバリゼーションの進行に対して、政治分野でのグローバリゼーションの進展が遅れていると見ることができる。政治分野では従来の国民国家としての統治が支配的であり、グローバルな経済活動に対応したグローバルな政治はいまだ未成熟な状況にある。国連をはじめとする国際機関の活動は見られるものの、世界政府とでもいうべき強力な制度はいまだ現実性を持たない。さまざまな分野で国内産業の保護を目的とした関税などによる防壁が作られ、経済・社会の多くの制度が国によって異なっている。それらを調整し統一を図ろうとする動きはあるにしても、なお部分的なものにとどまっている。多国籍化する企業に対する課税は単純ではないし、極端な場合にはタックスヘーブンといわれる地域も存在している。国家的な権力による管理の枠をこえた経済活動の展開によって、ある種歪んだグローバリゼーションが進行しているのである。
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